このお話は短編で、「ユトレイシア・ユニバーシティ」に出てきたカップルの一組、アレンとミランダが主人公といったところだったり(^^;)
あと、アレンのふたりいる弟のひとり、ポールくんが準主役(?)といったところで、大体のところのあらすじは、田舎のイサカ(笑)からポールくんがお兄ちゃんのアレンを頼って首都へやって来るところからはじまります
それで、このポールくん、高校卒業して首都ユトレイシアへやって来て、アルバイトを探すのですが、某エムドナルド・バーガーも面接ではねられる、某KFCやフランチェイズ・レストランの店員といったバイト面接も落ちてしまい……そんな時、ミランダが「うちで働いてみちゃどう?」みたいに、アレンに薦めてくれるんですよね。
そこで、アレンは洋菓子店『シュクラン』で働くことを弟のポールくんに薦めるわけですが……何かこう特段、「普通に働くことの難しさ」について色々書いてあるわけではないんですけど、なんていうか、「今、割とこれと近いことで悩んでる人って多いんじゃないかな……」みたいに思っていただけたとしたら嬉しいです
あ、でも、短いお話ということもあって、何かそのあたりのことについて深みのあることが書いてあるわけでもなく(汗)、例によってまだわたし、「萩尾先生ラブ」な状態が続いていて……もう去年のことになるとはいえ、『感謝知らずの男』という本を読んだのです
それで、読み終わったあとすぐ感想書きたかったものの、本買ったあと、主人公のレヴィって『ローマへの道』に先に脇役として出てくる……というのを知って、何か書くとしたら『ローマへの道』読んでからだろう……と思ってたら、そのあとちょっと『ローマへの道』買って読むまでに軽く一月以上あいてしまったという
『ローマへの道』も面白かったのですが、なんにしてもわたし、実は試し読みのところを順に読んで、「次はどの萩尾作品を読もうかな~」と思ってたわけですけど――『感謝知らずの男』を読みたかったのが実は、レヴィのお兄さんが清潔恐怖(不潔恐怖)という神経症を患って精神病院に入院中だったからなんですよね
そのことがなんで購入動機になったかというと、萩尾先生が作品中でこのお兄さんがある程度病気が良くなって社会復帰させているかどうか、そのあたりをどんなふうに描かれているかに興味があったからだったり(^^;)
いえ、結論から言うと、主人公はあくまでバレエダンサーのレヴィですし、お兄さんは脇役として出てくるに過ぎないため、レヴィ三部作(?)のうち、最後の三つ目の作品においてもレヴィのお兄さんが病院を退院してないというのは……自分的に物語のエピソードとして十分納得できるものだったというか。
そのですね、神経症って発症すると大体、完全に症状が消えてまったく良くなる――というより、大体のところ清潔恐怖なり確認恐怖なり(こちらは、ガスの元栓閉めたかどうかとか、家の鍵を閉めたかどうかなどが気になって気になって仕方ないという症状)、その他色々な神経症の症状と、それなりに折り合いをつけて日常生活に支障がでる範囲を小さくする……という、そうしたある意味寛解的な状態を目指すことになると思うんですよね、自分的に(^^;)
そして、漫画や小説や映画など、物語の世界で精神病の方が出てきた場合――紆余曲折ののち、病気が完全に良くなってハッピーエンドということもあるかもしれないんですけど、統合失調症の方でも鬱病の方でも神経症の方でも……今現在なんらかのそうした症状に苦しんでいる方にしてみれば、「そんな簡単に治れば警察いらねえ」と言いますか、そう感じられることだろうなって思うわけです。
まあ、なんでこんなこと書いてるかっていうと、アレンの弟のポールくんは、面接とか、働いてる時の様子から見て――「対人恐怖症なんじゃないか」と、ミランダのお母さんが指摘している場面があって、この対人恐怖症というのも、数ある神経症の症状のひとつとして分類されているからなんです。
これはわたしが自分で勝手に思ってることなので、専門家の精神科医の先生はもしかしたら違う御意見かもしれませんが、現在引きこもりと思われる方の中で、たぶん心療内科などで「社会不安障害」と言われる方って多いと思うんですよね。
そして今後とも、日本の社会の中ではこうした神経症患者さんというのは増加することはあっても患者さんの数として減ることはないのではないか……と、そう思っています。
というか、新型コロナウイルスの蔓延によって、清潔恐怖を持たれている方の症状が強く、きついものになっているのではないかと、結構前から心配しているというのがあって(^^;)
あ、真面目な話が長くなりましたが(汗)、こちらの小説のほうは短編なので、そうした事柄についてさほど深く掘り下げられるでもなく、割合あっさり終わるとは思いますm(_ _)m
それではまた~!!
