すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

シベリア抑留と戦争の記録と記憶に向き合う8月

2019年08月16日 | 日々思うこと

台風10号の影響で南寄りの風が吹き続け、朝方6時過ぎからほんの少し雨が降り気温27度の久しぶりの涼しさです。午後からはまた30度を超す暑さと強風の中、4日ぶりの外出ですが忘れ物をして家に戻ったりと思考力低下です。

写真は1級河川姫川の増水で、水色の橋桁の県道姫川橋から日本海へ流れる濁流を左岸堤防から撮りました。

終戦から74年、昭和から平成、令和と時代が移り、戦後生まれの日本の総人口の83%で戦争を知る世代が減っている中で、戦禍の記録や記憶を受け継ぎ、どう伝えていけばよいのかと考える8月です。昭和20年8月終戦当時、私は満1歳で父親が中国に出征していたことや、電気化学青海工場内に捕虜が収容されていたこともあり、家族らがよく話していたことが幼少のかすかな記憶です。

昨夜のTBS「NEWS23」、綾瀬はるかさんによる6日に続く2回目の特別企画『トーキョーダモイ~シベリア抑留者たちの記憶』を視聴です。 1945年8月15日、戦争が終わったはずの中国大陸では北から攻め込んできたソ連兵に、およそ60万人もの日本人が「トーキョーダモイ(東京に帰る)」と騙され連行され、新たな“地獄”が始まりました。向かった先は極寒の地シベリア、冬には氷点下40度にもなる中で、強制収容所に入れられ森林伐採などの重労働を強いられ、60万人の抑留者のうち1割にあたる6万人もの人たちが寒さや飢えで死んでいったことを取り上げていました。

シベリア抑留といえば、糸魚川市出身の村山常雄先生(享年88)で、70才を過ぎてからパソコンに向き合い、抑留死亡者の名簿に取り組んだ偉業を思い出します。そして村山先生のこの名簿で、私の叔父(亡き父の弟)の消息も分かりました。そんなことで5年前のブログから記録することの意義をかみ締める8月です。2014年5月13日付け 村山常雄さんの訃報とシベリア抑留者名簿と・・・ 7月7日付け “巨木の人”、村山常雄さんを偲ぶ・・・ 

毎日新聞2016年5月8日でも掲載でした。https://mainichi.jp/articles/20160508/ddm/010/040/048000c


「終戦の日」と靖国と二・二六事件と台風10号

2019年08月15日 | 日々思うこと

令和になって初めての74年目の「終戦の日」です。日本の終戦は言い換えるなら無謀な戦いへの「敗戦」で、政府主催の全国戦没者追悼式をNHKで視聴し正午に黙祷です。5月の即位後初の参列となる天皇陛下は、式典で「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い・・・」と、昨年の追悼式で上皇さまが用いた表現を引き継いで平和を祈念です。

今日のメディアは軍国主義の象徴でもある靖国神社への国会議員らの参拝を報じており、予想通りの顔ぶれがゾロゾロ映し出されています。驚くことに昨年9月、靖国神社が当時の明仁天皇(現・上皇)に対して、参拝を求める「行幸請願」をおこなっていたそうで、宮内庁はこの要求を断っていたそうです。

また明仁天皇は在位中に靖国神社を一度も参拝しておらず、明仁天皇以前に昭和天皇も1975年の参拝を最後に靖国を参拝していません。この背景にあるのは1978年、靖国神社がA級戦犯合祀を強行し、昭和天皇がそのことに強い不快感を抱いていたことは言うまでもありません。

そしてアベ首相は今年も参拝を見送りで私費で玉串料を奉納、稲田朋美自民党総裁特別補佐が参拝し代理で納めたそうです。先の大戦で海外における戦没軍人及び一般邦人の遺骨を納めた“無名戦没者の墓”の千鳥が淵戦没者墓苑へはなぜ出向かないのか、戦争で失われた尊いいのちの差別化を感じてしまいます。

