般若ちゃんの話は前回で完結…と思っていたが、いやいや、ちょっと書き忘れていた大事なことがあった、と思い出した。
というのは、まぁ噂では聞いていたが、実際にこの眼で見た…という衝撃、というと大袈裟なようであるが、私の幼少の頃と
比較すると、私が般若ちゃんの家で見た光景は『衝撃』に値するものであったのだ。
私の子供の頃の家は、二部屋で母と6歳上の姉と私の3人で住んでいて、もちろん自分の部屋なんてなく、せめて・・・という感じで
私の寝室は『押入れ』でプライベート感をだして満足していた。なんせ、母は私を産んでから体調を崩し、私をよそへ預け、姉は
しばらく孤児院のようなところに入れられた。というのは父は一体何を考えていたのか?私達をおいて『蒸発』してしまったのだ。
バラバラになっていた家族が父を除いて、一緒になったのが私は小学校へ行くために親権のある実母の元に戻って来た時であった。
私はそれまで、預けられていた『菊池の母さん』と呼んでいた里親の家で暮らしていたのだ。
まぁ、病弱の母は継続して働くことが出来なかったので、母子家庭の我が家は生活保護を受けていた。
家には水道がなく、10mほど離れた外の水道場からバケツで運んで家の水瓶にいれるという状況で、当時でもそんな家は珍しかった。
間違いなく貧乏であったけれど、里親の家と実の親の家を小学校へ行っている間、毎日のように行ったり来たりしていた為か
私自身は私の家がそんなに『貧乏』であることが、分からなかったし、気にしたこともなかった。
それで本題にもどると、般若ちゃんの誕生日に招かれて、彼女のお部屋を見せてもらったのだが、
実は彼らの部屋の作りは、2つ階上の我々の部屋と全く同じであったから、よくわかるのだが、般若ちゃんの部屋は
私の書斎にあたる部屋で、日本間で言うと8畳間ぐらいだろうか、そのスペースの部屋が3歳の般若ちゃんの部屋に
割り当てられている…ことに、私は『衝撃』を受けたのだ。ヨーロッパでは子供が生まれると、即一室を割り当てられると
聞いてはいたが、実際にその事実を眼にすると、改めて驚いたのだ。というのは、その若夫婦に残されている部屋は
寝室と居間とキッチンで、大人達がプライベートで使う部屋というのは無い・・・。
この部屋の一件で、私は西洋人の子供に対する『教育』への意気込み…を見せられた気がした。
私は、今の日本の若夫婦の現状というのが全く知らないので、案外その点も西洋化して似たような状態になっているのか
わからないが、そのことに私に強く印象に残ったのだ。
コロナの為に、そこの若旦那は仕事は現在リモートワークで、一日中小さな子どもがいる家での仕事は
大変で、早く会社で仕事をしたい…とこぼしていた。
この写真は近くにある公園の18個ある、絵本ならぬ童話彫刻の一つで、眼で楽しむだけでなく、眼の不自由な人達も
触って物語を楽しめる、大変ユニークで優れた作品となっている。大人も子供と一緒になって、大切な何かを学ぶ…公園
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます