拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  貧乏について

2011年12月28日 | オレ的アングル
  最近誰かと話しをしていて こんな不景気な世の中だけど 金持ちは金持ちである・・・というわかりやすい話をしていた。

  昔から世の中 そんなもんでは・・・という気がしていたけれど よくよく 今の世の中観察すると この貧富の差が益々広がっているような気配は
  いくら凡苦楽なボクでも 何やら「モンディアル化」(仏語~世界化)という言葉と共に 儲ける人はどんどん儲かって そうでないものは(例えばボク)
  だんだん生活が苦しくなっていることは感じていた。 日本に長いこと帰国していないのは そのせいであろうか?

  ことに スイスは経済圏的に ユーロに加盟していないせいか(?)やたら物価高、 その上毎年、毎年 保険・国鉄の値上げ など半端でなく
  (この世界的不況であれば それはどこでも 同じような状況なのかも知れないけれど) 給料は上がらないので 中間クラス層でも 
  年々貧乏になっているらしい。

  それとは別だが 国境を越えて 東欧から 乞食(友だちの話では 泥棒も兼ねているジプシー達)が街の 辻々に コップを持って座っている姿を
  日常的にみかけるように なったが、 (ボクがスイスに来た頃の20年前は 乞食の姿はなかった)これもモンディアル化の現象だろう。

  ボクは金銭的な問題に 一切疎い ので まぁ、毎日ちゃんと仕事して 食べれれば・・・あとは 金についてほとんど考えたことが ない。
  子供も無く 車も持ってないし 妻と二人暮し という気楽な 立場といえるだろうか。 

  ボクはもともと 貧乏な家に生まれついたようなのだ。どういう事情か 知らないが 母子家庭、その上母は 病気がちで 赤ん坊のボクを育てることが
  できなくて、 預かるという形で里親にボクは育てられた。 その里親も貧乏に近い家庭であったと思う。

  しかし、小学校に行くまで 里親によって何不自由なく育てられていた為か その後 実の母親と 生活保護を受けるほど 貧しい生活をしていても
  別に何ともおもわなかったのは やはり子供だったからなのだろう。 6歳うえの姉は中学校で修学旅行に行くお金が無くて寂しい思いをしたという。

  そんなこんなで 貧乏であるにかかわらず それをそう意識することなく 学生時代を過ごせたことは 幸せな事であったと思う。

  30歳を過ぎて 本格的に禅の修行を始めた時 畳一枚が 修行の場であり 寝食の場で 他には何にもない 冬でも窓を開け放して 坐禅をする・・・
  そんな状況に自分を おいた時 心底思ったものだ。 こりゃあ、貧乏の稽古だなぁ・・・と。

  確かに なんの所有も無いと なんの心配もいらないのだ。  悟り 以前にそのことが本当にわかれば 安楽の法門も 半ばまで行っていたかも・・・。

          人には 108の煩悩があるそうだが、ボクは 今なお 無限の煩悩の中でのたうち回っている。(写真は1985年New Yorkにて)
              
    


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