アレンとミランダ。-【1】-
アレン・ウォーカーが留年することなく、無事ユトレイシア・ユニバーシティの国際環境研究科3回生へと進級し、ミランダ・ダルトンが文学部の4回生となるべく、無事進級試験をパスした頃のことだった。
夏休みのはじまる少し前、アレンは母親から電話をもらった。携帯へ、ではなく、このほんの3か月ほど前に引っ越したアパートの、固定電話のほうへかかってきたのだ。アレンは将来を考えているガールフレンドがいる……とは母に話していなかったが、寮を出て独り暮らしがしたいとは、母トリシアに相談していたし、彼女のほうではあっさり長男のこの要望を許可していた。
『母さんね、アレンが寮にいるのなんて、最初の1年くらいじゃないかと最初から思ってたわ。ええ、そりゃわかるわよ。だけど、寮生のみんなと仲良くやれるとかやれないじゃなくて……男ばっかりで、その上狭い部屋で寝泊まりして必要最低限しかプライバシーが守れないだなんてねえ。いいのよ。母さん、アレンが送ってくれたお金返すから、それでなるべくいい部屋見つけて引っ越しなさい』
トリシアの言葉は嬉しかったが、アレンはもちろん、母親への送金の他に、自分でそれ用に引っ越し費用その他貯金していたのである。お陰で、アルバイトをしすぎるあまり――進級試験のほうはかなりのところスレスレだったが、ここもやはり持つべきものは友である。グループ研究のほうは、才能豊かにして行動力のあるクラスメイトのお陰でAを取れたし、寮の同じ学科の先輩らも、進級試験の予想問題についてなど、非常に協力してくれたことで……アレンはどうにか留年せずに済んだのだった。
また、アレンが寮を出ていく時には盛大なパーティまで開いてくれたし、彼は寮生でなくなってのちも、今もそちらへはよく遊びに行くという関係性を保っていた。
ところで、夏休み前にトリシアからかかってきた電話であるが……それは大体次のような内容であった。
『あのね、アレン……ポールのことなんだけど、夏休みの間、少しそっちで面倒みてもらえないかしら?』
「面倒って……いや、ポールがこっち来るのは構わないけどさ。あいつ、ずっと新聞配達のバイトしてたろ?で、今度そこで準社員として働くみたいなこと言ってなかったっけ?」
弟のポールは、今年の六月に公立高校を卒業したばかりである。彼は中学一年の頃から新聞配達のアルバイトを続けており、新聞店の社員や同じバイト配達員らとも概ね良好な関係性を持っている……といったように聞かされた記憶がアレンにはあった。
『それがねえ。学生だった頃はまあ、「学業との両立で大変だろうに、よく頑張ってるね」みたいにまわりの人も温かい目で見てくれたってことなんじゃない?というか、社会人一年生として少々鍛えてやらねばならん……みたいに、新聞店の人のほうでも思ったってことだと思うのよね。あの子、ほんの一週間くらい前に「俺、もう疲れた。仕事のほうはもうやめた。うんざりだ」って言って、部屋から出てこなくなっちゃったの』
「…………………」
アレンは暫しの間、黙り込んだ。正直、アレンとしてもポールと同じく新聞配達の仕事を中学生の頃にしていた関係から――『六年もやれば十分だろうよ、新聞配達なんて』というのが本音ではある。実際、アレンにしても中学時代の三年で新聞配達の仕事が嫌になり、高校からは喫茶店のウェイターとゲームセンターでのアルバイトに切り替えたくらいだった。
「あのさ、母さん。変な言い方するみたいだけど……ポールなんてまだ学校出たてなんだしさ、新聞店のほうはやめて正解だったんじゃないかな。なんでやめたかなんて聞いたりしないで、よく六年も頑張って新聞配達続けたわねって褒めてやってくれよ。それでさ、ポールがこっちに来るのは構わないし、暫くいるのも俺のほうでは全然構わない。あいつがこっち来ても、『これからどうするつもりなんだ』なんて、俺のほうで説教するつもりもないよ。まあ、好きなだけいて、色々自分の頭で考えればいいさ」
『自分の頭でねえ……』
トリシアの着いた溜息の奥にはどこか、(あの子にそれだけの頭があればいいけど)とでも言いたげな雰囲気があった。
『ポールはアレン、あんたと違って国立大学に受かるような成績の良さはないし、本人に聞いても、「俺なんかの入れるレベル低い大学行ったってしょうがないよ。金がかかるだけ無駄ってもんさ、母さん」としか言わないしね。かといって、「何かなりたいものとかないの?」って聞いても、「いやあ、べつに」としか言わないし……』
