大阪・京橋 カンタービレ声楽教室のブログ

レッスンの話題を中心に書いています。

緊張する!こんな時は…

2018年02月13日 | 音楽
マニフィカ カンタービレ声楽教室



発表会まであと少しになりました。

発表会前の最後のレッスンを迎えた生徒さんもいらっしゃいますが、何人かの方にこんな質問をされました。



「出番前の緊張している時って何を注意したらいいですか?!」




全く緊張しない!という強者もいますが(知り合いにいるんです、羨ましい!)、緊張してしまうというお声の方を良く聞きます。

こうして書いている私も緊張する方ですが、なぜかしら、「全く緊張しているように見えない」と言われます。

なんでかなー?といつも思うのですが、それはさておき、緊張してもいつものようにパフォーマンスができればそれでよいと思うのです。

では、いつも通りにパフォーマンスをするにはどうするか?



私はレッスンで下半身をよく使うことをとても大事にしています。

その中で足の裏のことを話題にします。

さて、舞台裏、自分の出番が迫ってきました。

舞台裏なので、そんなにたくさんのことはできないかもしれないけど、まずは足の裏がしっかり地面についているか確かめて下さい。

浮いてないかな?

靴の中で足の指を動かしてみるのもいいですね。

後、片足立ちでバランス、レッスンでやりますよね?

これも効果ありますよ。

最後に、深呼吸をするといいといいますが、それにもう一つ付け加えます。

「吸う」から始めるのではなくて、「吐く」から始めて下さい。

吐いて吐いて吐き切ったら、勝手に息は肺に入ってきます。

緊張してアップアップしてしまう人は吐くことを第一に考えてみて下さい。

歌い出す前も緊張するようだと息を吐きながら前奏を聴いていてもいいかもしれませんね。

吐いたら勝手に息は肺に入りますから。



それと、緊張って悪いことじゃないです。

適度の緊張はいつも以上の力を発揮してくれることもあります。



とはいえ、緊張するものは緊張するし、しないに越したことないって思う方もいるかもしれない。

自分が本番を踏んできて思うのですが、どんなに緊張しても本当に身についていることは勝手に自動再生されるし、普段できないことが急にできるなんてことも(あんまり)起こらないし、逆にやろうとする方が難しい。

9月末から生徒の皆さんと発表会に向けて取り組んできましたが、どの方も素晴らしい仕上がりになっていると思います。

なので、ありきたりの言葉かもしれませんが、自信をもって本番に臨んでほしいなと思います。




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レッスンに関することで

2016年02月16日 | 音楽
マニフィカ カンタービレ声楽教室



レッスン中に私が歌うことについて少し書きたいと思います。



私がレッスンの中で歌うということは、私が歌うことで生徒さんの歌を良くするのに効果があると考えるからで、例えば歌わないのがもったいぶっているとか、出し惜しみをしているという訳ではありません。

歌わない時の理由の一つとして例を挙げるなら、声真似になる危険性を考えていることがあります。

これは私の経験ですが、ドランマーティコの先生と私の声は違うのに、先生の声の大きさや厚み、豊かさまで真似をしようとしてしまってうまくいかなかったことがあります。

だけど、真似はあくまで「どのように声を出しているか」という部分だけを聴かないといけません。

(テノールのドミンゴも同じようなことを言っていました。動画を見た当時は「ふ~ん」という感じでしたが、今ならすごく分かります。)

でもそれが曖昧だと、生徒さんが持っている問題点の解決にならないことがあります、私のように。

私が歌わない、声を使わない場合の理由の一つです。

後は生徒さんの歌の表現を邪魔すると思った時かな…。

あくまで生徒さんの歌を歌ってほしいと思うので、私が歌ってしまうと「私の歌になる」と思う時には控えるようにしています。



自分自身が高校時代からこの年まで歌を勉強していく中で、「声」に対するイメージはどんどん変わっていきました。

昔はもっと苦労して、というか頑張って出すものだと思っていました。

でも、今は生徒さんに頑張るなというくらいです。

このイメージ一つ違うだけで、声は全く変わります。

私が声を出して生徒さんが分かることもある、もちろんその通りで、その為に私もレッスンで声を使います。

しかし、そのタイミングは人によって違います。

私はやっぱりその方に一番効果的な時に使いたいと思います。

そうですね、通っている生徒さんもこのように言われるとお気づきかもしれませんが、レッスンの最初は身体の調子を整えて、少し歌いやすくなってから一緒に歌ったりしますよね。



