中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)90 「東京中心部南 574」 麹町近辺マップ

2021-04-09 06:20:18 | 東京中心 南

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

「紀尾井町」の名の由来をご存じだろうか。江戸時代、この地に紀伊徳川家、尾張徳川家、彦根藩井伊家が屋敷を構えていたため、その一文字ずつをとって付けられたという。そんなことからわかるように、この界隈は旧大名屋敷街。屋敷の跡地を訪ねつつ、江戸の面影に触れる散歩に出てみよう。
四ツ谷駅にほど近い上智大学。インターナショナルなイメージの大学だが、実は尾張徳川家の中屋敷があった場所。紀尾井坂の向こうは、ホテルニューオータニ。加藤清正の下屋敷から彦根藩井伊家の中屋敷へと引き継がれ、見応えのある日本庭園には清正時代の石灯籠や樹木も残る。向かいのグランドプリンスホテル赤坂は、紀伊徳川家の中屋敷跡。江戸とは関係ないが、敷地内に昭和5年築の旧李王家の屋敷があり、現在ホテルの旧館として使われている。
また、このエリアはアップダウンが激しく坂も多い。その名称にも屋敷の名残りが垣間見られる。諏訪坂は、諏訪氏の屋敷が名の由来。東京でも代表的な坂のひとつで景勝地と知られる三宅坂は、近くにあった田原藩三宅家の上屋敷から。坂と出合ったら、その由来を想像してみるのも楽しいだろう。

JR・地下鉄四ツ谷駅麹町口スタート → 麹町六丁目交差点で55ステーションの角を曲がる → 清水谷公園で大久保利通の哀悼碑を見学 → 弁慶橋を渡り赤坂見附交差点を右手に見ながらグランドプリンスホテル赤坂方面へ → オフィスビルやマンションなどに隠れるように立つ平河天満宮を参拝 → 半蔵門周辺から桜田濠と半蔵濠の眺望を楽しむ → イギリス大使館を回りこみ日本カメラ博物館見学 → ダイヤモンドホテルの金剛飯店でランチを → 地下鉄半蔵門線半蔵門駅3番出口ゴール

 

 

霞が関・永田町の一帯は、国会議事堂が鎮座する国の政治の中心地。官公庁ばかりの街を歩いても楽しめるの?と思われるかもしれないが、心配することなかれ。これがなかなか散歩しがいのある街なのだ。
官庁街のメインストリートとも言うべきは桜田通り。警視庁に総務省、外務省に農林水産省などと官庁舎のオンパレードで、「おお、これがあの○○省か!」とミーハー心もちょっぴりうずく。建物はドカン、ドカンとひとつひとつが大きく通りも広い。おまけに、ビル密集地帯ではないので、意外に空が大きい。ところどころで警備の目が光る物々しさもあったりする。東京の中心で、非日常感とスケール感が味わえるのが面白い。
ただ外から眺めるだけじゃなく見学や体験ができる庁舎・施設も多々ある。国会議事堂や警視庁は事前の申し込みで館内を見学できるし、文部科学省情報ひろばは気軽に入れる展示室やラウンジが、農林水産省では食にこだわった食堂が入館証なしで一般利用できる。緑豊かな憩いの国会前庭には、国会の組織や仕組みを学べる憲政記念館だってある。大人の社会科見学気分で巡ってみたい。

地下鉄永田町駅・赤坂見附駅ベルビー赤坂口スタート → 赤い鳥居がびっしりと並ぶ階段を上って日枝神社へ参拝 → 国会議事堂の裏側に出て参議院側に回り国会議事堂見学。見学後は正門から出るので、そのまま信号を渡り国会前庭へ。見学しない場合は回りこんで国会前庭へ → 桜田濠の絶景を満喫 → レンガ造りの法務省旧本館見学 → 中央官庁街を通り抜け霞が関ビルと霞が関コモンゲートエリアへ → 外堀通りを陸橋で渡ってフリーカフェ播磨屋ステーションで休憩 → 地下鉄銀座線虎ノ門駅3番出口ゴール

