拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 瑞西山の風雷神

2013年01月28日 | ヨーロッパの風
  『次の話は、禅匠がその弟子を絶対的現在のイキイキした内容に導こうと努める方法を知る一助となるであろう。

   馬祖(中国の禅僧8世紀)が、ある日、弟子の一人の百丈と散歩をしていた時、一群の雁が空を飛んで行くのを見た。
   馬祖いわく、「あれは何だ。」  百丈が答えた、「雁です。」
   馬祖は重ねてたずねた。、 「どこへ飛んで行くのだ。」    百丈「みんな行ってしまいました。」

   馬祖は百丈のほうへ向き直ると、 彼の鼻をひねりあげた。 百丈は思わず悲鳴をあげた。
   馬祖はすかさず 「飛び去ってはおらんわい」と。
   ここで百丈は省悟したのである。』・・・・

   これは 我が 鈴木大拙 の本 『禅による生活』に出ている話で ちょうど30年前 ボクはこの本を買って読んだのだが
   ちんぷんかんぷん で その後 何度も読んだが 何が言いたいのか さっぱり わからなかった ・・・
   いわゆる 禅問答というやつで この本の随所に いろいろな話が 山ほどでてくる。 
  
   へんてこりんな話で 解らないにもかかわらず

   鈴木大拙サンの 本からにじみ出る 人柄に魅せられて 読むことを 諦めなかった。

   辞書によると “ 瞑想 ”とは ~ 眼を閉じて静かに考えること。 現前の境界を忘れて想像をめぐらすこと。・・と書いてある。

   だとすると 禅は ぜんぜん 瞑想とは かけ離れている。

             


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