「ええと、あいつ確かゲーム好きだったよな。で、小学生くらいの時に将来の夢のところにゲームクリエイターとか書いてなかったか?」
『ああ、そういえばそうだったかしらね』
トリシアはここで再び、溜息を着いた。しかも、先程のよりも少々重たい溜息を。
『あの子、新聞店を辞めてからずっと、部屋に篭もってゲームばっかりしてるのよ。まあ、それはとりあえずいいとして……将来何かどうしてもなりたいものがあるなら、専門学校のためのお金とか、母さん出してもいいのよって前に言ったことあるの。だけど、もしそういうところへ行きたいとしたら、自分で働いてお金貯めてそうするから、母さんは心配しなくていいって……』
今度は、アレンが母親に気づかれぬよう内心で溜息を着く番だった。自分もそうだが、小さい頃から母親が長時間労働に従事しているだけに――弟のポールもショーンも、金銭的な負担をなるべく家庭にかけたくないのだ。
「まあ、あいつにそういう気持ちがあるなら、それで十分だろ。なんにしても、ポールには兄ちゃんの元に来たけりゃいつでも来いって言っておいてくれよ」
『うん……忙しいあんたにこんなこと頼んじゃって、母さんも悪いとは思ってるんだけど……なるべく、ポールの本心を聞くようにしてやって欲しいのよ。イサカみたいな田舎じゃあねえ、母さんみたいに工場勤めでもする以外、勤め先なんて、そんなに多くはないものね。そりゃあコンビニの店員だの、クリーニング工場の工員だの、本人にその気さえあれば働き口はいくらでもあるわよ。でも、他の誰がやっても大体のところ同じっていう仕事に、ポールくらいの若い子が、「だって他にしょうがないから」なんて理由で働いてもらうっていうのも母さん、なんか夢がない気がしてねえ……』
「わかってるよ。ポールも、母さんには色々遠慮して言えないことがあるだろうから、そのあたりについては俺のほうでうまく聞きだしておく。うん、ショーンはイサカ第一高校に首席で入学したんだろ?で、サッカー部のほうでも今からすでに期待されてるって聞いてる……まあ、ショーンのことは母さん同様、俺も心配なんかしてないな。三兄弟の中じゃ、あいつが一番の将来の有望株ってやつだ」
末の弟のショーンの話になると、母トリシアの声は俄然明るくなった。長男の自分のことも、次男のポールのことも分け隔てなくこの母は育ててくれたとも、アレンは思っている。けれど、このよく出来た優等生の弟と何気なくにでも比べられたとすれば、ポールとしては多少なり、兄として立場がないというのか……自分がいなくなってのち、家庭内で居心地の悪いこともあったろうと、アレンとしてはそう思うのみだった。
この時アレンは、母親の口からショーンの通っていた中学校の先生がいかに彼のことを卒業式で褒めていたかについてなど、(母さん、その話前にも聞いたけど)と思いながら、欠伸を噛み殺して聞き――「そろそろバイトの時間なんだ」と言って、四十分ほどの通話をようやく終えていた。
この時点でアレンには、兄としてポールの気持ちが痛いほどわかっていた。おそらく、ウォーカー家を外から見た場合……というより、田舎のイサカに何人もいる親戚連中が我が家を評価した場合、と言ったほうがいいだろうか。大体のところ次のように見えるらしい。国で一番の国立大学にストレートで受かったのみならず、シングルマザーの母になるべく負担をかけぬよう一生懸命働く長男。そして三男のショーンは長兄と同じく成績が良いのみならず、ルックスも良く、サッカーのプロリーグのスカウトがすでに来ているほど、スポーツの才能まである……一方、兄弟の真ん中のポールは三人の中で一番目立たなかった。高校のほうは下から数えたほうが早いくらいの公立高をようやく卒業したといったところだし、容貌のほうもパッとしなければ、スポーツのほうもからきしダメ――だが、アレンは口に出して言ったことはなかったが、末の弟よりもこの二番目の弟のほうが可愛かった。母が三人とも平等にと心がけているらしいのはわかっていたが、それでもトリシアが一番可愛いのはショーンらしいと二人ともわかっていたせいだろうか。アレンはその部分をそれとなく補うようにポールを精神的に支えるということが、これまでとても多かったのである。
