『私にとって写真とは何か?』・・・それは結局、非言語である『写真 IT 』学による『人間観察』であって
それは自ずと『己事究明』へと畢竟帰処(ひっきょうきしょ)するもので
・・・・ここに『結』となり、この『結』は『スピリチュアル』なものと再び結びつける…という意味で『Religion』となった。
考えてみれば、このブログ名『拈華微笑』は・・・仏陀はいつもの講話をせずに、『ただ華を示す』ことで、『情報通信』を発した場面で
誰よりも『写真家』がこれを解読する立場に近かったのではないだろうか。
そういった一面もある『写真』・・・、『スマートフォン』出現以来、人類は歴史上『総写真家』現象を起こし、それこそ猫も杓子も…状態となり
それは逆にプライバシーを守るために『肖像権』の強化となり、『写真』による『人間観察』アプローチの道を閉ざすこととなった。
そのせいかどうかは知らないが、『コンテンポラリーアート』が台頭し、徹底的に作為的作品ばかりが世に憚っている気がする。
これが私のコンテンポラリー写真。
『押し黙る 鷺にこそ聞け 青色に 空も湖水も 染まるその時』一撮
なるほど、私の基本コンセプトと通じるものがありますね。
観て、明かす、ある種の結びになりますよね。