中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)108 「東京中心部南 591」 烏森神社

2021-05-05 22:47:12 | 東京中心 南

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 

 
烏森神社
 
地名の由来

烏森の地は、古くこのあたりが武蔵の国桜田村と呼ばれていた時代には、江戸湾の砂浜で、一体は松林であった。その為当時この地帯は「枯州の森」あるいは「空州の森」と言われていた。しかもこの松林には、烏が多く集まって巣をかけていた為、後には「烏の森」とも呼ばれるようになった。それが烏森という名の起こりである。明治以降昭和7年まで町名として使われていたが、その後新橋に改められ、今ではJR新橋駅の烏森口としてその名をとどめている。

 

神社の創始

平安時代の天慶3年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与えた。その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが、烏森稲荷の起こりである。

 

神社の隆昌

明暦の大火(世界三大大火の一つに数えられる俗名 振袖火事)が起こった際、江戸市中は焼け野原となり、もちろん当社の周辺も大方焼けてしまった。ところが烏森稲荷社だけは不思議にも類焼を免れたのである。これは神威の致すところと考えられ、以降当社に対する信仰は日に日に厚くなっていった。
また、椙森神社(日本橋)柳森神社(神田)と併せ「江戸三森」として古くから崇敬されている。明治6年にはこれまでの烏森稲荷社の社名を烏森神社と改め、新橋烏森の守り神として多くの人々の信仰を得ている。昭和46年には御社殿を造営し現在に至っている。

 

 

20181228 東京南    木遣り塚

東京都港区新橋      

烏森神社    その1  

 平安時代の天慶3年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与えた。その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが、烏森稲荷の起こりである。  烏森の地は、古くこのあたりが武蔵の国桜田村と呼ばれていた時代には、江戸湾の砂浜で、一体は松林であった。その為当時この地帯は「枯州の森」あるいは「空州の森」と言われていた。しかもこの松林には、烏が多く集まって巣をかけていた為、後には「烏の森」とも呼ばれるようになった。それが烏森という名の起こりである。明治以降昭和7年まで町名として使われていたが、その後新橋に改められ、今ではJR新橋駅の烏森口としてその名をとどめている。 

 

 

 

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