文化の日に日生諸島の大多府島を歩いてきました。
S師匠が色々ルートを探してくれて最短時間で行ける頭島からの定期船で向かいました。
約10分で大多府島の「夫婦岩」が見えてきました。
遠くには家島諸島が見えます。
小学生の頃、飾磨港から行った覚えのある懐かしい島ですが、かなり島の形が変わってしまったように思います。
いよいよ大多府島です。
先ずは、いつものようにS師匠の解説から始まりました。
先ずは、「春日神社」にお参りしてから
自然研究路の案内に沿って行きます。
たくさん並んでいる牡蠣筏には、きっと美味しく、大きくなった牡蠣がいっぱいぶら下がっているんでしょう。
ここからの灯りはきっと海の道しるべとなっていたと思われる場所に「燈籠堂」がスクッと立っています。
昔はこの辺りも畑でもあったのか小さめの石で綺麗に積まれた石垣が続きます。
反対側は木立越えのかなり下に綺麗な海が見えます。
道沿いの岩場の上で親子連れが、その向こうの船からも釣りをしていました。
この辺りはいいポイントなのかもしれません。
道沿いのツワブキの花ではミツバチが蜜を吸っていました。
道の上にも秋が転がっていました。
今回のメインの海蝕洞の「勘三郎洞窟跡」の看板がありました。
かなり下ったところにあるようです。
この奥の岩の割れ目にあるようです。
先ずはツワブキの花が迎えてくれました。
S師匠の向こうには仏像があるのですが、邪魔な人が一人!!!
帰る途中の岩に「亀の手」が群生していました。
ハブランサスですかね?一輪だけ咲いていました。
加子番所跡に江戸時代の絵地図が掲げてありました。
元禄時代に薩摩藩が参勤交代の時に暴風雨に会いこの港に避難して無事であったことで、岡山藩に譲渡を申し入れたため
岡山藩はこの島の避難港としての価値に始めて気づき、津田永忠に命じて防波堤を築くなどして開港し番所も置き、
燈籠堂もこの時に整備したとのこと。
絵に見える4軒の長屋作り移住を奨励した後、大いに発展したようです。
今も「六角大井戸」は水を湛えていました。
「六角大井戸」から少し登ると向こうに小豆島が見えます。
島の高台にある小学校は廃校となってからずいぶん時がたっているようで運動場も草ぼうぼうでした。
「元禄の防波堤」は所どころ修復されながら今も役立っているようです。
さあ、「のりなはーれ」に乗って帰ります。
和気藹々の一日でした。
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