おかしな空模様の1日でした
急に真っ黒な雲に覆われたり、その隙間から太陽の陽射しが差し込んだり・・・・・・・・
今日、予定されていた亀有の大道芸も中止になりました。
しかし、今月はまだまだあります。
ナント、毎週 浅草パフォーマンスプレイスでSOUKIのパフォーマンスが見られます。
しかも、日ごとに出演するコンビが違うのです 。
14日(日)hico2と前田秀 Wソロ公演が決まった2人、どんなパフォーマンスでお客様の心をつかむのか?
20日(土)小鉄・hico2 浅草では毎度おなじみ・・・・になってきて、
通りすがりのおじさん「こいつら上手いよ」と見ていた私に教えてくれた
28日(日)小鉄・ビリッケン ビリッケンの大道芸デビュー!!このコンビならではの・・・・・を是非見たい!
*時間や場所は当日、ツイッターやブログでお知らせしています。
お出かけに気持ちのよい季節です。
どこかへ出かけたいとお考えの方は、是非、浅草へ 。
今日、4月7日は・・・・・・・・・
平将門が朱雀天皇元服により恩赦を受けた日です。
平将門はSOUKI本公演(8/24・25)「瀧夜叉」の瀧夜叉姫のお父さんです。
注釈:「承平の乱(じょうへいのらん)」(935~940年)
935年、将門の伯父である平国香(たいらのくにか)・国香と姻戚関係にあった源護(みなもとのまもる)の
連合軍が平将門に対して攻撃を開始、5年にも及ぶ「承平の乱」が始まる。
平将門はあっさりと平国香&源護の連合軍を撃破、源護の3人の息子達が戦死、平国香も自害してしまう。
平将門の叔父の平良正(たいらのよしまさ)は、同時に源護とは姻戚関係にもある人で、
兄である「平良兼(たいらのよしかね)」にも応援を要請し平国香の息子「平貞盛(たいらのさだもり)」
と共に平将門の討伐軍を組織。
良正&良兼&貞盛の連合軍が兵を差し向けている事を察知した平将門はこれを迎え撃つために出撃、
戦いを優勢に進めて平良兼らを国府に追い込み、完全に包囲。
しかし、敵だとは言っても平良正・平良兼・平貞盛は言わば「身内」。
しかも平良兼は下総の国の国司(現在で言う知事)、彼らを殺してしまうと朝廷に反逆することになるので、
とりあえずこの場は包囲を少し緩めて逃がします。(936年)
そして平良兼たちは国府から脱出し、都へ行って平将門の事を朝廷に訴え、平将門は朝廷に呼び出され、
今回の戦いについて太政大臣「藤原忠平(ふじわらのただひら)」に弁明します。(936年)
翌年、承平7年(937年)4月7日の朱雀天皇元服「朱雀天皇(すざくてんのう)」の大赦により、
平将門はお咎めもなく無事に故郷の下総の国に帰ります。
そしてその後も戦は続き、将門は妻子を殺されます。
承平の乱は、940年2月14日、平将門(39歳)が戦死し、朝廷から任命を受けた藤原秀郷・平貞盛の軍に
鎮圧されました。
スーパーパントマイムシアターSOUKI niizeki
急に真っ黒な雲に覆われたり、その隙間から太陽の陽射しが差し込んだり・・・・・・・・
今日、予定されていた亀有の大道芸も中止になりました。
しかし、今月はまだまだあります。
ナント、毎週 浅草パフォーマンスプレイスでSOUKIのパフォーマンスが見られます。
しかも、日ごとに出演するコンビが違うのです 。
14日(日)hico2と前田秀 Wソロ公演が決まった2人、どんなパフォーマンスでお客様の心をつかむのか?
20日(土)小鉄・hico2 浅草では毎度おなじみ・・・・になってきて、
通りすがりのおじさん「こいつら上手いよ」と見ていた私に教えてくれた
28日(日)小鉄・ビリッケン ビリッケンの大道芸デビュー!!このコンビならではの・・・・・を是非見たい!
*時間や場所は当日、ツイッターやブログでお知らせしています。
お出かけに気持ちのよい季節です。
どこかへ出かけたいとお考えの方は、是非、浅草へ 。
今日、4月7日は・・・・・・・・・
平将門が朱雀天皇元服により恩赦を受けた日です。
平将門はSOUKI本公演(8/24・25)「瀧夜叉」の瀧夜叉姫のお父さんです。
注釈:「承平の乱(じょうへいのらん)」(935~940年)
935年、将門の伯父である平国香(たいらのくにか)・国香と姻戚関係にあった源護(みなもとのまもる)の
連合軍が平将門に対して攻撃を開始、5年にも及ぶ「承平の乱」が始まる。
平将門はあっさりと平国香&源護の連合軍を撃破、源護の3人の息子達が戦死、平国香も自害してしまう。
平将門の叔父の平良正(たいらのよしまさ)は、同時に源護とは姻戚関係にもある人で、
兄である「平良兼(たいらのよしかね)」にも応援を要請し平国香の息子「平貞盛(たいらのさだもり)」
と共に平将門の討伐軍を組織。
良正&良兼&貞盛の連合軍が兵を差し向けている事を察知した平将門はこれを迎え撃つために出撃、
戦いを優勢に進めて平良兼らを国府に追い込み、完全に包囲。
しかし、敵だとは言っても平良正・平良兼・平貞盛は言わば「身内」。
しかも平良兼は下総の国の国司(現在で言う知事)、彼らを殺してしまうと朝廷に反逆することになるので、
とりあえずこの場は包囲を少し緩めて逃がします。(936年)
そして平良兼たちは国府から脱出し、都へ行って平将門の事を朝廷に訴え、平将門は朝廷に呼び出され、
今回の戦いについて太政大臣「藤原忠平(ふじわらのただひら)」に弁明します。(936年)
翌年、承平7年(937年)4月7日の朱雀天皇元服「朱雀天皇(すざくてんのう)」の大赦により、
平将門はお咎めもなく無事に故郷の下総の国に帰ります。
そしてその後も戦は続き、将門は妻子を殺されます。
承平の乱は、940年2月14日、平将門(39歳)が戦死し、朝廷から任命を受けた藤原秀郷・平貞盛の軍に
鎮圧されました。
スーパーパントマイムシアターSOUKI niizeki