今月の半ばに水攻めで有名な「高松城址」を歩いてきました。
先ずは、守る側の城跡です。
辺り一面平地です。5月には菖蒲が そしてその後 蓮が一面に咲く沼地が広がっています。
そんな中に本丸、二の丸、三の丸がある沼城です。
ここからは攻めた側の跡を見て歩きました。
高松稲荷の参道には建設当時日本最大と言われた紅柄に塗られた鳥居があります。
ここからです。
築堤は手前の方は削られていますが、こんもりした辺りが「蛙ヶ鼻築堤跡」です。
この堤は高松城の周囲に約3キロあったようです。
手前には当時の杭の跡などは残されています。
高さはこんな感じだったようです。
説明しているのは、いつものS師匠です。
太閤の本陣へと向かいます。
清水宗治の首実検をしたという「首塚跡」には五輪の塔が建っていたということです。
その後 明治時代に本丸跡の首塚に移築されたということです。
秀吉の「本陣跡」の石井山はすぐそばです。
真ん中のこんもりしたところが高松城址でよく見えます。
ここからだと水攻めの状況はよく見えます。
「太閤岩」からは戦場は見えません。
どうしてこの名前がついたのか???
本丸には清水宗治の「首塚」があり、今は静かに城址を見守っています。
本丸の北西の家中屋敷跡の一画に宗治の「胴塚」が残っています。
「ごうやぶ遺跡」は宗治の家臣が後を追って殉死した場所も田んぼの中にあります。
昭和にもこの辺りは水害の襲われ、水攻め当時の冠水に見舞われたこともあったようです。
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