ところで昨夜は上の孫が久しぶりのお泊りで、スゴい寝相で横で寝ている私は寝不足です。今夜8時からのNHKスペシャルは『全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~』で、私たちが知る歴史は一断面に過ぎなかったことを取り上げています。1936年2月、重要閣僚らが襲撃された近代日本最大の軍事クーデター、「2・26事件」の一部始終を記した「最高機密文書」をNHKが発掘です。

この最高機密文書には、天皇の知られざる発言や、青年将校らと鎮圧軍の未知の会談、内戦直前だった陸海軍の動きの詳細など、驚くべき新事実の数々が記されており、事件後、軍国主義を強め戦争に突入した日本の事件の衝撃の全貌に迫る番組です。

気になる台風10号は中国地方を横断で、新潟県内は今日もフェーン現象で各地で40度を超す猛暑日です。糸魚川は南よりの強風で最高気温35.7度で、明日には日本海を北上し大荒れの予報で強風雨に要注意です。


上越市最高気温40.3度と経口補水液と

2019年08月14日 | 日々思うこと

大型の台風10号による影響が九州や西日本にも出始めており、台風の進路から遠く離れた新潟県でもフェーン現象で各地では気温上昇で、上越市(高田)では40.3度という観測史上全国最高の気温です。

体温よりも高い気温で危険な暑さであることは言うまでもなく、その上越から昼過ぎに娘家族がお墓参りにやって来ました。糸魚川の最高気温も36度を超えているものの、上越よりは少しは涼しく感じているようです。

実は、12日頃から食欲がなくなりく脱水状態で熱中症の一歩手前の状態で、水分補給に麦茶や水では限界と判断し冷蔵庫にストックの「OS-1」を少しづつ摂取です。この経口補水液なるものは初めてで、恐るおそるの飲用で何とか危機脱出です。それでも食欲がないことでパソコンに向き合う気力もなく、少し落ち着いてのブログ書き込みです。とは言っても打ち込むエネルギーも消滅で、娘が薬局で求めてきてくれた「エネルギー補給ゼリー」も飲用です

そんなことで夕食は隣りの上の孫も加わってにぎやかで、少し食欲が出てきました。昨年の猛暑に劣らぬ今年は、情けないかなお墓参りに行く気力もなく、台風によるフェーン現象もあり不要不急の外出を控えるお盆です。gooから届いた一年前のブログで吉永小百合さんによる峠三吉の詩の朗読に目を通しました。お盆の墓参りと吉永小百合さんの原爆詩の朗読


戦争の悲惨さを伝えるNHK特番

2019年08月11日 | 日々思うこと

暦の上では立秋とはいえ、朝から室温は30度を超える猛暑続きです。このところ外出もおっくうですが、お盆の準備などもあり夕方買い物に出かけると、国道はUターンラッシュで他県ナンバーの車が増えて渋滞気味です。

お盆前の気ぜわしさの中を久しぶりに姫川右岸桜づつみ周辺を回ると、頚城の山々は雲に覆われて山頂を見ることができません。田んぼの稲は色付きはじめて、後一ヶ月もすれば稲刈りも終わっている頃で季節の移り変わりを感じます。

8月になるとメディアは先の戦争や平和について取り上げていますが、特にNHKの特集番組に目を見張ります。11日の夜9時からのNHKスペシャル『激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官』は、太平洋戦争の転換点となった日米の激闘ガダルカナルの戦いで、日本軍の精鋭部隊はなぜ全滅したのか、陸海軍の対立の陰で敗北の責任を負わされた指揮官の悲劇に新資料から迫る丁寧なNHKならではの番組です。

また10日夜11時からのETV特集『忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~』もその一つです。この映画はベルリン映画祭で入賞し、国際的な評価を受けたにも関わらず、映画の存在はほとんど知られていません。そこには時代に翻弄された映画の知られざる事情があったことを伝えていました。

