今日は7月7日、旧暦なら牽牛と織女の悲恋物語だ。私もいくつか七夕伝説を書いているが、詳しいことは忘却の彼方へ行ってしまったのは、頭脳が散文化してしまったからだろう。
子供のころには、祖父が上手に作ってくれた七夕(真菰)馬や牛のミニチュアを小さな台車に乗せて小川の岸辺まで行き牛馬のえさの草を刈り取ってきたのだった。
ナスに手足をつけて牛を見立てて仏壇に供えたこともうろ覚えだが記憶に残っている。
茄子の牛
我に父祖の血 濃かりけり 三佐夫
こんな句を平山独木さんの主宰誌「原人」に発表したのは20歳ごろだった。
貧しい山村には何もないのだが、民俗だけは大事にされていて、子供心にかなり刻み込まれていた。私が、30歳ごろから郷土の歴史民俗の採集や記録にかかわった理由は、たぶん幼い時に血や肉となった故郷の民俗行事ではないかと思う。
子供のころには、祖父が上手に作ってくれた七夕(真菰)馬や牛のミニチュアを小さな台車に乗せて小川の岸辺まで行き牛馬のえさの草を刈り取ってきたのだった。
ナスに手足をつけて牛を見立てて仏壇に供えたこともうろ覚えだが記憶に残っている。
茄子の牛
我に父祖の血 濃かりけり 三佐夫
こんな句を平山独木さんの主宰誌「原人」に発表したのは20歳ごろだった。
貧しい山村には何もないのだが、民俗だけは大事にされていて、子供心にかなり刻み込まれていた。私が、30歳ごろから郷土の歴史民俗の採集や記録にかかわった理由は、たぶん幼い時に血や肉となった故郷の民俗行事ではないかと思う。