快晴のレマン湖を見るともなく見てつくづく思う。
2年前に退職するまでは、自分にとって『天気』はわりとどうでも良かった。
(雇われ)引っ越し屋として、現場責任者(責任者といってもなんの肩書をもらうわけでもなく、一人いた先輩が辞めたあと自動的に責任を自ら自覚した結果)の立場で13年ぐらいジュネーブに勤めていたが、その日の問題はその日のうちにいかに効率よく、客も我々も納得行く仕事ができるか、どうか・・・というのが重大事であったから暑かろうと、雨が降ろうと、天気はそう気にしなかった。(そりゃあ、引っ越し屋だから晴天がいいけど…)
それが、昨日ふと『いい天気だなぁ…』と改めて思ったとき、上記のような事情があったことを考えたのだ。
仕事というものは、一面そういう心の余裕を奪うようなこともあるが、それに全力を傾ける充実感もあるわけで、それぞれの立場の人によって天気一つにしても感慨が違うこと自体を一人ひとりがわずかでも理解することが大事なのかなぁ…。
翻して考えると退職者は、『余裕しかない…』ぐらいなもので、猛スピード時代にあって『余裕を担う』かなり大切な役割を配されている、のであるから、日本で言われている、退職年齢の後退は人としてのあり方も、国のあり方としても負の要因でしかないだろう。
極楽の 居場所示して 一匹が
天上天下 唯我独尊 : 一撮
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