 

 

番町・九段

東京に文人が多く暮らした街は数あれど、このエリアほど密集した場所は他にはないかもしれない。かつて明治、大正、昭和の作家や芸術家たちが住み、文化の発信地となっていたという。
その中心というのが、四ツ谷駅から新宿通りを少し行った左手にある、通称、番町文人通り。大妻通りに突き当たるまでの1kmほどの道には、島崎藤村をはじめ、名だたる文人たちの旧居跡がズラリ。藤田嗣治や川喜多半泥子(はんでいし)など芸術家も暮らしたという。主な住民はざっと14人。日本テレビ通りとの交差点には各場所を示す案内プレートも設置されるので、チェックしてみればその豪華なラインナップに驚くはず。それぞれの人物が暮らした年代は違うが、ここで寝起きをし、語り、歩いていたかと思うと、文学ファンならずとも感慨深いものがある。
文学散歩のあとは、外濠のほうへ出てみよう。JRの車窓からも目にできる大きな釣り堀で魚釣りに興じたり、堤の上の外濠公園では視界の開けたのどかな景色を眺めて、の~んびり。靖国神社では緑深く広々とした境内と美しい庭園に心癒される。思わず都心であることを忘れてしまいそうだ。

JR・地下鉄四ツ谷駅赤坂口スタート → 四谷見附橋アトレ側歩道を、聖イグナチオ教会を眺めながら歩く。空も道も広々としている → カフェ・ド・クリエの角を曲がり番町文人通りへ → 日本テレビ麹町分館を回りこむように歩き、食事処でランチを → 東郷元帥記念公園から関東大震災後に建てられたモダンな九段小学校校舎を外から見学 → 市ケ谷橋を渡り市ヶ谷フィッシュセンターで釣り三昧 → 外濠公園の堤の上を歩く。春は桜が美しい → 靖国神社南門 → 靖国神社の神池庭園でひと休み → 地下鉄九段下駅1番出口ゴール

 

 

 

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散策(案内)89 「東京中心部北 627」 六義園

2021-04-08 07:01:51 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

六義園
概要
 元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉から与えられたこの地に、柳沢吉保が、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水(かいゆうしきつきやませんすい)庭園」を造りました。ここは平坦な武蔵野の一隅だったので、庭を造るにあたり池を掘り、山を築き、千川上水の水を引いて大泉水にしました。
 六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっています。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来します。
 庭園は中の島を有する大泉水を樹林が取り囲み、万葉集や古今和歌集に詠まれた紀州(現在の和歌山県)の和歌の浦の景色を始め、その周辺の景勝地や中国の故事にちなんだ景観が映し出されています。
 庭園は明治時代に入って三菱の創業者である岩崎家の所有となり、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されました。なお、昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されました。
特徴
六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられ た駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。
庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。

 

 

 

20161027  東京北 見学
東京都文京区本駒込
              六義園
  造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられておりました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられ た駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。
庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊谷カルチャーセンター
                          熊谷から行く東京散策①
                                    東京(江戸)の街を違った角度から散策してみませんか

第2回 巣鴨駅から上野駅まで,ツツジ・庭園を巡るたび

 「とげ抜き地蔵で厄払い、ツツジを堪能し下町(谷中)を堪能する旅」 

平成25年5月10日集合 集合:巣鴨駅10時  解散:上野15時
巣鴨駅-巣鴨「とげぬき地蔵・巣鴨銀座散策」-巣鴨駅-六義園・庭園-「巣鴨」-(地下鉄移動)-「東大前」-東大構内歴史的建造物でランチ「フレンチ」-東大散策(三四郎池等)-根津神社「ツツジ」-千谷界隈「下町情緒の散策」-(日暮里)-上野公園(忍蓮の池・上野の森公園)-上野駅解散
○東大校舎内のおしゃれな建物で昼食とします「カメリア(フランス料理)1500円」
○希望者は解散後「アメ横(裏路地)散策」を企画いたします。

