日本を代表するコメディアン志村けんさんが新型コロナウイルスに感染して亡くなって何日目だろう…。
世界中が『自宅待機』状態になり、自然とインターネットを見る機会がふえ、Youtubeなんかでは『志村けん特集』が大量にアップされているが、理屈抜きで笑わしてくれる彼の才能に今更ながら感心し、本当に惜しい人を亡くしたことを残念に思う。
・・・と同時に、この様なタイミングだからこそというべきか?『死して本望を遂げる…』というようにあたかも今、喜劇人の意地を見せている。
というか志村さんだから、もっと肩の力を抜いたやり方で日本中の『引きこもり生活者』に笑いを振りまき、人々が喜んでいるのをあの世から満足気に眺めているに違いない。
ボクは志村さんより2歳年下のほぼ同世代だけれど、1980年代からほとんどTVを見る機会がなかったので、いまYoutubeで彼の沢山のコントを新鮮な思いで見ている。
そんな志村のトンチンカンなやり取りギャグをいくつも見ているうちに、安倍総理のトンチンカンな国会答弁やギャグそのものの政策など、志村ギャグから相当学習していることを確信した。
『すっとぼけ』『ごまかし』『すり替え』『故意の聞き間違い』で志村は人々の笑いを取り、安倍は支配を強め、私腹を肥やす…安倍政権はもっと悪質でより巧妙だが。
しかしもちろん、この二人の同じようなギャグは基本的に正反対の性質をもっている。
志村のギャグのベースには『愛』があり『虚飾を奪い笑い飛ばす力』があり民衆を幸福にする。
一方、安倍のギャグは『欺瞞と虚飾で自己を大きく見せようとする愚かさに気づかない悲哀』が一杯で国民を不幸にしているのだ。
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