また、それであればこそ、母が少しの間ポールのことを寄越したいと言ってきたのだろうともわかっていた。だがこの時、アレンはスポーツ・バーへ出勤しようとして、最後に部屋の中を見渡し――(ミランダにどう言ったもんだろうな)と、少しばかり頭を悩ませたかもしれない。
正確には、アレンとミランダはまだ同棲しているわけではない。けれど、もしミランダという恋人の存在がなかったとすれば、奨学生であるがゆえにただで暮らせる寮のほうを出ようなどとは……彼は夢にも思わなかったに違いない。
(そうなんだよなあ。部屋には週末ごとに自然と溜まっていった、ミランダの私物も結構あるし……そんなところにポールを呼んだりしたら、あんまり良くないかもしれん。直接会って話してみなけりゃわからんが、あいつ、もしかしたらイサカみたいな田舎にいるのはもうイヤだ、なんて不満を全部ぶちまけようと思ってたのに、その肝心の兄貴に女がいるとわかった途端――本心については押し隠して、ほんの一週間かそこらいただけでトンボ帰りしちまうかもしれんものな)
何分、大学生になってからこの二年ほどの間、アレンは金を送りこそすれ、田舎の実家のほうへはほとんど帰省していない。というより、親戚の中の誰それが死亡したというのでない限り、アレン自身大して帰りたいとすら思っていなかった。それゆえに、多感な年頃の弟をその間放っておいたという罪悪感が彼にはあったのである。
ゆえに、六月末のこの週末、ミランダがいつも通り泊まりにやって来ると、アレンはこのあたりの事情をベッドの中で少しばかり説明するということになったのだった。
「ふうん。じゃあわたし、明日の日曜は珍しく喫茶店のウェイトレスのバイト入ってないから、この散らかったどうにも小汚い部屋を掃除しといてあげる。で、自分の私物については全部持って帰って、最後に消臭スプレーをぶっしゅーっと部屋中にぶっかけて、アレンお兄ちゃんには女の影なんて微塵もない。孤独な悲しき苦学生のバイト野郎なんだ……みたいな状態にしといてあげるわ」
「悪いな、ミランダ。というか、部屋のほうはいかにもな孤独な独身男の悲しきそれって感じで全然構わないんだ。掃除だってしなくていい。ただ、女物のあれやこれをポールが見て……『そうだよな。夏休みなんだから、兄ちゃんだってきっと色々予定があるんだ』みたいにあいつに悟られたくないんだよ。なんていうかこう……ちょっと繊細なところのある奴なんだ。人の間の空気を読むのもうまい。だから、『自分がここにいたら邪魔になる』とか『迷惑だ』と微塵でも感じようもんなら、遠慮してすぐ田舎に帰っちまうだろうと思って」
この時アレンはあらためて、ミランダの洞察力の鋭さ――そして優しさに驚かされていた。実際、『女物のあれやこれやがあるからってなんなのよ。その弟だって兄貴にガールフレンドがいるくらいのこと、常識で判断してわかってよさそうなもんじゃない?』と彼女が怒ったとしても仕方ないと、アレンはそう覚悟していたのだが。
「いいのよ。まあ、それでいくとわたし、あんたの可愛い弟には当分、恋人として紹介してもらえないってことなんでしょうけど……それで、その三男坊のショーンくんは、放っておいても何も問題ないくらいの優等生ってことなのね。ふふっ。アレン、あんたわたしが怒りだしもしなければ、ぶつくさ不満も口にしないもんで、驚いてるわね。豆鉄砲が鳩を食らったってほどじゃないけど、目がまあるくなってるわ、あんた」
「それを言うなら鳩が豆鉄砲を食らったような顔ってことだろ?いや、もちろんわざとだってわかってるけどさ」
「そうよ。可愛い鳩にわざわざ豆鉄砲食らわすなんて、まともな神経の奴がやることじゃないもの。てか、猟奇殺人鬼予備軍なんじゃないのって感じ?それよか、なんでわたしがこんなに寛容なのか、アレン、あんたわかってる?」
「いや……」
アレンは体を反転させると、ナイトテーブルから煙草を一本取った。だが、何故かライターが見当たらず、結局上体を起こして探すことになる。
「何?ライターなら、わたしが誕生日にあげた奴があるでしょ?」
「ああ……けどなんかもったいないもんで、時々たまーに、特別な時くらいしか、あれは使わないんだ」
それでもこの時、アレンはライターがやはりなかったので、ミランダがプレゼントしてくれたジッポーのそれを引出しから出した。
「変な奴ね。べつに日常使いしたってどうってこともないでしょうに。それはそうとアレン、あんた、わたしが三人姉妹の真ん中だってこと、忘れてるんじゃない?」
