先日、『私にとって『禅』とは…』という題でブログを書いた。 2022年2月20日のブログ:私にとって『禅』とは
舌っ足らずなのは、いつもの如く…なのだが、なんか落ち着かない。
ということで、その(2)を書くことにした。
『禅』の話は正直これまで誰ともしたことがなかった。適当な話し相手がいない…という切実な現実もあったが
そもそも『禅』自体が、とらえどころの無いモノ・・・という面は確かにある。
それでありながら『Zen』という言葉だけは、世界中に、特にインテリ層を中心に普及している。
これまで何度も『鈴木大拙1870〜1966年』という人の名を出したが、彼が英語、日本語で『禅』についての本を出したことで
禅は世界に普及していった。その頃は『禅』は無名であったから、大拙は『禅』は即『悟り』と同意語として扱っていたように思う。
しかし、今現在2022年では、インターネット普及のおかげを持って世界中の人がレベルの差はあれ『悟り』とは知らずに悟っている事柄を
それぞれのやり方で可視化し始めている・・・そんな時代であることを私は感じる。
そうであるとき、『禅』は一面〜『禅修行』について独特な面があり、それは自我から『無我』への徹底した『行』であること強調する場合。
そしてもう一面は〜『無我』から『悟り』に向けての覚醒を問題にした『禅問答』との取り組みに『禅』を観る場合・・・とがある。
世界広しといえども、『悟り』をここまで真剣に取り扱い、文化の隅々にまで浸透させている国は日本をおいて他にない…
事実を我々日本人はもっと自覚すべきであると思う。
私は『悟り』は『故郷さとり』であるとこれまで何度も言ってきたし、これからも一層声を大にして言っていくだろう。
2月28日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり戦争になり世界中が不安に陥っている。
先日来、ブログで紹介してきた『宗教と人間』の著者、寺島実郎氏が昨日朝日新聞デジタル版で
『ウクライナ危機、日本の『知の再武装』が問われている』というタイトルで日本国民に向けて
彼が『提言』している『知の再武装』が、仏教の『智慧と慈悲』に根ざした『悟り』であり、
あらゆる差別のありようのない『人間の故郷(さとり)』への帰郷を促すものであることを、私は確信する。
彼の提言の中で特に印象に残った一つ。
『核保有国による核を持たない国への侵攻です。そこも唯一の被爆国とされる日本が主張すべき大事な点です。
日本がなすべきは核兵器禁止条約に参加し、特に核保有国が核を持たない国を攻撃することを禁止にするルール形成を主導することです。
そういう世界を実現するためにどう行動するのかが問われているのです。』寺島実郎氏
『悟り』は人間の『郷里サトリ』・・・慈悲と智慧のある所へ一度は帰郷すべし・・・の図
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