今回の参院選挙では「NHKを国民から守る党」なるものも出現しましたが、民放局では広告料で成り立っておりここまで続けて放映できない事情もあり、NHKならではと高く評価です。そんなことで一年前のブログでは、UX新潟TVの松代大本営やTBS報道特集「隠された戦争の記録」を綴っていました。歴史を知り、戦争の悲惨さを伝えることの重さ


長崎平和祈念式典、心打つ田上市長の「平和宣言」

2019年08月09日 | 日々思うこと

長崎原爆投下から74年、祈念式典での田上市長の「平和宣言」は先ず「目を閉じて聴いてください。」からはじまりました。

幾千の人の手足がふきとび 腸(はら)わたが流れ出て 人の体にうじ虫がわいた

息ある者は肉親をさがしもとめて 死がいを見つけ そして焼いた 人間を焼く煙が立ちのぼり 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた 

ケロイドだけを残してやっと戦争が終(おわ)っただけど……

父も母も もういない 兄も妹ももどってはこない 人は忘れやすく弱いものだから あやまちをくり返す だけど……

このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返してはならない どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。

 原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。

 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機に瀕(ひん)しています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。

 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。

 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。

 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。

 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。

 戦争や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。

 国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。

 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。

 平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。

 核保有国のリーダーの皆さん。核不拡散条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。

 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。

 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。

 長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧(ささ)げ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2019年(令和元年)8月9日 長崎市長 田上富久

6日の広島平和記念式典後のアベ首相は記者会見で、禁止条約には核兵器保有国が参加しておらず「現実の安全保障の観点を踏まえていない」として署名・批准に否定的な考えで、進まぬ核廃絶に危機感が強まってしまいます。

そして官僚の文章を読み上げる内閣総理大臣とは違い、田上市長の借り物でない言葉が心を打つ長崎平和祈念式典でした。


広島「平和への誓い」から学ぶ平和教育

2019年08月08日 | 日々思うこと

「広島原爆の日」の追記です。子ども代表として「平和への誓い」を読み上げた二人の小学6年生の“二度と戦争をおこさない未来”への想いが込められていました。

「平和への誓い」

私たちは、広島の町が大好きです。 ゆったりと流れる川、美しい自然、   「おかえり。」と声をかけてくれる地域の人、 どんなときでも前を向いて生きる人々。   広島には、私たちの大切なものがあふれています。

昭和20年(1945年)8月6日。 あの日から、血で染まった川、がれきの山、皮膚がはがれた人、たくさんの亡骸、   見たくなくても目に飛び込んでくる、地獄のような光景が広がったのです。   大好きな町の「悲惨な過去」です。   被爆者は語ります。「戦争は忘れることのできない特別なもの」だと。

私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、   次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。   「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。   二度と戦争をおこさない未来にするために。

国や文化や歴史、   違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。 みんなの「大切」を守りたい。

「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、   寄り添い、助け合うこと、   相手を知り、違いを理解しようと努力すること。   自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。

大好きな広島に学ぶ私たちは、   互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。   意志をもって学び続けます。   被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。

令和元年(2019年)8月6日 こども代表

広島市立落合小学校 6年 金田 秋佳   広島市立矢野小学校 6年 石橋 忠大

写真は時事通信より

広島市は世界の恒久平和の実現に貢献する意欲や態度を育成することを目的で子どもたちの「平和への誓い」を公募してきましたが、“継続こそ力”であることが伝わってきます。

昨夜、上越タイムス「ひろば」欄へ、上越市の広島中学生派遣事業の縮小についての思いを投稿です。そして今日は暦の上では立秋、夜になっても気温が下がらない熱帯夜が続き、涼しくなる気配はありません。gooから届いた一年前のブログです。立秋の残暑の“当たり前の平和”


原爆投下から74年目の広島と上越平和展

2019年08月06日 | 日々思うこと

74年目の今日の広島は雨、午前8時からの平和記念式典をNHKで視聴し、原爆投下の8時15分に黙祷です。松井市長の平和宣言は、5歳のときに被爆した東京・文京区の村山季美枝さんの短歌「おかっぱの頭から流るる血しぶきに妹抱きて母は阿修羅に」と、被爆者が詠んだ短歌を初めて読み上げました。

