拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

刃 (やいば)ー が紡ぐもの

2020年11月22日 | 観自在

  Youtubeで今、日本で評判の映画『鬼滅の刃』の解説している動画を散見した。
  アニメだし、鬼退治なるストーリーということで全く興味を持たなかったが、ボクの好きなYoutuber 『イチゼロシステム』
  という、何時も高次元のテーマを早口で問題の核心をつく解説は何時も何かしら、自分に問題提起してくれるので
  お気に入りのYoutuberだ。
  その彼がこのアニメ『鬼滅の刃』を真面目に取り上げるというので約50分の動画を観たあと、Amazonプライムで
  アニメを8話ぐらいまで観た。

  このアニメ『鬼滅の刃』を観て、第一に思ったことは、日本文化の核心にはやはり『悟り』があって、それにいたる
  『修行』という形式が確立されていて、その伝統が今なお紡がれている・・・ということだ。
  今は、日本でも時代劇はほとんど観られないと思うが、ボク等が子供の頃は多分『時代劇』全盛期であったかもしれない。

  マンガも映画もテレビも小説も、『忍者もの』『剣豪もの』『捕物帖』『丹下左膳』やらその他いろいろな時代劇があった。
  昔このブログに書いたけど、週刊マンガ誌に載っている特集『忍術』の忍びの歩き方を子供のボクは足にマメを作りながら
  練習したものだ。つまり、子供ながらに真剣にこういったことから何かを学ぼうとしていた。
  北海道のオホーツク海に近い片田舎に生まれ育ちながらも、『修行』というものが、人生において何か大切な事で
  あると、認識を持つことが出来たのも、こうした『時代劇』の影響の賜物であった。

  日本のアニメが評価される理由の一つには、物語の型として、精神の昇華を目標とした、その過程(修行)が描かれる
  というスタイルが確立されていて、このバリエーションがあらゆる時代、様式を取り入れた形で応用するからではないだろうか。

  それと、刃(やいば)というのは、その言葉の背後に『生死』の問題が提示されていることだ。
  子供の頃はもちろん、そんなことは考えもしなかったけれど、『生死』の解明と『修行』とは、仏教国日本では言わずもがなの
  ワンセットで、大人に成長するにつれ、『里帰り』的 『郷里=悟り』みたいなものに気がつくような文化システムになっている。
『鬼滅の刃』の映画がコロナ騒動の中、大ヒットである理由は、コロナが引き起こした社会危機で『諸行無常』を感じとった人々が
  それを克服する『道』を求め、炭治郎の如く『嗅覚』を鋭くし、この映画の『悟り』の匂いを堪能したいからに違いない。

  それと、ボクは『考えるな、漢字ろ!』を提唱しているが、この漫画『鬼滅の刃』はまさに、『漢字帰り』を日本人に強く訴える
  かのように、難解な漢字がバンバン使われているのも痛快だ。漢字こそ日本文化を解読する方程式なのだから。

         
  



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