杉森神社の物語(東広島市河内町)癒しのある風景

人生は、実験の連続。愛される神社を目指して頑張っています。祭りとは奉ること。ご祈願毎に神饌をかえ丁重なお祭りをします。

4月の日記16 境内神社稲荷神社の御祭神について

2014-04-17 06:24:51 | 間違って覚えてしまった日本語

4月16日

今日は正尺地区の地鎮祭でした。

地鎮の儀の意味、何故、盛り砂に草を指すのか、鍬入れには声を出さないなど、地鎮祭の本義を説明しながら厳粛にお祭りを行いました。

地鎮祭やると身体がバリバリになりやすいので、セルフ整体でほぐします。

 

 

杉森神社の境内神社「稲荷神社」(戦前表記、稲成神社)の御祭神は少比古命です(別名・少名毘古那・宿奈毘古那等)

 http://blog.goo.ne.jp/sugimorikun/e/2e6ea015f724c4dfa9e7a44a344497a1

通常、稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や保食神(うけもちのかみ)が多いのですが、何故かスクナヒコナ命が祀られているのです。

 

最初はその理由がわかりませんでしたが、古事記・日本書紀を調べていくことで合点いきました。

『古事記』

・大国主、出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に坐す時に、波の穂より天の羅摩(かがみ)の船に乘りて、鵝(ひむし)の皮を内剥(うつはぎ)に剥ぎて、衣服(きもの)と為て、帰(よ)り來る

『日本書紀』

・大己貴命(おおあなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)、力を戮(あわ)せ心を一にして天下(あめのした)経(おさ)め営(いとな)みき。

・顯見蒼生(うつしきあおひとくさ=人間)及び畜産(けもの)の為に、則ち其の病を療(おさ)むる方を定む。

・鳥獣(とりけもの)・昆虫(むし)の災異(わざわい)を攘(はら)う為に、則ち其の禁(とど)め厭(はら)う法を定めき。百姓(おおみたから)、今に至るまで咸(ことごと)く恩頼を蒙(こうむ)る。

・少彦名命、行きて熊野の御崎(みさき)に至りて、遂に常世郷(とこよのくに)に適(いでま)しき。亦、曰く、淡嶋(あわのしま)に至りて粟茎(あわがら)に縁(のぼ)りしかば、則ち弾(はじ)かれ渡りて常世郷に至りき。

・海の上に忽(たちまち)に人の聲有り。頃時(しばらく)して、一箇(ひとり)の小男(おぐな)有り。白蘞(かがみ)の皮を以ちて舟と爲し、鷦鷯(さざき・ミソサザイ)の羽を以ちて衣と爲し、潮水(うしお)の隨(まにま)に以ちて浮き到る。

 

以上により、大国主神とともに国作りを行った神であり、病や農耕災害を防ぐ業をつくった神であり、粟の茎に登って弾かれ常世国に至った神です。

したがって、農耕神であり、稲荷神社という農耕神の象徴名を使用したものと考えられます。

 

因みに、鷦鷯(さざき・ミソサザイ)は日本で一番小さな鳥です。http://blog.goo.ne.jp/sugimorikun/e/57f4ec93fc957abcab9ff1ca0d9c0e6c

3月頃には境内を飛んでいる姿を見ました。もしかしたら、稲荷の神さまだったのかも・・・・・