そして「唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名、批准を求める被爆者の思いをしっかり受け止めてほしい」と述べ、日本政府に対し核兵器のない世界の実現にさらに一歩踏み込んでリーダーシップを発揮するよう求めました。

内閣総理大臣としてのアベ首相は「核兵器のない世界の実現に向けた努力をたゆまず続けることは、令和の時代においても変わることのない我が国の使命だ」、「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意です」と述べながら、肝心の核兵器禁止条約には触れずじまいです。

今日も30度を超す暑さの中、上越市高田図書館での『平和展』へと車を走らせました。『平和展』は毎年、上越市非核平和友好都市宣言推進事業として開催され、今年は“子供と戦争”がテーマで、午後1時に友人Fさんと合流し展示資料を見て回りました。

『少国民新聞』の展示があり、少国民とは年少の国民で日中戦争前後から使用されていた言語との説明です。しかし、子どもや児童とはかなりニュアンスが異なり、「天皇の忠実な巨下である国民の予備軍」という意味で、子どもたちのまわりには、いつも「戦争」があったことが改めて伝わってきました。

直江津捕虜収容所のパネル展示では、新潟県内7ヶ所の収容所の第13分所が電気化学青海工場(現在の糸魚川市・旧青海町)で、BC級戦犯のアメリカ432人・イギリス109人・ニュージーランド1人の542人が記されています。

また上越市では、毎年8月6日の広島平和記念式典に市内中学校の代表24名を送り出しており、原爆の悲惨さや平和の尊さを体験した感想文が展示されています。ところが今年から全校で8名という事業縮小で、経費削減なのかこれはいったいどうしたことかと友人と平和教育をしばし語り合うひと時です。

その後、孫の顔を見てから日没前の国道を走り、薄暗くなった7時半に帰宅です。猛暑で疲れ果てたこともあって入浴後は夕食もとらずに横になり、深夜のボーとしての書き込みです。ところで熱帯夜続きの5日深夜、全英女子オープンゴルフ選手権最終日を視聴で寝不足が続きます。プロテスト合格1年目という20才の渋野日向子選手の爽やかな笑顔の優勝で、メジャー大会制覇は樋口久子選手以来の42年ぶりという快挙でした。

そんなことで74年前の戦争の悲惨さを次の世代へどう伝えていくか、大きなライフワークの一つですが、先ずは疲労回復です。皆さまも熱中症にどうぞお気をつけてお過ごしください。


風化させてはならない戦争の悲惨さとアジア外交と

2019年08月04日 | 日々思うこと

熱帯夜が5日間も続くと身体が少しづつ暑さに対応していくようで、今朝の気温は久しぶりに30度以下で最高気温も低めです。

昨夜のアニメ映画『この世界の片隅に』の後で、ETV特集『あの夏を描く 高校生たちのヒロシマ』を続けて視聴です。写真や映像がほとんど残っていない原爆投下直後の惨状を、戦争を知らない高校生が被爆者との対話を重ね克明に描いた「原爆の絵」は12年間で約140枚というから驚くばかりです。

制作に挑んだ女子高校生たちが74年前の想像を絶する惨劇と、原爆がもたらした“心の荒廃”をキャンバスに表現する試行錯誤の姿に胸が熱くなり、せめて8月だけでも今を生きる私たちは心を寄せて平和の尊さを考えねばと痛感の番組でした。

野鳥が運んだ庭の大マユミの花の蕾がいつの間にか赤くなっています。昼過ぎに孫たちのじじさまがファミリー畑へやって来て、今年の根知谷のブルべりーは今までになく花をたくさん付けたけれど、梅雨明け後に実がすべて落ちてしまい収穫ゼロで、こんな年は初めてと・・・。