「ああ、そういうことか」
ミランダもこの時、体を起こすとアレンと並んで煙草を吸いはじめた。いわゆる男女の仲というのになって約一年……それほど深刻な喧嘩になったということもなく(小さい喧嘩であればしょっちゅうだが)、最長で約二週間口を聞かなかったということがあるくらいで――また、そんな喧嘩も込みで、お互いの関係はうまくいっていると、ふたりともそんなふうに思っていた。
「そうよ。三人兄弟でも三人姉妹でも、真ん中っていうのは何かと大変なのよ。あと、一番下の末っ子が可愛がられるっていうのもうちと一緒。他に、一番上の姉が優等生っていうのもね」
「俺は優等生なんかじゃないさ。成績がいいって以外では、素行のほうは不良というか、そっち系の奴らのほうと話があったりして、仲も良かったしな」
「ふうん。わたし、今なんかちょっと感動してるのよ。性格的なことではあんたのこと、もう大体わかったかな~なんて思ってたけど、そういえばアレン、あんたんちの家族のことも、そこまで深くは聞いたことなかったものね。お母さんが工場の夜勤帯の仕分けグループのリーダーやってて、夕方の六時に出勤して、帰ってくるのは朝の五時。それで、そのあと息子三人のごはんを用意して、学校へ送りだしてから自分は寝るんだけど、夕食のほうを用意して家族四人で食べてから、お母さんはまた仕事へ出ていくっていうね。確かに、そんなお母さんの働く姿見て育ったら、それ以外のことで苦労かけられないみたいになるわよね」
アレンが寮から引っ越した部屋は、2LDKほどの広さがある。大学の正門通りにある不動産屋が、物件案内中にアレンの苦学生っぷりを世間話として聞き、いたく同情し……大家と掛け合うことすらして、この近辺としては極めて安い家賃で住めるようにしてくれたのだ。
とはいえ、家具はすべて安物だったり、人からただ同然でもらったものだったり、とにかく統一感がない。ミランダの美観ともまったく一致しない室内の内装ではあったが、彼女はそうしたすべてを面白がっていた。特に、アレンと一緒にネットで色々調べて、マホガニー製の机をただで譲り受けたり、捨てるよりは人にあげたいという本棚やベッドを彼が運転する軽トラックで運搬したり――といった、そうしたこと全般について。
今アレンが住んでいる場所は、『金をかけなくても工夫次第で室内は素晴らしくなる』とでもいった見本だったが、ミランダはそこに加えて人の善意なるものも見てとることが出来る。たとえば、今彼らがセックスしたばかりのダブルベッド。普通に購入したとすれば、数千ドルはする代物だろう。中古の家具店へ行ってさえ、おそらく数百ドルはするはずだ。けれど、びっくりするような豪邸に住む老婦人が、夫が死んで、自分は老人ホームへ入る予定だからと、ただで譲ってくれたのである。その他、リビングにあるテーブルもソファセットもテレビ台なども……譲ってくれたのがみないい人ばかりで、その時にお茶に誘われてした会話など、ミランダはアレンのそうした人に好かれる性格が好きだった。
もっとも本人に言わせると、「人は高級シャンパンやキャビアを相手にするより、ありふれたじゃがいも料理を相手にしたほうが気楽だっていうだけなんじゃないかね」という、何かそうしたことになるらしいが。
「まあなあ。ミランダはさ、俺のこと、おふくろに送金してるえらい苦学生みたいに言うけど……どうもな、そこらのことは俺の場合、なんらかの罪悪感が関係してると思うんだ。ほら、俺は首都にやって来てから一度も田舎のほうへは帰ってないし、実際のとこ、大して帰りたくもないわけだ。何か後ろ暗い、思い出したくもない過去があるからとか、そんなことじゃない。まず、ウォーカー家の親戚一同な。まあ、軽く見積もってイサカには叔父伯母その他、三十人ばかしも親戚がいるんだが……そのうちの誰も俺は好きじゃない。小さい頃から、『あらまあ、この子はずんぐり太って、将来ろくなものになりそうもない顔してるね』とか、そんなふうに品定めされたり、従兄弟の誰それはアメフト部でレギュラーだけど、アレンはいまだに補欠なんだってねだのなんだの……まあ、俺のことはいいのさ。ただ、こんなろくでもない息子を三人も育てるのに、まったくトリシアもあんなに苦労して可哀想にとか、最低でも犯罪者にだけはなるんじゃないよとか、将来少しか親孝行することを考えてるんだろうかね、この子らは……とかさ、まあ、親戚連中ってのは集まるとそんな話しかしないわけだよ。