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ディランの核心は当然ながら歌にあり、歌詩は表現の柱だろう。但しディランを聴いて良いと感じる時、そこに必ずバックの演奏やアレンジの善し悪しが、介在する事を痛感している。問題は当のディランがアレンジやプロデュースに関する意義を書く事や歌う事と同等には持ち得ず、寧ろその無頓着性を遺憾無く発揮している事なのだ。何が良くて何が良くないかが分かっていない。私がディランのブートレッグを買う時、67年から73年、80年から88年の時期は外す傾向にあった。
しかしこの10枚組オフィシャルブートからは
無差別な時期の細かい好不調が聴き取れ、時折、アレンジの壁、演奏の限界を突き破って
こちらに向かって来るディランのボイスが、新たな発見と感動を呼び覚ました。スタジオアルバムのみで判断する事の謝りを今更、実感。
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