日韓関係の悪化についての追記です。アベ政権のネトウヨ外交で韓国を追いつめたら極めて危険であることは言うまでもありません。知り合いのfbでは「日本は資源に乏しく、食糧も自給できない小さな島国なのだ。アジア太平洋地区の平和は危ういバランスでかろうじて保たれて来た」、「米中経済戦争に日韓衝突が加わったら、世界経済のトップ3が係争状態になる。6か国の協議がある程度平和に向けて動き出したのは、もっもとも冷静で知性に富む韓国の文大統領が存在したからでアベ外交は幼児の振る舞い・・・」と、共感すること多々です。

庭の隅のムクゲの木がドンドン大きくなって、見上げる高さでひた向きに花を咲かせています。

ところで諸外国から資源や食糧の供給を止められたら日本はどうなることでしょう。日本が生き伸びるには米国からの武器バク買いでなく周辺国との友好が必須であり、韓国と事を構えて防衛ラインが対馬海峡まで南下したら国家存亡の危機ではないでしょうか。戦前の日本が周辺国と決裂し、国連から脱退した後に何が起こったか忘れてはならず、歴史から学ぼうとしない人たちは同じ道を歩もうとしていることが伝わる夏の一日です。


日韓関係の悪化と平和を願う8月

2019年08月03日 | 日々思うこと

昨夜も四夜連続の熱帯夜でいつまで続くのでしょうか、今朝8時にはすでに30度を超す暑さです。猛暑にもめげずに咲く一日花のムクゲは韓国の国花で、日本では茶花としても用いられてきました。

このところの日韓関係の対立は当初、フッ化水素の輸出が軍事転用可能ということが発端でしたが、ここまで来てしまったのかと憂い、その亀裂をメディアは“経済戦争”と伝えています。日韓双方の見解の違いがあるものの“北風と太陽”政策を重ねながらアベ政権の外交の貧しさを感じ、せめて一般市民を巻き込まないでと願うばかりです。

そんな中で午後3時からNHK特集ドラマ『夕凪(なぎ)の街 桜の国2018』を視聴で、『この世界の片隅に』で知られる漫画家・こうの史代のベストセラーのドラマ化です。被爆地の放送局として、核と平和に向き合う番組を制作し続けてきたNHK広島放送局の昨年の再放送です。

舞台は昭和30年、原爆に人生を翻弄されながら生きる女性とその家族のひたむきに生きる姿を描き、主人公の平野皆実の会社の同僚が「打越アキラ」で、偶然とはいえ「桜の国」と「打越」に驚きです。原爆とは家族とは、そして平和に向き合える感動の番組でした。

今夜9時からはアニメ映画『この世界の片隅に』で、8月ならではのNHKの取り組みで、コトリンゴさんの映画音楽にも改めて耳を傾けたいと思います。


初登院のうち越さくら参院議員とバリアフリー化

2019年08月01日 | 日々思うこと

8月はじめの今日は臨時国会が召集され、うち越さくら参院議員の初登院です。農林水産委員会への所属も決まり、新潟県民のみならず国民のためのご活躍に期待です。

参院選を共に戦った宮城選挙区の石垣のりこさんらとの写真が届きました。

ところで参院本会議場のバリアフリー化で「重度の身体障害者に国会議員が務まるのか!?」の声の多さに驚きながら、では健常者である国会議員は務まっているのかと問いただしたい思いです。今回の国会のバリアフリー化は、誰もが生きられる社会への第一歩となることでしょう。

今日は最高気温が33度を超え、朝からやって来た下の孫は宿題をしたり録画を見たり、パソコンに向かったりと楽しそうで夕方まで過ごす一日です。上の孫は夏休み返上で、お弁当持参での遠距離通学で元気な笑顔が何よりです。

そして今夜も3日連続の熱帯夜で、明日もまた暑くなる予報です。一年前のブログでは豪雨と猛暑の7月から、戦争を身近に考える8月へ と書き込んでいました。


7月の終わりの真夏日と熱帯夜

2019年07月31日 | 日々思うこと

昨30日は日中の気温が30度を超え、夜になっても気温が下がらない熱帯夜で睡眠不足の朝です。玄関風除室の庇に6尺のヨシズを乗せての陽ざし対策で、ご近所では毎年、見事なゴーヤでの日除けです。

