月一回…という定期の決まりもないながら、地元ローザンヌの曹洞宗系の禅道場を主催する道海坊と映秋尼と
我々4人での宴を時折もうけている。
彼等とは、初めてボクがローザンヌに来たとき、38年前?その頃ボクは日本で禅を始めたばかりの頃であったので、ローザンヌの友人
を訪ねて(2周間)初めて来たヨーロッパのこの一都市の禅道場とはどんなものなのだろうか・・・という好奇心丸出しで
当時の彼等に会っていた。今とは全く違う場所であったし、寂しいほど簡素で狭い一室であったのを記憶している。
その後、長いこと疎遠であったのがたまたm,我が相方と道海坊がジュネーブまで通勤する電車内(40分ぐらい)
それも食堂車でのカフェ交流(20年前の話)が縁となり少しずつ少しずつ、週末などに4人でお茶を飲む間柄となった。
それぞれの住居が近かったこと、そして『禅』という共通事項、その後彼等も4回ほど日本で修行したことなどもあって
親交が徐々に深まっていった。
2020年春からコロナ騒動で人との交流も疎遠になっていたときにも、ソーシャルディスタンスをあけ、マスクをした
形で、時折彼等の素敵な道場の入口のスペースでささやかな『宴』をなんどか設けたりした。写真⬆︎は先日のもの。
道海坊はフランスの本部的、大道場の大きな接心には必ず参加して『典座』役を引き受け、一度に百人以上の食事を
調えるベテランである。その彼が宴を設けると些細でありながも、心のこもったものとなる…
4人で話す言葉は、フランス語なのでだいたい、ボクはニコニコしてただ彼等の話を聞いていればいい、という楽なポジぃションであるが
この日は、道海坊が是非、ボクの意見を聞きたい!と問うてきたことは、
『西洋人は個人主義といわれるが、日本人であるお前さんが、長年ヨーロッパに住んでいて、そこんとこどんなふうに感じている?』…というものだった。
その点について、誰かに聞かれるまでフォーカスしたことがなかったので、あとで考えるに非常に『いい質問』をもらったと思う。
それでボクが考えたことは、ヨーロッパというか実際にはここスイスでの観察という限定付きヨーロッパ観であるが
日本では社会における他人との関係性の『幅=スパン』のあり方が、ピンからキリまでの範囲がとても広い・・・ということは言えると思う。
言葉を変えると、個人主義という縛りがないだけ『人間関係の多様性』が信じられないくらい多い国なのかもしれない。
その点、ヨーロッパは日本に比べると範囲が狭いので、それを了解した上での議論でなければ何かが違ってくる、と思った。
彼等二人にしても数回、限られた期間日本に滞在したが、知っているのは日本のほんの一面であり、現実の日本はヨーロッパに比べると
もっと複雑だし、もっと残酷な面もあって理想的な面と現実的な面の『幅』が日本は本当に広い国であるとわかる。
よく、日本は平和で安全な国であると自他共に認識したりするが、非道な事件…とまでいわないまでも、毎日夜9時、10時まで残業しなければならない
社会の仕組みとか、個人主義のヨーロッパでは考えられない事態が日本では日常的に起こっていることも考えなければならないと思う。
『個人主義の国』…の欠点と『そうでない国』の欠点を比べた時、個人主義ではない故に、人間関係もより複雑になっているという事情が
日本にはあるのではないだろうか。
我々4人での宴を時折もうけている。
彼等とは、初めてボクがローザンヌに来たとき、38年前?その頃ボクは日本で禅を始めたばかりの頃であったので、ローザンヌの友人
を訪ねて(2周間)初めて来たヨーロッパのこの一都市の禅道場とはどんなものなのだろうか・・・という好奇心丸出しで
当時の彼等に会っていた。今とは全く違う場所であったし、寂しいほど簡素で狭い一室であったのを記憶している。
その後、長いこと疎遠であったのがたまたm,我が相方と道海坊がジュネーブまで通勤する電車内(40分ぐらい)
それも食堂車でのカフェ交流(20年前の話)が縁となり少しずつ少しずつ、週末などに4人でお茶を飲む間柄となった。
それぞれの住居が近かったこと、そして『禅』という共通事項、その後彼等も4回ほど日本で修行したことなどもあって
親交が徐々に深まっていった。
2020年春からコロナ騒動で人との交流も疎遠になっていたときにも、ソーシャルディスタンスをあけ、マスクをした
形で、時折彼等の素敵な道場の入口のスペースでささやかな『宴』をなんどか設けたりした。写真⬆︎は先日のもの。
道海坊はフランスの本部的、大道場の大きな接心には必ず参加して『典座』役を引き受け、一度に百人以上の食事を
調えるベテランである。その彼が宴を設けると些細でありながも、心のこもったものとなる…
4人で話す言葉は、フランス語なのでだいたい、ボクはニコニコしてただ彼等の話を聞いていればいい、という楽なポジぃションであるが
この日は、道海坊が是非、ボクの意見を聞きたい!と問うてきたことは、
『西洋人は個人主義といわれるが、日本人であるお前さんが、長年ヨーロッパに住んでいて、そこんとこどんなふうに感じている?』…というものだった。
その点について、誰かに聞かれるまでフォーカスしたことがなかったので、あとで考えるに非常に『いい質問』をもらったと思う。
それでボクが考えたことは、ヨーロッパというか実際にはここスイスでの観察という限定付きヨーロッパ観であるが
日本では社会における他人との関係性の『幅=スパン』のあり方が、ピンからキリまでの範囲がとても広い・・・ということは言えると思う。
言葉を変えると、個人主義という縛りがないだけ『人間関係の多様性』が信じられないくらい多い国なのかもしれない。
その点、ヨーロッパは日本に比べると範囲が狭いので、それを了解した上での議論でなければ何かが違ってくる、と思った。
彼等二人にしても数回、限られた期間日本に滞在したが、知っているのは日本のほんの一面であり、現実の日本はヨーロッパに比べると
もっと複雑だし、もっと残酷な面もあって理想的な面と現実的な面の『幅』が日本は本当に広い国であるとわかる。
よく、日本は平和で安全な国であると自他共に認識したりするが、非道な事件…とまでいわないまでも、毎日夜9時、10時まで残業しなければならない
社会の仕組みとか、個人主義のヨーロッパでは考えられない事態が日本では日常的に起こっていることも考えなければならないと思う。
『個人主義の国』…の欠点と『そうでない国』の欠点を比べた時、個人主義ではない故に、人間関係もより複雑になっているという事情が
日本にはあるのではないだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます