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マガジンの曲のフレーズを借りて変形させた2曲目。この安易な楽曲がこのバンドの本質を象徴している。いい曲が書けないバンドなのだ。
好みではないが「creep」には芯となるメロディ=歌があった。以降、作曲能力の限界と共に音響に走るというスタイルを貫いているのがこのバンドの姿なのだと思う。
『In Rainbows』は以前のエレクトロニカ路線から一見、‘歌’へ回帰したような曲が並ぶが、核となるメロディがない。一つ一つのフレーズやリズムパターンに瞬間的に引き寄せられる緊張感がないわけではないが、それも極めて稀少。
音色の変化による劇的な場面転換も原曲の平坦さを補うに至らず、精神の暗部を振り絞るような様相を見せるボーカルや、大仰なストリングスアレンジも<核なきメロディ>を過剰に装飾する技法のような感触がある。楽曲の様式より多分に'内面重視'派と自覚する私でも許容範囲を超えた<わざとらしさ>がある。いい歌は全くない。音響操作という過剰な‘アレンジ’があるだけ。絶望感や深刻度がもはや足らないのか。それが命のバンドだ。
問題意識の深化がアーティストの原形をつくり、技巧をものともしない表現の爆発性を生む事がロックではよくあり、そこにそこロックの醍醐味はあった。音楽至上主義はロックを希薄にさせる。むしろロックとは精神と同義であり、もはや音楽の範疇で捉えることができない事が永いロックへのシンパシーの要因である事は間違いない。
しかし同時に音楽性の昇華の中には内面性というコンセプトは不要と実感させるものが多くあるのも事実。楽曲そのものの中に多弁な思惟や哲学、感情、問題意識が内包されたもの。アーティストが語らずとも音の中で表現し得る‘精神’こそに、よりリアリティを感じる事が多い。そんな時、翻ってロックアーティスト特有の多弁は胡散臭く感じられるものだ。
ポストプロダクションとはある意味、創意の溶解と表裏一体なのだ。それが時代と言えばそれまでだが、確実にミュージシャンを弱体化させ、アーティスト気質の過剰評価を生んだ。プロデューサー、ナイジェルゴッドリッチはレディオヘッドの本質=限界を理解した上でサウンド構築を施しているのだろう。
全曲ダウンロード発信なんて、どうでも良いこと。話題作りじゃないのか。(その後、CD出してるやん。)むしろ流通などに関心が向かう、その拡散する意識にロック的シンパシーを感じない。
2008.1.22
でもレビューをするならFrictionの半分でもきちんと調べて書いて下さい。これは情報の無さを過剰アレンジで誤魔化した単なる悪口ですよね。だって貴方レディオヘッド聴いてないもの。好きじゃないもの。知らないもの。
好きでも調べてもないものを何故レビューするのですか??
ダウンロード配信の件は本当に頂けません。全く誤解でしかないと思う。少なくとも彼等の意思は全く伝わってないですよ。
なんでCD出しちゃいけないんですか??
特に流通方法に目を向けると意識拡散でロック的シンパシーを感じない…ここには閉口しました。
「大した意味はない」って…なんか全くよくわからないんですが。もしそれが音楽そのものと流通方法は関係ないって意味なら誰だってそれはわかってますよ。
作品の内容や質よりも余計な付加価値が付くことが私にも違和感がありましたが。
音楽評論と言う媒体が皆無に等しい現状に対して
こういった暴論をぶつけるのも刺激があって良いとは思いますが「レディオヘッドは好みじゃない」のに乱暴に書かれた感じはしますね。私はすごく好きですけど。