あっという間に7月も最後になり、今日もうなぎ上りの気温で32度を超え、熱中症になっては大変と外出を控えて家でゴロゴロです。夕方、隣りの家へ行くと下の孫は夏休み前半の部活動を終えて帰宅し、アイスクリームをペロペロです。

私といえばハーゲンダッツの期間限定の「ゆずのブランマンジェ」のささやかな贅沢で、“アイスクリーム王子”孫への買い置きはいつもの「Morinaga pino」です。

ところで今回の参院選で、自公政権が過半数を獲得したものの自民党は9議席減の57議席で単独過半数を失っています。ところがアベ首相といえば“勝利宣言”で、改憲論議の信任を得たと大きなカン違いで、NHKを含めたメディアは「憲法改正に前向き」などと“そん度報道”ですから目を逸らせません。

明日から葉月8月、晴れマークが続く一週間で、お盆を目前にして何かと多忙な日が続きますが、昨夏の猛暑同様に身体が付いてゆきそうもありません。そして今夜も25度を超える熱帯夜です。


中学生の模擬投票と「朝まで生テレビ」と

2019年07月27日 | 日々思うこと

梅雨明けの昨日は日差しも一段と強くなり、いよいよ本格的な暑さです。昼過ぎの出先で、高さ3メートル近い元気な向日葵と出会いました。

昨日、黒岩秩子さんがMLで、南魚沼市立大和中学校3年生の社会科で模擬投票をし、男子生徒の一人が「山本太郎の政見放送を聞いた」というのでびっくりしたと・・・。さらに「子どもたちに選挙に関心を持ってもらうには、模擬投票が一番だと思っています。ノルウェーでは、高校生が模擬投票をしながら、本番を迎えます。16歳から選挙権があります。 コスタりカではなんと3歳から模擬投票をします。そうしておけば、大人になっても関心を持ち続けてくれるのではないかしら?」と・・・。

深夜は「朝まで生テレビ」、『激論!若手起業家大集合!ド~する?!ニッポン』を視聴です。先ず最初に司会の田原総一朗氏は参院選での投票率の低さに、もはや政治へは期待できないと厳しい指摘でスタートです。番組は各界で活躍する若手起業家の“起業”の動機や生き方、日本の現在と未来をド~見ているのか、興味深い内容に耳を傾けていたのですが途中で眠ってしまいました。中学生の模擬投票といい、若手起業家らがこれからの日本を担っていくことに一筋の明るさを感じました。

土曜日の朝7時にはすでに30度を超す暑さで、下の孫は白馬でのサッカーサマーカップUー11の合宿です。上の孫はアルバイトで茶の間のカーペットの片付けでのおこづかい稼ぎです。2畳の電気カーペットと上敷き3畳とあって、私も年々大変になっており大助かりです。

夕方からシーサイドパークでの“おうみ祭り”は賑わっていますが、7時半を過ぎた頃から雨が降り出して、さあ大変!。明日は花火大会で、上越の孫たちがやって来る予定で一段とにぎやかになる気配の終日です。


北陸地方の梅雨明けと参院選の投票率の低さと

2019年07月24日 | 日々思うこと

朝8時の糸魚川の気温は28度を超え、気象台は新潟県を含む北陸地方は平年並みの梅雨明けと発表です。室温も上昇で熱中症になったら大変と、フイルターの掃除をしたばかりのエアコンが大活躍で、設定温度28度で広い空間は快適です。

選挙戦も一段落したことで書類などの片付けですが、なかなか集中できません。庭の方は暑さもあって手付かずでいつになることやら、お盆までにはと・・・。20日土曜の朝から出入りの造園屋さんが来て、父親が大事にしていた庭の黒松の剪定を終えたことが救いです。

