水仙(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
人をあげつらうのは嫌いなのですが、不愉快になる光景を目にしてしまいました。
電車に乗っていたんですが、頭が良くなると評判の「数式クロスワードパズル」に夢中な人がいて、
杖をついていて、明らかに体の弱そうな方が目の前に来ても、
席を譲らなかったんですね。
そして、そんなことをもう何度となく目にしているんです。
☆ ☆ ☆
自分の価値を上げようと技能を身につけたり、体を引き締めたり、
あるいはなにか努力をしてみたりということそれ自体は、
結構なことだと思うんです。
ただ、どんなに頭がよくなり、いろいろなことが出来ても、
「人の痛み」がわからないようでは、算数でいう「×0(かけるぜろ)」と同じになってしまうのではないでしょうか!?
電車の席の例もそうですが、人の洞察に思考力を使わない、振り向けないなんて、
なんのための「勉強」、もとい「向上心」なんだと、
私は思ってしまうんですね。
結局、最終的には人間性が鍵を握るのです。
もちろん、「根本的な性格」だけで世渡りができるのなら、
なんの苦労もありません。
しかし現実には、自分の価値を高めて、人様の役に立つようにしていくことではじめて、
多くの人から可愛がられるのは、皆さんも経験している通り当たり前のこと。
自分を高めようとしない、磨けるものも磨かない人なんか、
誰も必要としません。
ただし、です。
どんなにその人に価値があろうと、人の痛みがわからなくなってしまっては、
結局は「その価値にあやかろう」とする人は、
少しずつ去って行って、最後にはいなくなってしまうと思いませんか。
「自分を磨く」というと、たいていは賞賛の目で見られることが多いもの。
しかし、「自分を磨こう」とするあまり人の気持ちが見えなくなってしまうなら、
そんな「自分磨き」はやめてしまったほうがまだマシなのではないでしょうか!?
もちろん、時に自惚れてみたくなるのが人間というものです。
アクセサリー的な意味合いで、あるいはファッション感覚で、
自分を磨こうと思う心があっても、それはそれで良いと思います。
ただし、それにとどまらず自分の価値を見てもらうためには、
あくまで「人の心がわかる」という点はスルー出来ない、この事実をしっかりと押さえておく必要があるのです。
「ステキな人ですね」と言われるためには、
利己的な気持ちだけでは無理なのです。
つまり「ステキな人」というのは、
・なんらかの能力やステータスがある
・人の心をしっかり理解しようとする
・そして、これらをより良いものにしようという向上心がある
…この3点を満たす人だ、と言えそうです。
どうせなら、ここらへんを考えて自分を磨きたいものですよね。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
人をあげつらうのは嫌いなのですが、不愉快になる光景を目にしてしまいました。
電車に乗っていたんですが、頭が良くなると評判の「数式クロスワードパズル」に夢中な人がいて、
杖をついていて、明らかに体の弱そうな方が目の前に来ても、
席を譲らなかったんですね。
そして、そんなことをもう何度となく目にしているんです。
☆ ☆ ☆
自分の価値を上げようと技能を身につけたり、体を引き締めたり、
あるいはなにか努力をしてみたりということそれ自体は、
結構なことだと思うんです。
ただ、どんなに頭がよくなり、いろいろなことが出来ても、
「人の痛み」がわからないようでは、算数でいう「×0(かけるぜろ)」と同じになってしまうのではないでしょうか!?
電車の席の例もそうですが、人の洞察に思考力を使わない、振り向けないなんて、
なんのための「勉強」、もとい「向上心」なんだと、
私は思ってしまうんですね。
結局、最終的には人間性が鍵を握るのです。
もちろん、「根本的な性格」だけで世渡りができるのなら、
なんの苦労もありません。
しかし現実には、自分の価値を高めて、人様の役に立つようにしていくことではじめて、
多くの人から可愛がられるのは、皆さんも経験している通り当たり前のこと。
自分を高めようとしない、磨けるものも磨かない人なんか、
誰も必要としません。
ただし、です。
どんなにその人に価値があろうと、人の痛みがわからなくなってしまっては、
結局は「その価値にあやかろう」とする人は、
少しずつ去って行って、最後にはいなくなってしまうと思いませんか。
「自分を磨く」というと、たいていは賞賛の目で見られることが多いもの。
しかし、「自分を磨こう」とするあまり人の気持ちが見えなくなってしまうなら、
そんな「自分磨き」はやめてしまったほうがまだマシなのではないでしょうか!?
もちろん、時に自惚れてみたくなるのが人間というものです。
アクセサリー的な意味合いで、あるいはファッション感覚で、
自分を磨こうと思う心があっても、それはそれで良いと思います。
ただし、それにとどまらず自分の価値を見てもらうためには、
あくまで「人の心がわかる」という点はスルー出来ない、この事実をしっかりと押さえておく必要があるのです。
「ステキな人ですね」と言われるためには、
利己的な気持ちだけでは無理なのです。
つまり「ステキな人」というのは、
・なんらかの能力やステータスがある
・人の心をしっかり理解しようとする
・そして、これらをより良いものにしようという向上心がある
…この3点を満たす人だ、と言えそうです。
どうせなら、ここらへんを考えて自分を磨きたいものですよね。
おっしゃる通りです。私もその様な光景を目にします。人の痛みがわかってこそ
人です。
頭や体を磨くよりも第一に心を磨く事ですね。
こんばんは、コメントありがとうございます
同じ考えの方がいらっしゃってうれしいです
正しく自分を磨けば、他もしっかりしてくるんですよね
私も精進します