 

 

 

 

 

 

20140513  東京中心北・ツツジ
東京都文京区駒込
              六義園
 元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉から与えられたこの地に、柳沢吉保が、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水(かいゆうしきつきやませんすい)庭園」を造った。平坦な武蔵野の一隅だったので、庭を造るにあたり池を掘り、山を築き、千川上水の水を引いて大泉水にしている。
 六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっている。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来しているらしい。
 明治時代に入って三菱の創業者である岩崎家の所有となり、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開された。昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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散策(案内)88 「東京中心部北 626」 龍閑橋親柱

2021-04-07 06:32:15 | 東京中心 北

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龍閑橋親柱

JR神田駅の南口を出て外堀通りにぶつかったところが竜閑橋の交差点だ。かつて神田区と日本橋区の境となっていた龍閑川は昭和23年(1948)4月に戦災の残土で埋め立てが開始され同25年3月に埋め立てが完了したため橋は必要なくなってしまったが、交差点に名前をとどめている。(菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編(補訂版)』之潮(コレジオ)2010年を参照)  交差点の脇の緑地の中に、取り外された龍閑橋の親柱と橋の一部が保存されている。その遺構の前に黒御影石の碑が建てられていて、表面に説明が彫られている。

竜閑川(りゅうかんがわ)は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。竜閑は龍閑とも書かれる。竜閑川は日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。

 

 

20170527 東京南東 見学 ツツジ
東京都千代田区神田             
日本橋・神田界隈
 1947年に神田区が麹町区と合併し千代田区が発足する際、神田区内の町名にはすべて「神田」を冠称する町名変更がなされた(例、神保町を神田神保町に、岩本町を神田岩本町に変更。ただし、既に「神田」の名称が付いていた東神田と西神田は町名変更されなかった。一方、麹町区内の町名については変更はなかった)。神田区の名前が消滅することを惜しむ住民の声に行政が応えたとも、麹町区と神田区に同じ町名(平河町)が存在するための便宜上の措置だったとも言われる(ただし、過去には「神田」を冠称する町名と冠称しない町名が混在しており、「神田」を冠称するものについては1911年にすべて省く町名変更が行われた。したがって、神田を冠称する町名が千代田区発足時にはじめて誕生したわけではない)。

 

 

 

 

20170429  ツツジ
東京都中央区日本橋本石町
        龍閑橋親柱
 JR神田駅の南口を出て外堀通りにぶつかったところが竜閑橋の交差点だ。かつて神田区と日本橋区の境となっていた龍閑川は昭和23年(1948)4月に戦災の残土で埋め立てが開始され同25年3月に埋め立てが完了したため橋は必要なくなってしまったが、交差点に名前をとどめている。(菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編(補訂版)』之潮(コレジオ)2010年を参照)  交差点の脇の緑地の中に、取り外された龍閑橋の親柱と橋の一部が保存されている。その遺構の前に黒御影石の碑が建てられていて、表面に説明が彫られている
 竜閑川(りゅうかんがわ)は、東京都中央区および千代田区にかつて存在した河川である。竜閑は龍閑とも書かれる。竜閑川は日本橋川より千代田区と中央区の区界に沿って北東に向かい、東神田付近から直角に折れ、浜町川を経て箱崎川、隅田川へと抜ける人工の堀であった。明治の掘割の際に神田川への流路も掘割されている。

 

 

 

 

 

 

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散策(案内)87 「東京中心部北 625」 野球殿堂博物館

2021-04-06 05:12:02 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

野球殿堂博物館

野球殿堂博物館(やきゅうでんどうはくぶつかん)は、日本野球専門博物館、それを運営する公益財団法人。法人名は、公益財団法人野球殿堂博物館東京都文京区後楽東京ドーム内に所在し、館内には野球殿堂などがある。

 

