カトリック高輪教会 歴史と聖堂内部
第二次世界大戦の終結後間もない1948年、スカボロ外国宣教会が宣教のために来日した。日本の宣教活動の本部となったのは、港区高輪で戦火を逃れた一軒の洋館であった。
やがてこのスカボロ会本部の小さな聖堂に、近所の信徒たちがミサに集まるようになった。1959年には、カナダからの寄金によって、品川駅近くの現在の教会位置に、聖堂が建築され、11月22日、土井大司教(当時)の司式のもとに献堂式が行われた。
翌年12月4日には、献堂一周年を記念して行われた「高輪教会祭」にあわせて、東京教区の各教会、修道院から信徒、求道者、聖職者、修道者が集まり、江戸の大殉教地の近くにある聖マリア学院から、隣接した智福寺の境内にある「殉教者記念碑」まで聖体行列を行い、殉教者の遺徳をたたえた。
1961年からは「江戸の殉教者祭」として、毎年行われていたが、智福寺も聖マリア学院も移転してからは、「王であるキリスト」の祭日に「江戸の殉教者の記念ミサ」が行われている。
高輪教会は、徳川家光によるキリシタン迫害の象徴ともいえる「江戸の大殉教」の殉教地・札の辻に近い教会であることから「殉教者の元后聖マリア」にささげられている。
聖堂の入口前方には、「江戸の大殉教記念碑」がある。この碑は、1623年(元和9年)12月4日に行われた第一次江戸の大殉教からちょうど333年たった1956年に、処刑された場所の跡地にあった智福寺の境内に建てられていたが、智福寺の移転に伴い、ここに移設されたものである。
建物の老朽化に伴い、1989年、現在の聖堂に立て替えられた。地下には、クリプト(納骨堂)も設けられた。このクリプトの入口には、江副隆愛氏によって描かれた第一次の江戸大殉教の刑場の光景「江戸大殉教図」が掲げられている。
さらに、1997年には、中から自然光による美しいプリズムが望める十字架のモニュメントが造られた。