昔は家の新築で大黒柱を立てるときの儀式を「屋固め」といい、今は新築のお祝いとして行われています。同じ新潟県でも地域によっては「渡座(わたませ)」とも言われるようで、8月に完成した隣地の娘夫婦のこだわりの家の「屋固め」が昨土曜日に行われました。
檀家寺のご住職が曹洞宗大本山総持寺へ行かれていることで、九州生まれのお若き副住職が来られました。我が家も同じ曹洞宗ですが寺が異なることでずい分と違うものだなあと興味深く見聞きしました。先ず新しい家の床の間に魔除けの剣と鏡が飾られ、神様を呼ぶというお経を唱えながらの“神仏習合儀式”です。めったに経験することのない「屋固め」に、親戚の人たちや孫たちもじっと目を凝らしてその様子を・・・。後半になって副住職は左手にハンドベルのような鈴を持ち(正しくは鈴鉦)、ご詠歌を澄んだ声で歌い上げるので驚きました。その歌詞が現代風なので不思議に思い、その後のお斎(おとき)の席でご詠歌の内容を伺うと、南こうせつさんの作詞作曲ということでした。南こうせつさんは九州大分県の曹洞宗のお寺の生まれで、帰宅してから少しほろ酔い気分でネットに向かい、そのご詠歌「♪まごころに生きる」を聴くことができました。
日曜の朝、愛犬と海沿いの道を歩くと風が強かったこともあってか、いたる所にゴミが散乱です。この季節には珍しいタンポポの花の近くに「ほろよい」の空き缶のポイ捨てで、周辺のゴミと一緒に持って帰りましたが、タバコの吸殻と共にいつも後味が悪くなってしまう散歩道です。
後味といえば、今日は美味しいコーヒーに出会い幸せ気分です。ネットで何気なく開いたこだわりのコーヒーで注文を受けてからの焙煎で、北海道恵庭市から届いたその袋にハサミを入れると良い香りが漂ってきました。ドリップ1回分50円ほどで少しお高いかなあと思いながらの注文でしたが、こだわりの私としては今まで出会わなかった雑味のない味に驚きです。同封されていた「きゃろっと通信 珈琲道」を熟読すると、これまでの淹れ方への認識が変わり1杯50円で至福のときを味わっています。
ところで11月の終わりに、私の神仏習合への見方が少し変わりました。地球上の同じ民族同士の宗教戦争を悲しく想ってきましたが、今の日本は神仏習合なので大昔はともかくこれまで宗教上の対立で血を流すことがなかったことを再認識です。この神仏習合の日本人の“中途半端な曖昧さ”を時にはあまり快く受け止めていなかっただけに、今回の「屋固め」を機にして“中道”なることにも納得です。
早いもので明日から師走、衆院選挙でさらにあわただしくなりそうですが、こちらの方は中途半端ではいけません。先ずは棄権することなく投票に行きましょう。