で、俺がユト大に受かった時、そのアメフト部の従兄弟の奴な、うちより遥かに劣る大学に落ちたんだ。べつに、俺はざまあみろなんて、これっぽっちも思わない。ただ、そこんちの親が――はっきり言っちまえば、母さんの姉さんなんだけど、色々電話で嫌味を言うわけだ。首都のユトレイシアは誘惑の多いところだし、アレンは大学へ受かったはいいけど、そんなこんなで将来を棒に振るんじゃないかとか、大学の授業についていけなくて中退しなけりゃいいけどねとか、色々……」
「あんた、わたしが思ってた以上に、なんか色々重い背景背負ってんのね」
ミランダは思わず、アレンの隣で溜息でも着くように煙草の煙を吐き出した。確かに、ミランダのダルトン家及び、母方のロドリゲス家にも色々ある。そのうちの一番大きな問題は、親戚の中に金の無心に来る者がいるということだったが……とりあえずミランダは、そのことについては黙っておくことにした。
「まあ、それほどでもないさ」
アレンは唇の端に思わず、笑みが洩れた。
「ほら、ミランダの親友のリズみたいに、父親が母親にひどい暴力振るって離婚したってわけでもないし、親戚の中に誰か、犯罪を起こして今刑務所にいる人間がいるってわけでもない。ただ、なんて言うんだろうな……ある意味、それよりひどいと思わせる何かが、あの親戚連中に存在してると俺が感じてるのは事実だ」
「じゃあ、アレン・ウォーカーの名前で本が出版されるなんて知ったら、そのイサカにいる親戚の人たち、みんなびっくりするんじゃないの?」
ミランダはくすくす笑いながら灰皿で煙草の火を消した。アレンの隣に寝転がり、意味もなく彼の胸あたりを指でくすぐる。
「いや、俺はそのこと……知らせる気自体、実はないんだよ。ほら、前にも言ったろ?あの文章はさ、あんなものでも多少は金に換算できるとしたら儲けもんだなっていうか、そんなふうに思ってただけなんだ。あと、末の弟が大学行くって時に、もしかしたらある程度まとまった金が必要になるかもしれない。その資金にって思ったのもあるし……あと、今はあれだ。ポールの本心がもし、ゲームクリエイターになるのに専門学校へ行きたいということだったら、その足しにでもしろって言って渡すといったところかな」
「あんた、ほんっと信じらんない奴ね!」
ミランダはおかしくなりすぎるあまり、もう一度「信じらんないっ!」と言って、ベッドの上を笑い転げた。
実をいうと、事はこういうことだった。アレンは田舎のイサカから首都ユトレイシアへやって来て以降――ずっと、ある文章を書き溜めていた。簡単にいえばそれは、田舎から出てきた若者の目に、ユトレイシアという都会がどのように映ったかという心象描写であり、ユトレイシア大学内の様子や寮での暮らしはもちろんのこと、その他アルバイト先であったハプニング、出会った客との面白い会話、珍奇な上司を鼻であしらう方法についてなどなど……正直、アレンは文学を専攻している恋人に、稚拙な文章を読んでもらうのは恥かしかったとはいえ――それでもし彼女が「面白くない」と言ったとすれば、その程度の価値しかないものとして、自分の書いたもののことは諦めるつもりでいたのだ。
けれど、ミランダはアレンが渡した原稿を夜遅くまでかけてじっくりと読み――夜中の三時頃、ぐっすり寝ていた恋人を電話で叩き起こしたのだった。「あんた、最高よっ!まさかわたし、自分がこんなに文才のある男とつきあってただなんて、今の今まで知りもしなかったわ」と、寝ぼけ眼をこするアレンに向かい、彼女は一時間ばかりも興奮してまくし立てたのだった。
ミランダは、アレンの書いたものを優れたノンフィクション・ライターとしても知られる、文学部の教授の元へ早速持っていった。彼女がアレンの書いたものを「出版する価値がある」と判断したのと同じく、彼――ジョサイア・ジョンストン教授も、アレン・ウォーカーが文学部の学生でないことに驚きつつ、「知り合いの出版社か新聞社に打診してみよう」と請け合ってくれたのである。
こうして、ユトレイシア・クロニクル紙という新聞で、毎週木曜の朝刊のコラムとして連載が決まっただけでなく、一年ほど連載を続けたのち、本としても出版してもらえると今の時点で確約すらしてもらっていた。ちなみに新聞での連載のほうは、九月からはじまる予定で、今その部分のコラムを埋めているコラムニストには、最近面白くなくなってきたので降りてもらうつもりでいる……という、そうした話運びであった。
