あけましておめでとうございます。
年が明け新年は雪のない元日を迎えることができました。大晦日に下ごしらえをしておいた雑煮にお餅を焼いて仏壇と神棚にお供えし、平和で穏やかな年であることを願いました。以前、合併前の上越市頚城区「希望館」でペシャワール会の中村哲先生の講演があり、「食べものがあるということは争いもなく、平和の第一条件・・・」とアフガンでの活動を話されましたが、奪い合いや憎しみの中から真の平和は生まれないことでしょう。
ご近所の塀越しに赤い実をいっぱい付けた大きな木に気がつき、よく見ると千両によく似た常緑木です。鉢植えの低い千両しか見たことがなく、元日朝の散歩で家人、正確には嫁いだ娘さんに会ったので「何の木ですか?」と伺うと分からないということで確認のしようがありません。
近年の元日には娘たち家族が集まりワイワイとにぎやかなひと時で、年暮れに求めておいた根知谷の男山酒造の「雪見酒 しぼりたて生酒」で大人たちは乾杯です。なかなか美味で季節限定とあって、もう一本求めておきたいほどです。
ところで元日に届く年賀状はすべて年暮れの忙しい頃に投函した真面目な知人からのものですが、私はいつも無礼ながら新しい年になってから書き出すことにしています。今年のえとは申(さる)で私は年女!、戦後2度目の丙申(ひのえさる)の“変革の年”だそうで、申年は機知に富む行動派で、コレだと思ったら脇目もふらずまい進するチャレンジャーということで、半分は当たっているので笑ってしまいます。
その賀状の中から、青海中学校で担任だった東京在住の恩師S先生は「昨夏のSEALDSの動きに刺激されて、私も国会前に数回足を運びました」と、きれいな手書きです。また同い年の申年の人からの賀状も多く“年男・年女”であるはずですが誰一人としてそのことに触れていないので、古希を過ぎると年齢にはスルーのようで笑ってしまいました。そんなことで「笑う門には福来る」、今年も元気にまい進してゆきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
年賀状の正規な書き方は、最後の将軍徳川慶喜の孫で、戦後茨城県水戸市の郊外で、大規模な開拓を進めた徳川幹子さんも、除夜の鐘で新年の幕開けを受けた後、硯の墨をすりはじめたそうなので、そういう正統派の意思って大切ですよね。筋を通す活動家勢子さんに今年も乾杯(^^)/\(^^)!
新年早々のコメント、ありがとうございます。
年内に早く投函するのは、郵便局の都合でもあるようですね。私は正統派というよりも怠け者かも・・・。
今年も的確なる声を届けてくださいますよう、
どうぞよろしくお願いいたします。