それと、もう一つ書いておきたいことがあります。

分からないのはそんなによくないことでしょうか。

逆に全て分かるレッスンって、どうなのかな…。

もちろん、何年も一緒に勉強してきて何度も言われ続けているから理解していることもあると思いますが(この場合には調整という感じになるかと思いますが)、新しいことを勉強しているのに分からないことがよくないことだと判断するのはどうでしょうか。

私がイタリアに行ってレッスンを受けている時も、毎日新しいことだらけで、分からないまま言われたことをとにかく繰り返していました。

これで先生の言っている道から外れていないだろうと思って練習していっても、次のレッスンで直されることなどざらでした。

行きたい先は決まってても、先生がどんな道順で案内してくれるかなんて、道を遠く過ぎてから見返してみるまでは分からないということもあるんではないかなと思います。

というか、そんなのばっかりです。



ただ、この分からない道を分からないままに進むというのは、「先生を信じていないとできない」と言うことはできます。

以前のブログで同じようなことを書いたことがあるかと思いますが、こういう理由もあって、この先生なら信頼できそうとか、話をちゃんと聴けそうだと思える、という風でないと、いいレッスンにはならないと思いし、私も結局教えられないんですよね。

そうだな、目隠しされている時に手を引いてもらう、そんな感じにも似ているかもしれませんね。

なので、レッスンって本当に生徒さん主体のものであるとも言えます。

だから私にできることというと、信頼に足る先生であるように常に自分磨きだなーと思います。



こういうことを考えると結局ここに行き着くなー、「自分磨き」(笑)




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音のイメージ

2016年01月29日 | 音楽
マニフィカ カンタービレ声楽教室



先日からしばらくコーラスのお手伝いをすることになりました。

そのコーラスの中で気が付くことがありました。

それがタイトルにある「音のイメージ」ということです。



今まで日本にいる時に周りから聴こえてくる音とイタリアにいる時に聴こえてくる音との差を感じていたのですが、第三者に伝える時にはっきりとした形で伝えるところまでいっていませんでした。

ところが、普段と違う形で声であったりピアノの音を聴くことができたので、すごくいいアイデアを得ることができました。




同じオペラなのに、なんだかイタリアだとかヨーロッパの方の声と違うと感じることありませんか?

技術的なことは置いておいて下さいね。

私がはたっと思ったのは、なんだかな~と思う歌の原因の一つとして、音に対して二次元的なイメージを持っているのでは?と感じたのです。




日本の照明はダイレクトに照らすのに対してイタリアは間接照明といったように、多くの日本人の音のイメージは線であって、イタリアの音は空間全体が響くというか、そうですね、例えば前に歌手がいたとしても音は彼女から直接届くのではなく、周りの空気全体から聞こえるのであって、まるで皮膚全部で聞くような感じというか。




上手な例えになっているでしょうか。

ただですね、前者のようなイメージと後者のイメージを持っている場合に出る声というのが変わってくるというのはご想像頂けるでしょうか。

コーラス指導に参加して強くそんなことを感じました。

そういうのもちゃんと生徒の皆さんに伝えていきたいな。

ちょくちょくこのブログでも書いていますが、イメージは大事で、イメージ一つで全てがひっくりかえるといっても過言ではないかもしれません。





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教えること、学ぶこと

2015年12月07日 | 音楽
マニフィカ カンタービレ声楽教室



カンタービレ声楽教室も産後2年間のお休みを含めて考えると8年、でもその前から個人的に教えていたので、「先生」と皆さんに呼んで頂くようになってそこそこの年数を経たなと思います。

声楽という世界に足を入れたことを考えると…人生の半分以上の年数を越しちゃってるなー(苦笑)

産後、教室を再開してからというもの、自分の歌に関して大きく色々なことが変化しました。

2015年より前から始まったことでしたが、ここ一年は特に自分の心の中に大きなことが起こりました。

自分の歌が変わるということで、基本的な考えが変わった訳ではありませんが、教えることについても見えてくることが拡がったように思います。



そんな中で時々「教える」ってなんだろうなーとふと考えます。

私はHPにあるように、「その方が自由に歌えるお手伝いをしたい」、その気持ちが変わったことはありません。

ただ、私の思うその方の「自由」と相手の方の思い描く「自由」の形は往々にして違うことがあると思うのです。



どちらかが正解で、どちらかが間違いとは思わないのですが、「レッスンする」という時に私が伝えられるのは私自身の中にあるものだけな訳です。

では、その私の中の物ってどういう時に伝わるのかというと、生徒さんが受け止めてくれる時、とも言えるんですよね。

もちろん、「私が伝わるように伝える」っていうことを忘れている訳ではないですよ。

だけど本当に思うんです。

受け止めて下さるから、なんだなと。



このニュアンス、伝えられているかなぁ…。



私も先生歴より生徒歴の方が長く、生徒の立場にもなるから言うんですが、一度まな板の上の鯉になることが大事なことの一つというか。

本当に目の前の先生の持つ何かを得たいと思うのなら、まずは得た物を飲み込む前に取捨選択するのではなく、全てを飲み込む。

これが必要だと思うのです。

だって、今の自分にはいらないものに見えても10年後の自分には必要なものかもしれませんよね?

