三体 (ネタばれ)
劉慈欣 訳:大森望
早川書房
話題のSF。ようやく読んでみた。
たしかにこれは面白い。最近は年のせいか時間を忘れて没頭ということはなかなかできなくなって、何度も休憩挟みながら1週間くらいかけて読んだのだけれど、若いころに読んでいたら徹夜していたかもと思う。
本書の案内を広告や店頭で見たとき、おそらく多くの人が最初思ったに違いないのが、えー? 中国? ということだろう。少なくとも僕は思ったものだ。SFというのは日本国内作家を別にすれば基本的には欧米のものという先入観があった。
しかし、この先入観はまったく無用なのであった。しかもさらに驚くべきことに、これは中国人でなければ書けないようなストーリーとテーマでもある。
つまり、中国人にしか書けないのに、その内容は大いに普遍的で万民的ということだ。こういうのを国民文学というのではないかと思う。
伊藤計劃のSFが出たときに、ようやく海外ものとも見まごうようなSFが出たと思ったものだが、それでも伊藤計劃のSFはやはり日本人の感受性が成したものだと感じた。それは個人の内にひめる心象、心のうちのうつりゆきへの注目とその描写である。内省を記述するセンスは枕草子や源氏物語このかた、日本文学の特徴のひとつだ。しかも日本には私小説というジャンルもある。
「三体」は、近代中国の歴史が持つトラウマが余すことなく出ている。ぶっちゃけ文化大革命はもとより、中国共産党の体制批判ととらえられなくもない部分がちょいちょいある。とくに、当時の中国共産党が夢見る世界革命に絶望し、そこにマルクス用語であるところの「疎外」された人間が異星人からの地球侵略を許す、というのはなかなか痛烈に思う。こんなこと書いて大丈夫なのかしらと心配になるが、今や中国政府はこの「三体」を中国が世界に誇るSFとして高く評価しているとのことである。中国も変わったというべきか、そんなものではびくともしないというゆるぎない自信があるのか。いや、これはもちろん良いことではある。
文革をはじめとする中国近代史が持つトラウマをどう世界的・人類的に普遍な物語に料理するかは、中国の現代作家には欠かせないものなのかもしれないし、中国人以外にはできないだろう。中国が世界に通用させる国民文学というのはこのあたりにあるのではないか。
SFのジャンルとしては「ファーストコンタクトもの」にあたる。かなりの科学的背景に基づいたハードSFでありながら胃もたれしないのは、文化大革命の狂乱の光景や、巨大タンカーをマイクロワイヤーで切断する痛快なシーンなど、エンターテイメント性にも事欠かず、さらにVRゲーム「三体」のファンタジックな世界像が効果的に挿入され(すげえやってみたいゲームである)、全体としてかなり高度で周到なわくわくどきどきの構成となっており、始めから終わりまで飽きさせないことだ。スティーブン・キングばりのストーリーテラーである。謎の提示や伏線の張り方も巧みだ。
しかも驚くことに、これで三部作の最初の一部が終わり。物語は全然終わっていない。二部三部はもっと長大だそうだ。はやく翻訳が出ないかと待つばかりである。(ひとつだけわからないのは地球に送り込んだ2つの陽子である。そんなにいろんなものに干渉できるのなら、こんな迂遠な計画たてなくてもさっさと人間を滅ぼしてしまうこともできそうな気がするが)