気ままな遍路人

人生いろいろ…徒然な日記

道中お気をつけて。

2008-05-14 20:54:35 | 日記

私の知り合いの方が、来週より高野山参りをするそうです。私も数回行ったことがあるのですが、高野山というところは不思議な場所で、何度行っても聖地たる聖地という独特な空気が流れていて、その空気を吸う度に心が洗われます。

いつかは、知り合いの方々と一緒に高野山参りをしたいと願っていますが、今は何かと個人的な修行の身であるため、単独でのお参りをさせていただいています。

人生には多々苦難がありますが、宗派を問わずお参りができる場所とご縁をいただくことは、大変幸せなことと思います。誰かに肩をポンと押されて旅立つも良し、自分で発起して旅立つも良し、人には様々なきっかけがあります。

現地に着いて目の前にある風景を純粋に受け止めることができれば、何か得るものがあることでしょう。人生100年生きたとしても、そういう場所と縁があるかどうかは、人それぞれだと思います。

今回、高野山に行かれるお二人には、どうぞ素直な気持ちで聖地の風を全身で受け止め、その頂いたエネルギーをこれからの人生に生かしてもらいたいです。


自分の体に感謝する。

2008-05-12 19:41:06 | 日記

人間は心と体がバラバラになると色んな病気を発症します。とは言っても、心と体がバラバラになりかけるタイミングなんて、誰でも分からないものです。ですから、日頃から体調を管理することが大切なのです。

自論で恐縮ですが、私は自分の体に心から感謝します。心から感謝することによって、体は全力で働いてくれるものと思っています。例えば、心臓には「いつも、規則正しく動いてくれてありがとう。」と右手の手のひらで擦りながら声をかけます。腎臓には「いつも、老廃物を排出してくれてありがとう。」・胃腸には「いつも、食物を消化し栄養を吸収してくれてありがとう。」・肺には「いつも、体中に酸素を取り入れてくれてありがとう。」・各間接部所には「いつも、スムーズに曲がってくれてありがとう。」と、会話をします。

何か滑稽と思われる方もいると思いますが、誰にも迷惑をかけないでできる自己防衛策と捉えています。人間には自然治癒力があるので、その力を高めるためにも、自己に感謝をすることには意味があると思うのです。

また、自己暗示の世界かと捉える方もいると思いますが、私が言いたいのは心から体を労わるということです。人間の体はこの世では借り物です。借り物は大事に扱わないといけないのです。そこで、心(魂)と一体になった時に健康な状態を保てるものと私は考えます。

それでも、人間は病院のお世話になることがあります。その時は、真摯に医療の力を借りなければなりません。なるべく、病院のお世話にならないように暮らしていきたいものです。


悩むことなかれ・・・。

2008-05-09 21:23:40 | 日記

人は何か悩み事がある時、じっと一人でその悩みを抱え込む人が多いと思います。悩み事といっても、はっきりした事象の悩みならば解決策があります。厄介なのは、悩みの根源がはっきりしない悩みです。

どうしようもなく心が重い・訳が分からず落ち込む・とにかく心が不安でいっぱいという悩みは、本当に苦しいと思います。周囲に相談をしても、「元気だして・・・。」・「気分転換になるものを見つけよう。」などという回答しか得られないことが多いでしょう。

心の不安感(揺れ・振動)は、誰しもが経験するもので、それに勝つか負けるかは自分自身なのです。何かに満たされない自分がいると感じた時、心が振動します。満たされない自分とはいったい何なのでしょう。

私の勝手な自論ですが、満たされない=欲求と解釈します。であれば、その欲求を持たなければ心を無心に保つことができれば、心の不安感を解消することができると思うのです。

でも、言葉では簡単に言えますが、心を無心にすることは大変難しいことです。私も常日頃、無心を追及していますが、本当に難しいことです。ですから、私は日頃の精進に並行して、今の私があるのは先祖あってのことと自覚し、先祖供養を大切にすると同時に仏前に向かい「どうぞ、私の心が不安になったり、横に逸れぬようお導き下さい。」とお願いではなく、指導していただけるよう手を合わせています。

私には御先祖様が見守っていて下さると思えば、日頃の精進にも力が入りますし、自然と勇気も湧いてきます。


遍路旅33

2008-05-08 15:09:34 | 遍路旅

昨日、東京の知り合いの方から連絡がありました。昨年の5月に四国遍路でお会いした方で、数回の区切り打ちをされています。今回は、52番・太山寺からの出発です。

太山寺は、愛媛県松山市太山寺町にあり、本堂は鎌倉時代末期の嘉年三年(1305)に創建された県下で最古の木造建築物で、国宝に指定されています。また、本堂の須弥壇にある7体の十一面観音は秘仏で国の重要文化財に指定されています。

今回の予定は71番・弥谷寺を打ち終えたら、一旦帰京されるとのことですが、天候にも左右される旅ですから無理せず怪我のないように頑張ってもらいたいです。

お遍路の話を聞くたびに、「あぁ、私もまた遍路に行きたいなぁ。」という思いが強くなります。北海道の釧路からとなると、ちょっと行ってくるからといえる距離ではないので、四国の近隣に住まわれている方が羨ましくなります。

おっと、羨ましいという気持ちは欲の一つなので、そう思ってはいけないことでした。遠方からでも何とか努力をして、四国遍路をさせていただくことが、私に与えられた運命(さだめ)と解釈するべきで、今まで数回の四国遍路を経験した意味があるというものです。

私も、まだまだ修行が足りないようです・・・。