1959年6月12日に「野球体育博物館」(やきゅうたいいくはくぶつかん)の名前で開館。「財団法人野球体育博物館」により運営されてきた。公益法人改革により、2013年4月1日付けで「公益財団法人野球殿堂博物館」に法人改組され、施設名も冒頭の名称に変更された[1]

同財団の役員は、プロ野球球団(NPB)のオーナーやアマチュア野球関係者らが務めており、理事長は、開館以来NPBのコミッショナーが兼務することになっている。2014年1月現在の理事長は斉藤惇

館内には、野球殿堂や資料展示室、図書室などがある。野球殿堂には、殿堂入りした選手や野球関係者の肖像レリーフが展示してある。図書室には、野球に関連する書籍・雑誌を約5万冊所蔵している。

また、太平洋戦争等で戦死したプロ野球選手の功績を讃えた鎮魂の碑の管理も行っている。

 

1956年(昭和31年)、プロ野球公式戦開始20周年記念事業として、野球博物館・記念館といったものを造ろう、という話が起き、また、1957年(昭和32年)に死去した、(株)後楽園スタヂアム第4代社長、田邊宗英の野球を始めスポーツに対する功績を記念する追善事業の計画があった。この2つの話が1つとなり、後楽園第5代社長、真鍋八千代正力松太郎らが音頭を取り、さらにプロ野球だけではなく、アマチュア野球界の協力を得て、日本野球界全体で運営する野球殿堂・博物館として誕生した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

20181113  東京北 見学
東京都文京区後楽
    野球殿堂博物館
 1959年6月に日本初の野球専門博物館として開館。1988年東京ドーム内に移転。野球界の発展に貢献し功労者として表彰された「野球殿堂入りの人々」の肖像レリーフを飾っている他、プロ・アマを問わず野球の歴史資料から話題性の高い資料を数多く収蔵・展示。収蔵品は実物及び写真を含め約4万点、又、野球その他のスポーツ関連図書を5万点所蔵している日本で初めての野球専門博物館です。
 1959年6月12日に「野球体育博物館」(やきゅうたいいくはくぶつかん)の名前で開館。「財団法人野球体育博物館」により運営されてきた。公益法人改革により、2013年4月1日付けで「公益財団法人野球殿堂博物館」に法人改組され、施設名も冒頭の名称に変更された。  

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナウィルスが終息すれば再開します。状況になって変化します。詳しくは問い合わせください。

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り25」 埼玉・茨城・栃木から東京を楽しむたび 修正

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉔」 埼玉・茨城・栃木から東京を楽しむたび 修正

埼玉・茨城から東京を楽しむたび 古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉓」修正 

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉒」 埼玉・茨城から東京を楽しむたび 修正202001

 

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉕」 埼玉・茨城から東京を楽しむたび 

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉔」 埼玉・茨城から東京を楽しむたび 

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉓」 埼玉・茨城から東京を楽しむたび 

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉒」 埼玉・茨城から東京を楽しむたび 

古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉑」 埼玉・茨城から東京を楽しむたび 

古河・上尾・小山カルチャーセンター 「お江戸巡り⑳」 案  埼玉・茨城から東京を楽しむたび 修正

古河・上尾・小山カルチャーセンター 「お江戸巡り⑲」 案  埼玉・茨城から東京を楽しむたび

古河・上尾・小山カルチャーセンター 「お江戸巡り⑱」 案  埼玉・茨城から東京を楽しむたび

古河・上尾カルチャーセンター 「お江戸巡り⑰」 案  埼玉・茨城から東京を楽しむたび 修正

古河・上尾カルチャーセンター 「お江戸巡り⑯」 案  埼玉・茨城から東京を楽しむたび

古河・上尾カルチャーセンター 「お江戸巡り⑮」 案  埼玉・茨城から東京を楽しむたび

古河・上尾カルチャーセンター 「お江戸巡り⑭」 新発見東京散策味街巡り 案埼玉・茨城から東京を楽しむたび「修正2」

古河・上尾カルチャーセンター 新発見東京散策味街巡り⑫⑬ 

 
 