ところで、参院選の結果ショックだったのは投票率の低さで、その背景にあるのは「どうせ変わらない」からというあきらめでしょうか、それとも政治への無関心でしょうか。24年ぶりに50%に欠ける48・80%投票率で、自公連立政権を確保したアベ首相は、「改選議席の過半数を得ることができた。結果として(憲法改正の)議論をすべきではないかという国民の審判だったのだろう。私の使命として、残された任期の中で当然挑んでいきたいと考えている。」という見解に驚くばかりです。

今回の参院選で自民党は、どれほど改憲を訴えたのでしょうか、選挙公報には「日本の明日を切り拓く」で改憲、憲法の文字はありません。少なくとも新潟選挙区でのアベ首相の応援演説は野党共闘候補への批判ばかりでした。また選挙制度へのメディアでの取り上げ方にも疑問が浮かび、翌22日の吉本興業の一連の問題で民放各局は昼夜、長時間の取り上げ方で何だか異常さを感じてしまいます。

今日は孫の小学校の終業式で、さあ明日から長い夏休みです。“政治の安定”という心地好い言葉に振り回されず、孫たちの世代をも見つめる洞察力を失わずに夏を乗り切ってゆきたいものです。


野党共闘“全国一の結束力”の新潟選挙区

2019年07月23日 | 日々思うこと

今朝方の糸魚川は一気に20ミリの雨に見舞われ、空模様が気になるスタートで、うち越さくらさんが上越選挙事務所へ9時に当選の挨拶にやって来ます。私はこの時間には間に合わないので、選挙でがんばり続けた友人らと当選のお祝いのランチを計画していたので車を走らせました。

久しぶりのランチでの話題はもっぱら選挙戦のことです。13日の朝日新聞で『地域紙、生き残りへの選択』、「新聞業界は、販売部数の低迷や広告の落ち込みで、厳しい状況にある。なかでも規模の小さい地域紙では生き残りをかけ、行政を監視する」と紹介された上越タイムスが注目です。

その上越糸魚川タイムスの本日は『打越氏、歓喜の初当選「全国一の結束力」野党共闘が定着』で記事をコピーし持参したことで、担当記者がここまで詳しく書けるのはそのフットワークもさることながら記者魂ではとベタ誉めです。そして参院選全国32の1人区で10議席を獲得した野党ですが、やはり新潟選挙区は「全国一の結束力」であったことを友人らと共感する楽しいひと時です。

また新潟日報、『「ともにさく政治目指す」 初当選の打越さん 一夜明け街頭でお礼』、こちらもよくまとまっていました。https://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20190722484249.html?fbclid=IwAR11n4WflSBx2Qxlyxqwll7eaBQb9rYxHHAOGsgYPHX8AioRobENy7GdbdY
 

うち越さくらさん初当選!「そんたく政治」への新潟県民の良識

2019年07月22日 | 日々思うこと

昨夜は開票速報を見ながら一喜一憂のハラハラドキドキの中、早くも10時前にうち越さくらさんの“当選確実”が出てやった!!、その直後には携帯電話がなり続け、メールなどの嬉しい対応に明け暮れです。

当確後のさくらさんは、「この勝利は皆さんの勝利です。ありがとうございます。この新潟選挙区での選挙は権力にすりより、上ばかり見るそんたく政治か、弱い人が自己責任と切り捨てられず地方がないがしろにされない、ともに咲く政治かが問われた選挙で、この新潟そして日本のために希望となる選択だった」と・・・。

「ともにさく、新潟ニュース」も選対本部から切れ目なく発信され、夜遅くに45号が届きました。こんなに嬉しいことはなく、歴史的な勝利に涙ぐみながら私も一緒にバンザイです。

また今回は上越市民連合事務所まで行けなかったけど、橋爪市議からイラストが届きました。貴重な一票をうち越さくらさんへ投じてくださった多くのみなさま、これまで選挙活動に関わってくださった人たち、ありがとうございました。