満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

Miles Davis 『コンプリート オン ザ コーナー セッションズ』

2008-05-10 | 新規投稿

Miles Davis 『the complete on the corner sessions』

バンドのリハーサルを再開しているが、ギターがいない。メンバー募集でもしようと思い、15年ぶりくらいに雑誌「jazz life」を買ったが、その内容のあまりの低落ぶりにびっくりした。表紙の「誰でも弾けるワルツ・フォー・デビイ」というベタなコピーに嫌な予感はしたのだが、その内容たるや、楽器情報やスタンダード曲の譜面で埋め尽くされた‘プレイヤー雑誌’と成りはて、全く批評がない。あるのは新発売の楽器や機材の情報と楽譜、中道的な新譜評とヒネリのないインタビューだけ。つまらない。いつからこんなのになったのか。昔はもうちょっと批評があった。楽器を演奏しない音楽マニアや評論を求めるコアなリスナーに訴える批評性こそが同誌の持ち味で、それはとうの昔から批評性ゼロだった‘ジャズを装ったオーディオ雑誌’「swing journal」と一線を画していたはずだ。それが今ではどっちも同じようなものになってしまった。無惨なものだ。

現在ではその未来予見的サウンドが大きな感嘆符で語られる『on the corner』(72)だが発売当時は、ケチョンケチョンに酷評されたアルバム。しかし酷評されたからと言って、私達は当時のクリティックに対し、「わかってないなー」と言えた義理ではない。酷評するという行為が今となっては実に尊い。褒めてばかりの宣伝屋に堕ちた昨今のライターに『on the corner』を酷評する勇気や、批評眼があるか。

『on the corner』再評価はジャズファンでなく、DJやクラバーが‘発見’した事が契機になったそうだ。そこに感性の鋭さを見る向きもあるが、私は同意しない。例えば昨今の最先端の北欧ジャズシーン等が、従来のジャズファンの現代的感性の鈍さに勝るクラブピープルの先鋭的センスといった単純化した図式で語られるのを多く目にするが、見当違いだろう。ジャズファンの保守性とは‘感動の深みから抜け出せない常態性’を言うと同時にクラバーの革新性とは‘表層快楽の衣装替えから抜け出せない常態性’の事であろう。双方の偏り方に優劣があるのか。
そもそも私は本当に『on the corner』がジャズファン以外の多数に聴かれているのか疑念を持っている。DJが手つかずの古典を掘り、恣意的に再評価するプロパガンダに付和雷同する者が多いだけじゃないのかと感じている。だからジョンコルトレーンを聴かずにアリスコルトレーンやファラオだけを聴く等という屈折したスノビズムが横行する事になる。そのような‘間違い’に気づくには、音楽の愛好を情報や評判や仲間意識に頼るのではなく、自分の耳だけで判断する習慣や訓練が必要なのだ。多分、アリスやファラオもそんなに好きじゃないんだろう。

古典を理解し現在的再生する試みは、その古典の思わぬ側面や隠れた本質に対する嗅覚は言うに及ばず、試みる者の独創的創造性が必要だろう。嘗てクラフトワークの「trance europe express」を「これは紛れもない‘ファンク’である」と認識したアフリカバンバータのような例こそが革命的なのであり、そこに見られる新しい音楽言語の創造は昨今のDJが単に手つかずのレア音源を他人より早く見つけるだけの採掘競争とは次元を異にするものだ。
それはそれとして、私が『on the corner』がクラブピープルに広く支持されている事に懐疑的なのはそのリズムのアンチグルーブ性の為である。通常のブラックミュージックのノリはここにはない。グルービーでなく、ファンキーでもない『on the corner』。マイルスはかなりヒネリの効いたリズム言語を創造し、ファンクの定義を拡げた。それが斬新だったからこそ、当時は無理解と酷評に溢れたのだ。

この時期、スライやJBを日常的に聴いていたマイルスだが、そのままファンクするような単純なアーティストではない。同時に示唆されたのが、西洋現代音楽であった事は暗示的だ。異種混合こそが創造性の萌芽である事を感覚的に熟知したマイルスならではの、試行錯誤がここに始まる。
ドイツの前衛作曲家、シュトックハウゼンに傾倒したマイルスはその実験音楽に何を見たのか。それは非―黒人音楽的ノングルーブによるパルスビートの中にある快楽原則の発見だったのだと思う。アフリカバンバータがクラフトワークという‘ファンキーミュージック’を発見する10年ほど前、マイルスもシュトックハウゼンの中に同じく、高熱のファンクグルーブを見たのか。新しいファンクの概念がここに生まれた。通常のグルーブサウンドを有しない、しかし最高のファンクビートが。ジャズのセオリーは断ち切られ、ソロも喪失された。しかもアドリブすらない。

