拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  命の重量と仏教

2023年12月31日 | 東洋自分なり研究所

  このところ、地元スイスのモルジュ村近辺は変に暖かで、暦でもみなければ今日が『大晦日』とは思えないが

  まぁ、年に一度の『大晦日』・・・、日本人の自分としてはやはり、2023年の総括をし、明日からの新年に備えましょうか。

 

  2023年はなんといっても、相方の両親、私の義父母の老人ホームへの入居、義母の死、取り残された義父の苦悩・・・といった

  『生老病死』を目の当たりに眼にした年であった。

  そもそも仏教が、『生老病死』をテーマに起こった事を思うと、その宗教つまり、『仏教』というものの存在に改めて『有難さ』を思い、

  そうした仏縁のなかった彼等を残念に思うことは、はたして傲慢であろうか?・・・。

  それは同時に、仏教者としての自分がそばにいながら、ただ見守ることしか出来なかった『残念』でもあるわけであるが

  90歳を過ぎた彼等がこれまで、いかなる宗教も受け入れなかった生き方であり、また死に方なのでもあるだろう。

 

  日本においても、葬式は『仏教』でやっても『生老病死』の問題については無宗教でのたうち回り、物欲の海に溺れるように

  死んでいく人々は多いのだろうか? 或いは、神仏の環境に熏習されて、無宗教でありながら『安楽』に死を向かい入れる人々が多いのか?

 

  2023年、日常生活では気が付かないが、スイスを挟む形でウクライナとイスラエルで『戦争』が続いている・・・。

  その状況をニュースなどで知るにつけ、一人一人の『命の重量』の『軽さ』・・・が実に悲しく、そういう状況が『戦争』の実態なのだと改めて思う。

 

         

  人間が愚かな存在であると認識したとき、たとえ一時的にせよ『平和』な状況をなし得た時間は、『奇跡』なのだと思う。



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