20181109  東京北 見学
東京都文京区後楽
野球殿堂博物館①
 1959年6月に日本初の野球専門博物館として開館。1988年東京ドーム内に移転。野球界の発展に貢献し功労者として表彰された「野球殿堂入りの人々」の肖像レリーフを飾っている他、プロ・アマを問わず野球の歴史資料から話題性の高い資料を数多く収蔵・展示。収蔵品は実物及び写真を含め約4万点、又、野球その他のスポーツ関連図書を5万点所蔵している日本で初めての野球専門博物館です。
 1959年6月12日に「野球体育博物館」(やきゅうたいいくはくぶつかん)の名前で開館。「財団法人野球体育博物館」により運営されてきた。公益法人改革により、2013年4月1日付けで「公益財団法人野球殿堂博物館」に法人改組され、施設名も冒頭の名称に変更された。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一心金子 第27回(59)水道橋から後楽園界隈・江戸川橋(神楽坂界隈)を楽しむ旅 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART10 熊谷カルチャー

第27回(59)水道橋から後楽園界隈・江戸川橋(神楽坂界隈)を楽しむ旅 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART10 熊谷カルチャー

第27回水道橋から後楽園界隈・江戸川橋(神楽坂界隈)を楽しむ旅(59) 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART10 熊谷カルチャー

 

20181109  東京北 見学
東京都文京区後楽
野球殿堂博物館②
 1959年6月に日本初の野球専門博物館として開館。1988年東京ドーム内に移転。野球界の発展に貢献し功労者として表彰された「野球殿堂入りの人々」の肖像レリーフを飾っている他、プロ・アマを問わず野球の歴史資料から話題性の高い資料を数多く収蔵・展示。収蔵品は実物及び写真を含め約4万点、又、野球その他のスポーツ関連図書を5万点所蔵している日本で初めての野球専門博物館です。
 1959年6月12日に「野球体育博物館」(やきゅうたいいくはくぶつかん)の名前で開館。「財団法人野球体育博物館」により運営されてきた。公益法人改革により、2013年4月1日付けで「公益財団法人野球殿堂博物館」に法人改組され、施設名も冒頭の名称に変更された。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊谷カルチャー 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART18  修正

熊谷カルチャー 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART17  修正

熊谷カルチャー 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART16 修正 

 

東京散策&グルメランチ  「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART18 熊谷カルチャー

東京散策&グルメランチ  「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART18 熊谷カルチャー

東京散策&グルメランチ  「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART17 熊谷カルチャー

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東京散策&グルメランチ  「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART15   熊谷カルチャー

第37回成城から住宅。仙川を楽しむ旅「69」 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART14   熊谷カルチャー

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「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART12 東京散策&グルメランチ  熊谷カルチャー

「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART11 東京散策&グルメランチ  熊谷カルチャー

「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART10 東京散策&グルメランチ  熊谷カルチャー

「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART9 東京散策&グルメランチ  熊谷カルチャー

「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART7 東京散策&グルメランチ

「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART6「改訂」 東京散策&グルメランチ

熊谷カルチャー 「体験・建築・史跡散策とグルメランチ(老舗)」PART5 東京散策&グルメランチ①

 

 

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散策(案内)86 「東京中心部北 624」 目白・西池袋コース 歴史的建造物を巡る

2021-04-05 06:15:04 | 東京中心 北

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目白

豊島区西部に位置する。同区南長崎西池袋南池袋雑司が谷高田、新宿区高田馬場下落合と接している。東日本旅客鉄道山手線目白駅を中心とする。

巷間で言われる「目白」のイメージは、由緒ある高級住宅街で、一丁目のほとんどを占める学習院大学および三丁目に所在する尾張徳川家由来の『徳川黎明館』『徳川ビレッジ』、さらには隣接する新宿区下落合の歴史的背景に依拠するところが大きい。文教地域として知られ、近接する目白台と共に幼児教育の私塾が数多く存在する。殆どが住宅地であり、娯楽施設はほとんどない。