だから今の自分が判断するのではなく、とにかくストックしておくんです。捨てないで。



これって、できる人には簡単かもしれませんが、できない人には結構な壁だと思います。

まな板の鯉って腹の中も見せろって言っているようなものですからね。

だけど、特に表現することを生業にしようという方には絶対に必要だと思います。

先生に見せられない人が舞台でさらけ出すことができるのでしょうか?

受け取れない人が観客の心を得ることができるか、という風にも言えないでしょうか?



生徒としては相手を信頼することが必要ですし、逆に信頼できない先生からは、その先生がいくらえらい先生であっても、得る物は少ないか全くないと言っても過言ではないかもしれません。

逆に先生という立場で考えると、受け止めてくれないと何も伝えられません。



なので、意外と「先生」というものは何もできないものなのかもしれません。

生かすも殺すも「生徒」次第かと。

(余談:「自分の先生を選ぶ」というのもすごく大事な作業ですが、これも「生徒次第」ですよね。)



それでも考えるのは、信頼したくなる、受け入れてみたいと思わせるような何かのきっかけを産む先生にはなれるかもしれないな、と。

自分自身の歌が変わってきてものすごく前進しているんですが、その中でこういうことを考えさせられる出来事があり、先日、娘に相談したのはこのことだったんですが(もちろん噛み砕いて話しましたよ)、結局ここに戻ってくるんですよ。

歌うしかないって。(そう、だから娘はものすごく私を分かってくれている。)

あ~、歌って私の人生を作ってくれている。大好きだ~っ!



生かすも殺すも生徒(私)次第って言葉は皆さんに書いているようだけど、自分に言っています。

もっともっと自分は歌えると思っていて、とにかくこの欲が半端ないです。



と、たまにこんな熱くて真面目なことも考えているのですが、レッスンではとにかく楽しく歌いましょうね!




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体が資本ですもの

2015年04月14日 | 音楽
マニフィカ カンタービレ声楽教室



最近日常の話ばかりだな~と思いましたので、ちょっと声楽教室のことを書いてみようと思います。

おそらくこのブログを読んで下さっている方はHPを一度は見て下さっているのではないかなと思います。

私は発声に悩んだ時期が長く、歌が好きなのに歌いたい歌が歌えない日々を送っていましたが、イタリアのオペラ歌手Maddalenaに出会って以来、歌の世界が変わりました。

そういう自分の経験から、自分が歌える喜びを伝えられるようになったら最高だな~と思って声楽教室を開きました。



教室を開いて最初の頃は、とにかく習った技術をそのまましっかりと伝えることが大切だと思って、熱く、いえ、無駄に暑苦しい感じで頑張っていました(苦笑)

そんな中でも、「あれ~???」と思ったことがありました。



「生徒さん達は真面目にやろうとしているのに、同じことを言っても出来る人もいれば出来ない人もいる。」



要するに、言ったことを正確に解釈できているかという問題ではなく、正しく理解していてもできないことがある、ということです。

そうして推測できたことは、体に個体差があり、また生活をしていてそれぞれに持つ癖や使い方があるということ。

実際に現在は体のことも勉強しているのですが、体が楽器である限り、このことを切り離しては考えられないんだなと切実に思います。



そして更に思い至ったこととして、体を支配しているのはやっぱり思考であるなということです。

「歌」という手段を使って、自分や人の心を研究してるんじゃないかと今までも思ってきましたが、結局行きつく先もそういうことかという気がします。

…どんどん勉強したいことが増えます♪



ちなみに、今はあったかいくらいの気持ちでできている気がします。

熱いくらいならいいけど、無駄に熱いのはねぇ…(苦笑)



と、そんなこんなで、私としては体からのアプローチとイタリアで勉強してきたことを合わせてレッスンに活かしつつ、「あ~、今日のレッスン、良かった!」をたくさん作れたらいいなって思っています。



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