このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です
この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp
参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ) https://blog.goo.ne.jp/sosamu25
「お江戸巡り」
神田からお茶野水・ 湯島天神の旅
神田は庶民の町でありながら、老舗料理店・居酒屋なども健在な場所。路地を散策しながらお茶の水界隈を目指します。鉄道博物館の跡地には、新たに整備されたショッピング街もあり、間近で鉄道も見ることができます。お茶の水の学生街の雰囲気にしたりながら、神田川を渡り、湯島聖堂まで足を伸ばしてみましょう
神田駅-(路地・ガード下散策)-スズラン通り-淡路町-「神田・淡路町で昼食」-ニコライ堂「見学」-お茶の水駅「聖橋」-湯島聖堂「参拝」-神田明神「参拝」
20181113 東京北・見学
東京都文京区後楽
シビックセンター
文京区役所(ぶんきょうくやくしょ)は、特別地方公共団体(特別区)である文京区の組織が入る施設(役所)である。
本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に1999年11月に完全竣工。地上28階・地下4階、高さ142m 。東京23区の区役所の中では(庁舎単体では)最も高い建物である。中でも高速シースルーエレベーター10基があるのが最大の特徴である。
前区役所の老朽化をふまえ地上28階地下3階、総工費816億円の新庁舎建設が公示された。 1994年に第1期工事(高層棟)が竣工し、さらに、5年後の1999年に第2期工事文京シビックホール(低層棟)が完成し、完全竣工となった。
20161027 東京北 見学
東京都文京区本駒込
文京区区役所
シビックセンター
文京区役所(ぶんきょうくやくしょ)は、特別地方公共団体(特別区)である文京区の組織が入る施設(役所)である。
本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に1999年11月に完全竣工。地上28階・地下4階、高さ142m 。東京23区の区役所の中では(庁舎単体では)最も高い建物である。中でも高速シースルーエレベーター10基があるのが最大の特徴である。
前区役所の老朽化をふまえ地上28階地下3階、総工費816億円の新庁舎建設が公示された。 1994年に第1期工事(高層棟)が竣工し、さらに、5年後の1999年に第2期工事文京シビックホール(低層棟)が完成し、完全竣工となった。
熊谷カルチャーセンター
「お江戸巡り⑦
第21回 神田川のたび①
(山手線内を神田川沿いに縦断)
平成27年6月12日(金)
集合:江戸川橋駅(改札口)出口10時
新江戸川公園「散策」-江戸川公園(わき水)-神田上水の標識-水道道-(寺町見学)-印刷博物館「見学」-小石川後楽園「散策」-水道橋駅-神田上水縣樋の跡-神田給水所公苑「散策」-東京都水道歴史館-お茶の水-萬世橋「肉の万世」-秋葉原-(ガード下ニューショップ)-御徒町-(アメ横散策)-上野
解散:秋葉原駅 15時
文京シビックセンター
スカイレストラン椿山荘 二段重膳
2400円(ワンドリンク付)
一段目: 前菜 お造り 果物
二段目: 煮物 焼物 揚物
温 物: 茶碗蒸し
食 事: 御飯 止椀 香の物
礫川公園
小石川台地の東端に造られた公園で、東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅の北側に位置し、周辺には小石川後楽園、東京ドーム、中央大学、文京シビックセンターなどがあります。かつてこの一帯は軍用地でしたが、戦後、都営住宅・中央大学・戦没者慰霊堂・公園用地に分割されました。昭和39年、東京都が公園を造成し、翌年、区に移管されました。 公園は、高低差をいかした3段の構造で、下段は2本の大きなケヤキを中心にした広場です。中段は池と花壇のある憩いの空間で、後楽園駅の位置口と直接つながっています。上段はブランコや健康器具のある遊び場になっています。中段と上段をつなぐ階段には、高さ10mに及ぶカスケードがあり、公園のシンボルになっています。イタリア・ルネッサンス様式を参考に、垂直に立つ鉄平石張りの壁面に造られています。水を吹き出すブロンズの獅子や羊の彫刻と、ローズマリーの植栽が、西欧の雰囲気を放っています。
このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。 コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。
現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。
参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ
湯島聖堂
徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。
明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。
神田明神
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。
江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。
明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。
明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。
20180628 東京北 史跡
東京都文京区湯島
湯島聖堂
湯島聖堂(ゆしませいどう)は、東京都文京区湯島一丁目にある史跡。江戸時代の元禄3年(1690年)、江戸幕府5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となった。JR中央線の御茶ノ水駅聖橋口からでて、聖橋を渡り右手の森の中にあり、「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。 湯島天満宮(湯島天神)とともに、年間(特に受験シーズン)を通して合格祈願のために、参拝に来る受験生が訪れる。特に、合格祈願の鉛筆を買っていく受験生の姿が多く見受けられる。国の史跡に指定されている。 1690年(元禄3年)、林羅山が上野忍が岡(現在の上野恩賜公園)の私邸内に建てた忍岡聖堂「先聖殿」に代わる孔子廟を造営し、将軍綱吉がこれを「大成殿」と改称して自ら額の字を執筆した。またそれに付属する建物を含めて「聖堂」と呼ぶように改めた。翌1691年(元禄4年)2月7日に神位の奉遷が行われて完成した。林家の学問所も当地に移転している。
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