合掌の時代・・・がいよいよ来ることになったのだろうか。
昔々、釈迦の悟りから敷衍したお経の一つ、法華経に常不軽菩薩の話がある。
会う人、会う人、誰に出会っても、『貴方はいつの日か、仏として目覚める方です…』と合掌礼拝した坊さんがいたそうだ。それを言われた大衆の中には、気味が悪いと、石を投げつける者などがいたそうだが、逃げ去った遠くからも『貴方を軽蔑しません、いつの日か仏に目覚める方ですから…』と合掌礼拝したのが、お釈迦様の前世の姿であったと云う。
ボクの昔、これをある仏教書で読んだ時、どこにどう惹かれたの分からないが強く印象に残ったことを覚えている。ただその時は、常不軽菩薩が相手に対して『合掌礼拝』していただろうことは容易にイメージすることはできていたが、その合掌にどれだけ深い意味が隠されていたのかはその時はまったく知らなかったが…。
合掌については以前にブログに書いた⬇︎
あれから合掌について、人に話てみたい…と思って計画していたら、今回のコロナ騒動で無期限延期になってしまった。
しかし、このコロナ騒動期だからこそ世界中の人類に平和をもたらす挨拶行為としての『合掌+礼拝』を提唱する機会はないのではないだろうか。
釈迦の死に際にうろたえる弟子に彼が残した最後の教え
『自灯明、法灯明』・・・よく調えられし己こそまこと得難きよるべなり…
その姿として美しい合掌礼拝は彼の言葉を日常に取り入れた挨拶として再考すべき時ではないだろうか。
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