音楽の進歩を実感して疑わなかった時代に聴く新しい音源の数々に共通したのは、エッジの強度だった気がする。私にとってそれはパンクーニューウェーブ、オルターネイティブ(オルタナじゃない)時代のイギリス、ヨーロッパを中心とする音楽群のリアルタイムな感受による感覚だった。その‘エッジ’を意味性や精神性とリンクさせる習慣が音楽に於ける一つの快楽原則と化していたのがあの時代特有の蒼さでもあったか。あの時代、リリースされる音楽は一枚、一枚が‘更新’であった。今から思えば私に欠落していたのは‘グルーブ’の感覚だったのかもしれないが、それは80年代後半のマンチェスタームーブメントに全く賛同できなかった事と無関係ではない。私がイギリスを‘追う’のをやめたのはあの頃だった。マンチェのだらしないルーズファッションや間延びした音楽と演奏、ヒッピーに戻ったような髪型はパンクが確立した美学や知的なものをぶち壊したと感じていた。そこに連続性など何もなかった(と当時は思った)。そんな私はパンクを発端とするイギリスの音楽革命はマンチェスタームーブメントで後退し、ニューヨークのダウンタウンシーンがそのエッセンスを引き継いだと感じ、関心が全面的にアメリカに移行したのである。ノーウェーブを発端とするアメリカ新音楽は脱ロック的であり、ミュージシャン気質のテクニカル性とノーミュージシャン的アーティスト性が混在し、ジャズやフリーミュージックと連動したが、80年代前半までのイギリスと共通したのは、やはり、アンチグルーブな感性だったと思う。そこには‘エッジ’の強度があり、それはグルーブに優先する時代的キーワードであったのかもしれない。
グルーブ全盛時代における‘懐かしの’アンチグルーブなエッジの強さを‘新しさ’とするジャンルの一つは現在、私にとってはアブストラクトヒップホップであろうか。マッドリブがそんな私の欲求を満たすアーティストである事は間違いない。そのアンチグルーブの中に変則ビート(カンタベリーや初期ラフトレードのような)やハンマービート(ジャーマンニューウェーブのような)の要素を濃厚に感じ取る私は、ヒップホップのノリが下半身と脳髄に同時に直撃するハードエッジなスタイルに‘嘗ての快感’を想起している。
数々の名義でリリースを連発するマッドリブはジャズを素材にする時のクールネスとヒップホップでの狂気という二つのカラーがやや、固定したイメージに集約されているとも感じるが、新シリーズである『MEDICINE SHOW』では、そのヒップホップの‘マッド’度合が全開。コラージュやカットアップすらグルーブとなるその‘更新’に私は嘗てのイギリスニューウェーブを追った日々の驚きを再体験しているようなデジャブ感に襲われている。インナースリーブの過激さも充分にハードエッジ。やばいです。
2010.3.31
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