満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

ティム・ホジキンスン、カムラ、河端一、向井千惠@難波ベアーズ 9/13

2024-09-17 | 新規投稿
 
私にとってHenryCowの味気ないモノクロームな音の質感は紛れもないプロレタリアート芸術のそれであり、HenryCowが持つ楽曲の素晴らしく複雑で構造的な味わい深さも、アルバムを2枚程聴くと、もっと肉体的な快楽性を求めて同じくジャズ・ロックのフォーマットを有するSoftMachine等の音源に手を伸ばす事がしばしばであった。
単身ニューヨークに渡って垢抜けしたフレッド・フリスを例外として旧HenryCowのメンバー達のコミュニズム思想に裏打ちされた徹底したアンチ商業主義を貫いた活動はある意味、見事であり、HenryCowが作った自主活動の連帯組織Rock in oposition(反対派ロック)はパンクと同時期のDIY精神の元祖であろう。
そのメンバーであるティム・ホジキンソンがニューウェーブの衣裳を纏ったグループで来日したのが1982年。アルバム「slow crime」をリリースしたTHE WORKの大阪公演を私は観に行き、ドラマーが予告なしでクリス・カトラーだった事で得をした気分になった事を覚えている。非常にインパクトがありthe Pop Groupのような過激な音楽で衝撃的であった。インタビューでは反資本主義、反米を語り(「I hate America」という楽曲もあった)、ゆっくり訪れる現代の危機的状況をメッセージしていたと思う。
それ以来となるティム・ホジキンスンがカムラ(ex水玉消防団、フランク・チキンズ)とユニットを組み、日本の俳句にインスピレーションを得た楽曲を創作し、アルバム「Haiku in The world」リリースに先行する公演を行った。私にとっては42年振りに目撃するティム・ホジキンスンだが、俳句に着想を得た音楽というのは一見、静的で情景描写的なものをイメージさせ、意地悪く言えば嘗てのラジカリストが年齢と共に保守化、芸術至上主義化した先入観があり、その変化を見たいと注目したが、結論的にはとても充実したライブであった。ホジキンスンはクラリネット、ピアノ、シンセ、ラップトップ、ボイス、そして時折、音叉で何かを叩くハンマー・ダルシマーのような演奏も行っていた。カムラはフロアータムを横に据え、鍵盤、そしてボイスを様々に変形させるパフォーマンスを見せていた。
江戸期以降の俳句作品を具体的に取り上げ、一曲毎にカムラが解説する進行。私はカムラが告げる俳人の名を全てメモした。即ちライブ前半は石川啄木、黒柳召波、桜井梅室、富澤赤黄男、小林一茶、河東碧梧桐、正岡子規、井上士朗、三浦樗良、杉田久女、斯波 園女、広瀬惟然、河合智月、与謝野蕪村、稲畑汀子、西東 三鬼、平畑 静塔、種田山頭火の作品の音楽化する実験的作品の披露である。しかし、それらは私が当初予想した静的なものではなく、寧ろ劇的な要素を多く含む、力強い作風で演奏楽器のバリエーションとホジキンスン、カムラ両人のVoiceが単なるリーディングを超えた歌詞に変形させる試みにも思えた。そして途中から1940年に当局から弾圧され、13名が逮捕されたという新興俳句運動の作品群を取り上げた事はある意味、ティム・ホジキンスンの真骨頂と言えようか。即ち、八木三日女、渡邉白山、橋カゲオ?(カムラさんのアナウンスを聞き取りできず名前不明)、鈴木六林男、桂信子等の前衛的、反体制的な俳句作品の数々をまるでHenry CowやThe Workのような鋭角なモノクローム世界で表現した。このあたり、聴き応え充分であった。
そして後半は河端一(g)、向井千惠(p、二胡)を加えて即興演奏を展開。それも赴くままにノンストップで演奏するのではなく、テーマに基づいたコンパクトな即興アンサンブルを披露。4人での演奏、恐らく初めてであろう筈がまるで楽曲のように聴こえるのはおどろきであり、各人の抑制された演奏が成果を生んだ。個人的にはここ何年か観た即興演奏ライブでベストと感じるほど、素晴らしく思えた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮本隆9月スケジュール | トップ | 宮本隆10月スケジュール »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

新規投稿」カテゴリの最新記事