拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 巨大な癒し力のために

2012年02月17日 | マトリックス・J
  昔と言っても去年の夏 http://blog.goo.ne.jp/syaraku-sai_5/d/20110729 死んでしまった エイミー・ワインハウスの歌声にしびれたが、
  
  今回は 
                

  この人。 やはり帰宅電の中。 (ボクのネットワーキング熱も ささやかに発展して 前回のスマホに対して タブレットに昇格)

  マイケルにしても ワインハウスにしても ヒューストンにしても 強烈な人間性を 謳歌した人々が 早すぎる死を迎えたことに 
  何か意味があるのだろうか? 何か我々の社会の歪の犠牲に なったのであろうか?

  例えば どんどん進化する ネットワーキングシステム によって ボクの場合は 人間性を より深化させる手段として有効で
  あるように思い込んでいるが 一方では 逆の方向に 進んでいるのか・・・? 

  テクノロジーによって 沢山の人の手が 省けてきているが それによって失った 人間性は どうなんだろう?

  先日 バレンタイン・デイの日に ある女性のFaceBook にチョコレートの原料であるカカオ産出国での子供を使った搾取労働
  の動画 http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=BfB3ZTL3RTw#!
  を提示して 我々自身も 児童搾取労働に 知らないとはいえ 手を貸しているのだ・・・と
  チョコレートのやり取りに浮かれている世間に 一石を投じていた。

  これも 社会地球的 歪の なせる問題であろう。  
 
  その歪みが どうしょうもなく 巨大化している現代 それに対抗的生き方の代表である 芸術家は彼等の持つエネルギー もまた
  巨大であるがために  疲労死してしまうのだろうか?  などと 取り留めのない事を 金曜の夜に 考えた。 
   


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