もう30年も前の話になるのだけど、今でもあの時の事は鮮明に覚えています。
記事とは全然関係ないけど、、、
掛川花鳥園の睡蓮です🎵
当時はまだ一般的にはインターネットなど普及していなかった時代。
一部の人は使っていただろうけど、今の様に手軽に使える時代ではなかったよね。
だから病院を選ぶのも口コミと勘!
近くに親しい友達でもいれば楽なんだろうけど、引っ越して間もない土地だと本当に勘しかないもの。
初めての子供
その子の母親でいられたのはたったの3ヶ月。
けどその3ヶ月は子供や私にとって闘いであり、とても重要な意義を残してくれる3ヶ月になったのです。
妊娠が分かって(検査薬で)ちゃんと検査をしてもらう為に選んだその病院は駅前にそこそこ大きな建物を構える産婦人科でした。
ここなら大丈夫かなと入った院内は外観とはかけはなれたとても"雑"な印象を受ける所だったのを覚えています。
スリッパは脱ぎ散らかされ、片方しかない。
待合室のソファーは古びて色褪せ、ソファーの後ろの隙間には埃がごっそり溜まっていたからビックリ❗
診察室へ入ると、そこはまあそこそこ綺麗で。だけど、院長先生はちょっと上から目線で横柄な感じ。
今の私ならもうこの1回で絶対に他の病院へ行ってます。
だけど当時の私は言われるがまま、次の予約を入れて帰ってきてしまったんですよね。
そして次の診察までに微量の出血があり、初めてで不安まみれだったので診察を受けに行きました。
「切迫流産の状態だから安静にしている様に」と言われ帰路につく。
がしかし!その3日後にはもっと大量の鮮血があったのでまた病院へ行ったのです。
理由をちゃんと説明しているのに、その時の受付の女性の不審そうな顔。そして奥から聞こえてくる院長の声
「この患者この間来たばかりだよね。また来たのか」
一瞬耳を疑ったよ。その場で帰れば良かったのかもしれない。けど不安に押し潰されそうになっていた私はそこで言うことを聞くしかなかったんですよね。
今はどこの病院でも膀胱に尿が溜まっていなくても超音波でみてもらえることは出来るけど、そこの病院は全てにおいて遅れていて古い機材しかなかったんだ。
勿論急に行ったものだから膀胱には溜まってないからちゃんと写し出すことが出来なかった。
その時にそこの医師が発した言葉が、
「君ねぇ、時は金なりって言葉を知ってるかね?君がちゃんと検査を受けられる状態で来ないから私も時間を取られて非常に迷惑してるんだよ。分かるかね?」
いやいや、今なら訴訟物な発言だよね?
一瞬イラッとしながらも不安の方が大きかったからそのまま入院することになってしまったのです。
入院してからはひたすら安静。
切迫流産なら安静が一番なのだけど、看護師さんは怖いし対応悪いし、先生もほとんど来ない。
食事もお粗末で、朝食は食パン1枚、ハム2枚にキャベツの切れ端みたいな付け合わせとお茶。
昼も夜も大したものは出なかった様な気がします(全てがショボすぎてここはもう忘れた!w)
結局、入院10日めに完全流産となってしまいました。
下腹部の強烈な痛み。そして何か大きな塊が出る感じ。
初めて私に宿った命は私の身体に後の負担をかけることなく、胎嚢のまま全てを引き連れて出てきたのでした。
中に少しでも組織が残ると掻爬せねばらない。けど全てが出てきたので後は洗浄するだけだとその時院長が言ってました。
「お母さん頑張るからあなたもね!」
毎日お腹に話しかけていた言葉。
その子は「もう頑張らなくていいよ」と言わんばかりに私の身体から出て来てしまったのです。
乳白色の膜の中は淡いオレンジがかった黄色。胎嚢ってこんなにも綺麗なんだって感じたのを今でも思い出します。
「全て」が終わって、「もうすぐこの子の父親が(もと旦那)来るからと」と院長に話すも
「今日はもう診療終了だから明日にして」と。
18時診療終了。その時の時間は18時10分。
この時からですよ。
まず信頼、信用出来ない、自分には合わない、不安要素が大きい。
これがある場合はすかさずセカンド・オピニオンをする。
仮にいずれ流産をしたにせよ、もしもっと"まとも"な病院へ行っていれば少なくとも精神的ダメージは半分以外で済んだかもしれない。
余計な心配やメンタル的ストレスは妊娠初期にはよろしくないですから。
それから数年して今の長女を妊娠した時、その時も胎嚢が潰れていて、助かる確率は50%と言われ酷く落ち込みました。
でもその時の院長先生は、前回私の身に起こった一連の出来事を全て話したら
「そうか!そんなに辛いことが有ったんだな。よし!私に任せなさい。絶対に助けるから!!」と心強い言葉をかけてくれました。
やはり切迫流産と言うことで31日間入院しましたが、病院は綺麗だし食事もちゃんと栄養面が考えられた豪華な食事だったし、何より先生達も看護師さん達も優しく丁寧でした。
そして節分の日に無事娘を出産することが出来ました!
ただ、娘の次も流産をしてしまうのですがここも酷かった。
そして長男の時は「この病院無理!」とその病院を出た足でそのまま違う病院へ駆け込むのであった。。。
つづく、、、
前置きのつもりがめっちゃ長くなってしまったので、後半へ続きます😅
記事とは全然関係ないけど、、、
掛川花鳥園の睡蓮です🎵