昔から『目は口ほどに物を言う』…というが、実際、世界中の人々がマスクをしているのを見ると、人間にとって、口元の表情もいかに大切であるかというのを痛感する日々。
マスクをしている表情からは意外に何を考えているのか分からないという、不気味さを覚えるのはボクだけではないだろう。
今朝の朝日新聞デジタル版にフランスはパリに住む作家、辻仁成さんが書いたコロナ禍についての寄稿記事が掲載されていた。『ウイルスは愛を奪う悪魔』であるという風に今の現状を人間世界をマクロ的に観た場合に持つ感慨の一方で、息子との生活というミクロ的な観方では逆に、これまでにない連帯感が生まれ、父子間の強い結束力に希望を見出している・・・という主旨の記事を読んだ。
今回のコロナウイルス感染によって亡くなられた沢山の人々のことを思うと、安易な考えを書くことはできないが、犠牲となった人々に報いるためにも、ただ絶望的に悲観するだけではなく、そういった異常事態からでしか体得できない事にも眼を向けるべきであろうと思う。
今回のコロナウイルス騒動では、世界中の人々に等しく『マスクの必要性』を強要し、人が人に会うことを許さず、世界を分断させる如き力に世は恐れおののいているのであるが、一方でまったく異なる観方もある…というか、そこをよく考えてみることでコロナ騒動後の世界がより素晴らしい方向にむかう可能性を大いに秘めているのではないかということだ。
禅道場では私語は一切厳禁で、その理由は自己の心の作用の一切を自己の内にむける…為である。それによって自他一如の世界観、つまり慈悲と智慧の本来の自己に目覚める境地に至らせるわけだ。
今回の『コロナ騒動=マスク騒動』というのは世界規模の『ダルマの一黙』で内観を奨励し、『黙れ!』の教えをコロナウイルスはしてくれているように思う。
この騒動もいずれ終息し、人々は『元の木阿弥』となることは目に見えているものの、ほんの一部の人々は『一黙』に大いに目覚めるであろう。
一黙といえば『維摩の一黙』しかし、この女の場合、一黙では足りない…
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