「ごめん、ミランダ……俺、ほんと無神経なこと言ってるよな。それで金が入ったら、おまえのために指輪を買ってやるよとか、そんな気の利いたことも言えないだなんて、俺、ほんと最低だ。そもそも、ミランダが俺の文章を読んで教授に推薦してくれたから、新聞での連載も、本として出版するってことも、とんとん拍子で決まったっていうのに」
「違うわよ!わたしはね、そんなことに対して『信じらんないっ!』て言ったんじゃないわ。あんたが、本の印税が入ってきたら今度こそ最新の家電を買うとか、その他何かしら自分の欲望のために金使おうってんじゃなく、あくまで弟の大学資金だの、専門学校の馬鹿高い授業料支払うのにどうこうなんて言うから……あんまりおかしくて『信じらんないっ!』て、そう言ったのよ」
この瞬間、ミランダは恋人に対する愛おしさがこみ上げてきて、自分でも困った。いや、むしろだからこそ、と言うべきなのだろうか。ここへ引っ越してくる時にも、友人らが手伝ってくれたお陰で、引っ越し費用はほぼゼロドル。室内の家具だって、ここにあるもののほとんどがただで手に入ったものだとは、この部屋を見た人のうち、信じられる人はほとんどいないだろう。つまり、アレンは金というものに対してほとんど執着というものがないのだ。そして、おそらくはそれだからこそ――そうした運のようなものが、アレン・ウォーカーの周囲には渦巻くように出来ているということなのだ。
「ふふっ。アレン、あんた今言ったわね。まあ、いいわ。とにかくお互いこのまま数年後もつきあってて、そんな時期なんてのがやって来たら、あんた、わたしに指輪をプレゼントするのよ。ハリー・ウィンストンでもティファニーじゃなくても全然いいわ。どっかで値切って三十ドルくらいで買った指輪でいいから、必ずわたしにくれるって今から約束して!」
「いや、ミランダ。いくら俺がど貧乏だからって、恋人にプロポーズする時には、もうちっと考えて高価な指輪ってのをプレゼントするさ。流石に三十ドルってのは、どケチの俺の基準からしてもひどすぎるって気がするからな」
「ううん。アレン、あんたにはきっと口で言ってもわからないでしょうけど……金で買える物を気前よくくれる恋人より、お金では買えない経験を数え切れないほどさせてくれる恋人のほうがどんなにいいか知れないわ。しかもあんた、いつまでたっても卑屈に『俺が金持ちだったらもっとああしてやれるのに』とか、そんなことしかわたしに言わないんですものね。謙虚にもほどがあるわ」
そう言ってミランダは、この時お酒かマリファナ、あるいはその両方で機嫌がよくなったとでもいうように、相変わらずくすくす笑っている。
「そりゃあな、謙虚にもなるさ。俺……ミランダと出会ってつきあうようになってから、人生にいいことしか起きてない気がするくらいなんだから。青い鳥っていうのは、自分から追いかけると必ず逃げていくもんだろ?でも、滅多にない確率で人生には、どんな人にも最低一度くらいは――青い鳥が向こうからやって来て、『暫くそばにいてやってもいいけど?』なんてことがあるものなんだろうな」
「ふうん。それでいくとわたしはあんたのブルーバードってわけ?」
「そうだな。情熱的って意味では間違いなく火の鳥か不死鳥ってとこなんだがな。まあ、炎は赤いのより、青いののほうが温度が高いというものな」
「まあ、アレンのいいところは、自分の本当の値打ちってものをよくわかってないことなのかもしれないわね。とにかく、あんたはこれからベストセラー作家にでもなって、わたしが十分贅沢できるくらい、お金の稼げる有名人になってちょうだい。もっともわたし、アレンとなら仮にど貧乏でも結構楽しくやってけるんじゃないかとは思ってるんだけどね」
「う~ん。ベストセラー作家とやらはまずもって難しいが、それでも俺、基本的に働くってこと自体が好きだからな。おまえのためなら……それか、ミランダの欲しいもののためなら、その目標金額のために馬車馬の如く働く一生ってのでも、全然構わないとは思ってるよ」
時々、ミランダは本当にアレンに驚かされることがある。本当に時々、何気ない調子で自然に――女が一番言って欲しいと思う言葉を彼が口にしてくれることに対して。