マイルスの新音楽はベースの刻み方を聴けば分かる。
ソウル/ファンク畑のベーシスト、マイケルヘンダーソンは『on the corner』に於いて、自身の持ち味であろう、うねるようなドライブ感やファンキーなフレーズからは程遠い、短くカットされたリフの断片を小刻みに繰り返す異様に抑制された演奏を繰り広げている。
途中でもっとランニングし始めても良いんじゃないかと感じるほど、そのプレイは間を作り、もはや無機的な空気を漂わす機械的演奏に終始する。安易に高揚しない。運指を高速にする欲求が抑えられ、ひたすら少ない音数によるリフ注入に徹している。そんな平坦なビートがしかし幾十にも重ねられ、ドラム、パーカッション群のみならずうわものさえも、マイルス自身も、個々がリズムの断片となり、その多層構築を成し、しかも全くクールなアンチクライマックス性で一貫させたのが、この『on the corner』でのマイルスグループの演奏だった。メンバー個々の放つリズムの破片がまるでパズルのように組み合わされ、大きな一つのグルーブサウンドへと変容してゆく。これは定型のファンクネスではない、新しいリズムグルーブミュージックだろう。結果的に民族音楽での反復リズムを想起させ、その陶酔性がドラッギーな放流感覚を匂わす面もあるが、全体の統制感覚にこそ注意が向かう。マイルスが刺激を受けたシュトックハウゼン風のミニマルミュージックをバンド化する事によって、抑制された意識、高度に自律的な空間を実現しているように感じられる。しかもエモーショナルな部分を程よく設置する事で(デイブリーブマンのサックスがそれを担う)、絶妙なバランスによる高揚感を実現した。

マイルス自身もソロを吹かない。見事なまでにリフオンリー。だからそれを他人にも押しつけたのか。マクラフリンやデジョネット、コリアにハンコックといった名人達がマイルスの得体の知れない実験の犠牲になった。皆、何をやらされているのか一体、解っていたのだろうか。多分、スタジオであれこれ指示されて、何か変な曲だなと感じながら、とにかく演奏して、出来上がったレコード聴いてびっくり、なんて事だったんではないか。マイルスは多人数にひたすら細切れになったリズムの塊を反復演奏させ、後でテオマセロと一緒にそれらを編集した。かくして何とも形容しがたいリズムミュージックができあがった。

マイルスが72年に制作した『on the corner』
そのジャケットワークや曲名から醸し出されるブラックラディカリズムやストリート性等のその‘黒人臭’はしかし、従来のブラックモードを超越するものである事こそが、真に斬新であったのだろう。音楽の本質に従来のブラックミュージックの快楽原則を超えた電子パルス的音響を注ぎ、これを新たなファンクネスの新音楽として提示した。言わば西洋を吸収し、その影響を合体ではなく、飲み込む形で黒人精神の上位的発露となし得た。その貪欲さはマイルスのプライドだろう。

マイルスがしばしば「黒人達の作りだしたものが、薄っぺらいロックに化けて人気になっている。」という発言を繰り返していた事に注意する必要がある。誰よりも黒人意識が高いのがマイルスだった。常にブラックミュージックを手本に、創造され、改良されてきたロックやポップ。
彼は仕返しをしたのだろう。今度はブラックの側から西洋音楽の高濃度なエキスを絞り、飲み込んだ。それを両者の融和ではなく、あくまでもブラックミュージックの発展の為に行った。マイルスの時代毎の偉業はみな、その繰り返しだという事に気づく。

『the complete on the corner sessions』はCD6枚ボックスセット。しかし実際にはそのタイトルとは違い、『get up with it』(74)のナンバーを混在させている。これが効いた。『get up with it』は言わずと知れた最強グルーブを誇るイケイケドンドンの作品だ。制作者の意図なのか、単なる思いつきか解らないが、この際、『コンプリート・オン・ザ・コーナー』という題を付けたいい加減さはもうどうでもいい。マイルスの企画アルバムではよくある事。
アンチグルーブの『on the corner』に究極のグルーブ『get up with it』をごちゃまぜにしてコンパイルした本作は、結果オーライかな。

マイルスのCDボックスセットシリーズは『in a silent way』、『bitches brew』、『jack johnson』等60年代後期以降のいわゆるエレクトリックマイルス期のものが、それぞれリリースされてるが、今回は問題作『on the corner』に『get up with it』を混ぜたものだった。
もう次の商売も見えてくる。いつか『パンゲア』、『アガルタ』がくるのだろう。これこそが最強作品になるのは見えている。
でも簡単には出さないんだろう。もったいぶってリリースするつもりだと思う。ジャンルを問わず、CDが売れなくなり、音楽産業が衰退し、ジャーナリズムも凋落してゆく、中心不在のシーンにあって、ことジャズに於いては未だにマイルスという巨星に頼らなくては成り立たないのだから。マイルスは死んでもずっと活躍して、貢献しているわけだ。このネタを会社は大事にし、小出しにするだろう。80年代の復帰後音源という、楽しみなネタもある。

2008.5.9

コメント
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