目白一丁目の大部分を学習院大学キャンパス(学習院大学、学習院中・高等科)が占める。また、目白通りを挟んで学習院向かい側の二丁目には、川村学園目白小学校がある。三~五丁目は目白通りを挟んで新宿区下落合と隣接している。

豊島区目白と田中角栄首相の私邸「目白御殿」や日本女子大学の所在する文京区目白台は異なる街だが、混同されることが多い。もっとも、両者とも元来目白不動尊の一帯の台地を「目白台」と呼称してきたことから生まれた地名ではある。

 

汎称地名としての「目白」は新宿区下落合も「目白」と呼ばれることがあり、椎名町西池袋といった目白からかなり離れた地域でも集合住宅名に目白を冠したものが存在する。

このうち新宿区下落合三丁目は明治時代に近衛氏水上氏相馬氏の旧華族の大邸宅が建ち、その後一般に分譲された現在の下落合二~四丁目に大正時代、箱根土地株式会社(現:株式会社コクド)が開発・分譲した「目白文化村」である。50年以上住んでいる目白住民は「目白が丘」と呼ばれる「高台」部分を「目白」と認識しており、実際の下落合駅付近や中井駅付近は、その「高台」からはずっと離れておりなおかつそれらの駅自体は「高台」より下にあるため、目白としての認識度は薄い。

近隣の文京区目白台や新宿区下落合が、その「高台」部分でありそれを総称して「目白」と呼ばれることが多い。具体的には、キリスト教教会である目白聖公会は、豊島区の目白ではなく、新宿区下落合にあるが、最寄り駅は目白駅であるため、そのような名称とされている。クリスマスには目白聖公会の敬虔な信徒により目白駅前でクリスマスキャロルを歌う「キャロリング」を行うのが恒例行事となっている。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

 

20200114 東京北西 見学
東京都豊島区西池袋 自由学園明日館
埼玉・茨城から東京を楽しむたび
古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉒」
第64回  池袋駅から目白、目白から池袋散策
令和2年2月11日(火)  10時30分池袋駅(メトロポリタン口改札出口・新宿より)   解散池袋駅
Brasserie La・mujica 
新春は贅沢に3300円フルコース
池袋駅-東京芸術劇場-立教大学池袋キャンバス-自由学園明日館(休憩・見学)-目白庭園- 目白「食事」-(中村彝アトリエ記念館-切手の博物館)-学習院大学(史料館見学)-鬼子母神-池袋駅
  自由学園明日館(じゆうがくえんみょうにちかん)は、東京都豊島区西池袋に所在する、学校法人自由学園が所有する施設。1921年の自由学園の開校から1934年に移転するまで自由学園の校地として使用された敷地に、建築家フランク・ロイド・ライトや、その弟子であった遠藤新の設計による建物群から成っている。学校の移転後も自由学園が所有して、「明日館」と名付けられ、もっぱら卒業生による事業などに利用された。   

第64回 池袋駅から目白、目白から高田馬場界隈散策 古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉒」 

第64回 池袋駅から目白、目白から高田馬場界隈散策 古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉒」 記録

Brasserie La・mujica 第64回 池袋駅から目白、目白から高田馬場界隈散策 古河・上尾・小山カルチャーセンター「お江戸巡り㉒」 記録

 

 

楽しく散策食事をする会(老舗・有名店を巡るランチ散歩) part8詳細 ネットでカルチャー齋藤 第4金曜日実施 修正3

第42回池袋界隈散策「自由学園・明治学院大学」④ 楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤

第42回池袋界隈散策「自由学園・明治学院大学」④ 楽しく散策食事をする会(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8  ネットでカルチャー齋藤 記録

さかな 九州赤鶏 TORI魚  第42回池袋界隈散策 楽しく散策食事をする会「自由学園」④(旧老舗・有名店を巡るランチ散歩)part8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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