「ふふっ。あんた、いまだにわたしのこと、本気でつきあったら金のかかる女だと思ったまんまなのね」
「違うさ。ただ、ミランダがど貧乏男の基準に喜んで合わせてくれるにしても……むしろ、喜んでそうしてくれる女だとわかっていればこそ、そんな女にはなんの苦労もない贅沢な暮らしをさせてやりたいと思うっていう、男ってのは誰しもそんなものなんじゃないかね」
(心から愛している女になら、それが当然ってもんだ)とまでは、流石にアレンにも照れくさくて言えない。そして彼にしても、今では時々ふとこう思うことがあった。家のしがらみのようなものから一切解放されて、ミランダと結婚できたのちは、自分たちの家庭のこと以外では一切煩わされたくないと……。
「ふうん。だけどアレン、苦労のない人生なんてないわ。ただわたし、あんたと一緒にいるとね……時々こう思うの。普通の人から見れば標準以下の暮らしだったとしても、わたしたち、そんなことも大して苦労とも感じずに、割合楽しくやってけるんじゃないかしらってね」
「そうだなあ。俺の甘い見通しとしてはな、末っ子のショーンが大学に入るか社会人になるかする頃には……ウォーカー家の家計の負担ってのも相当楽になってるんじゃないかと思うわけだ。あと、そのためには二番目の弟の自立ってことも大切になってくると思ってて……」
「一番下のショーンくんって、今高校一年生なんでしょう?あんた、一体何年わたしを待たせる気!?」
ミランダは冗談めかして凄んで見せたが、そんなのはただのポーズだとアレンにしてもわかっている。それで、彼も煙草を消すともう一度ベッドに潜り込んで笑った。
「だからさ、つまり……弟がそのうちこっち来たら、そこらあたりの面倒も見てやらなきゃならないと思ってるんだ。もちろん、ポールにそんな言い方をするつもりはないにしても、あいつが自立して一人でやってかれるようなら、俺も安心してミランダと心おきなく結婚できると思ってさ」
「じゃあ、そのあたりの解決がついて、わたしがあんたのガールフレンドとして弟くんに紹介してもらえたとしたら……わたしのほうでもそのポールくんに愛想良くしなきゃなんないわね。だって、将来家族になるかもしれないんですもの。第一印象ってのは大切だわ」
「まあ、弟は俺に似て照れ屋だからな。ミランダみたいな美人、見ただけでびっくりしちまって、ろくに口も聞けないかもしれんが……そういうことなんだと思って、態度が多少失礼に見えても気を悪くしないでくれ」
「ふふっ。一体どこの誰が照れ屋よ?」
恋人の太い指の感触を太腿に感じて、ミランダは笑った。この時も彼らは幸せだったし、翌朝、朝食を一緒に食べて、まるきり新婚の妻よろしくアレンを仕事へ送りだしたあと――部屋の掃除をしている間も、ミランダは幸せだった。何よりこの場所は、彼女にとってとても居心地のいい避難場所だった。夏休みの間、姉のシンシアと妹のリンジーが実家のほうへ戻ってきているせいか、ミランダは家にいるより、アレンとふたりでこの部屋にいる時のほうが、ずっと機嫌よく過ごすことが出来ている。また、姉や妹の退屈なおしゃべりにつきあったり、あるいは母も交えた口論になっているような時も……(あとでアレンと会って、彼に話を聞いてもらおっと)と、そう思えるだけでミランダは、今までならば決して言い負かされまいと頑固になったところを、自分でも驚いたことには、勝ちを譲ることまで出来るようになっていたのである。
実際のところ、姉のシンシアも妹のリンジーも、『あのアレンって人とつきあうようになってから、ミランダ変わったんじゃない?』と、彼女のいないところで話しているくらいだった。また、ミランダの父エミリオも、母ルキアも、アレンが娘にいい影響を与えているようだと見てとり、驚くほどの勤労青年ということも無論あっただろうが、『ミランダはああいう青年と結婚したら、きっとうまくいくんじゃないかね』と、ふたりの仲を親として認めているくらいだったのである。
さて、こうして見ていった場合、アレン・ウォーカーとミランダ・ダルトン、この恋人同士の仲を引き裂ける者など誰もいない……というところだったかもしれないが、アレンが本を出版するというあれこれに関係して――ふたりの間で思ってもみなかったことには、そのことで今後彼らは、恋人同士としてひとつの試練をくぐり抜けるということになるのである。
>>続く。