当方の3月28日の記事を『Chromeplated Rat』さんが、「科学教」 [世間]との題名で辛口で批評して頂きました。有り難う御座います。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2009-03-29
以下はブログ管理者のpooh さんとのコメントを収録したもので現在も進行中。
by 逝きし世の面影 (2009-03-29 10:59)
当方の記事に対する批評。有り難うございます。
なかなか有りませんね。この様な冷静な分析は。改めて御礼を言いたいと思います。
この記事自体は、以前の当方のブログ記事、 『カルト宗教としてのニセ科学批判 』(ニセ科学批判・批判 / 2008年12月07日
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/00a14a5e5120dc856bb6d021ca475322
の自分のコメントを記事に転用したモノで手抜き記事ですね。
その意味で、分りにくい表現である事は事実で、また、
>『勝手に集団に括って、特定の人間の行動を無制限に全体に敷衍するような言説をもって批判だと称するのなら、そんな粗雑なものは誰にも届かなくてあたりまえだと思うのだけれどどうか』
は、当然の指摘であろうと思います。
しかし、これ等の記事は護憲左派のブログ界を巻き込んで起こっている恥ずべき一部グループによるニセ科学批判に名を借りた『大人のイジメ』を批判する連載記事の一環です。
『インターネット上の印象操作と偽装工作 』(解放同盟 / 2008年02月12日
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/c/a1f255760949a320f56853940a4597ce
『真面目な科学的なニセ科学批判と一緒にするな』との御意見なら、全く其のとおりで面目しだいも有りません。
唯、この記事だけを抜き取って判断されても、困ってしまうのですよ。
『水騒動の顛末』を知らない人々にも理解できる様に書くためには膨大な前ふりが必要で、そんなものは誰も読む気がしませんし、私も書く気ががしません。
これからも御注意御鞭撻の程、宜しく御願い致します。
by pooh (2009-03-29 12:54)
> 逝きし世の面影さん
いらっしゃいませ。
その「恥ずべき一部グループ」とやらを批判したいのだったら、直接その方々をその具体的な行動に基づいて批判すべきです。ニセ科学批判にコミットしている論者すべてをひとしなみに批判しているように読めるエントリをあげるのは、別の文脈に属するような事柄を混同させるようなご自分の書きようについて、あまりに無自覚であると思います。可能であれば、訂正をお願いしたいとも思っています。
単体の記事でなく流れのなかでの表現である、とは云っても、そのあたり誤解を招かないような書き方を工夫することは可能であるはずです。よろしくお願いします。
by 逝きし世の面影 (2009-03-30 11:51)
記事中に『カルト集団』と有るのを『カルト宗教』と改めました。
科学とは客観的な事実から出発して客観的な検証で証明されるのモノですが、客観的事実を軽視して自分の主観的判断を優先すれば科学的判断ではなく宗教的な(固守すればカルト的)となる、というような意味ですが、
同じような傾向の困った人が何人か知っているので『集団』と書いたが、読み様によっては、オウムのように何かの組織だとか教義のある宗教集団のようにも読める。
訂正した方が間違う人が少ないでしょう。御注意有り難うございました。
しかしそれ以外の指摘は poohさんの 的外れな勘違い誤解では有りませんか。
御不満の意味が理解できません。
>(外からの一切の批判は受け付けないから新興カルト宗教なのか、新興カルト宗教だから外からの一切の批判は受け付けないのかわからない)<
どちらか片方であろうとの指摘は・・・・・・・何ともはや
片一方がもう一方を否定しているものではなく、正に指摘のとおり『循環した記述』で両方から双方の関連性を示唆したものです。
AであればBではないとの考え方に支配されすぎでは有りませんか。?
>『誰に対するどんな批判に対してどのような行動を取ることを云うのか、を具体的に書いてほしい。』
何とも剣呑な主張(要求)ですね。
正に其れを実際に実行したのが『水騒動』であり、この連中は今でも健在で、つい最近も沖縄で自然保護運動をしておられるさめさんに対してブログ内の記事の一部記述に難癖をつけ『セクハラ』を理由に集団(さめさんの表現ではたんぽぽ姫と騎士団)で押しかけて炎上寸前になっていました。
個人攻撃にならない様に、実名を挙げず表現を抽象的にしているのは意識的に行っています。
『勝手に集団に括って』との指摘は、その様に読める不正確な記述をしたのは当方のミスでこの点は修正したいと思いますが、
>『継続的にニセ科学に対する批判にコミットしている人間にはまずいません』
とは、 pooh さんが御存知ないだけで科学的でない主観的な判断にすぎません。
実際には存在しています。
私が運悪くトンデモナク少ない例外中の例外に遭遇しただけかも知れませんが。
ですから『具体的に誰か、と云うのをまず挙げてみせてほしい』との指摘は、この記事に関してだけなら『記事の趣旨を理解していない』としか申し上げられません。
>(と云ってみて、具体的に挙げてくれたケースはまだみたことがないのだけれどね)。<
などの余分な付け足しは、御自分のブログ記事の水準を下げる役目しかしていません。
当方の記事は具体的な経験(体験)に基づいて書かれています。
人は其々拘るものが違い、興味があるものが違うので、書いてあるものも当然違ってくる。
当方はメディアリテラシーやプロパガンダに興味が有り、さめさんは自然保護や水棲動物に興味がある。
当然『ニセ科学批判』に興味が有る人がいても当たり前で驚きませんが、誰しもがニセ科学批判に興味が有るわけではない。
私は一般の日本人程度にしか『ニセ科学』には興味は有りません。
リンクから判断すると pooh さんは『ニセ科学批判』に対して、人並み以上の並々ならないほどの高い関心があるようですが、普通は『関心はない』のが通常で、 pooh さんのように判断する人の方が少ないのではないでしょうか。?
『「間違った」科学とニセ科学を同一視する人間』はいないとの判断ですが、今の日本に住む普通の日本人は、『間違った科学』と『ニセ科学』の違い理解している人が、はたして一体どれだけいるでしょう。
たぶん、違いが分らず、同一視する人間ばかりですよ。
勿論、私も違いが判りません。
by pooh (2009-03-30 22:00)
> 逝きし世の面影さん
まずはお詫びから。
ぼくはこの場所で、非常に細々とながら継続的にニセ科学批判にコミットしてきました。こちらのエントリは、そのスタンスから書いたものです。この部分、エントリ単体では明解になっていません。申し訳ありませんでした。
> 正に指摘のとおり『循環した記述』で両方から双方の関連性を示唆したものです。
なるほど、「批判を受け付けない」のは、両方に見られる特徴である、と云うことですね。その点で類似している、と。
ところで本文に書いたとおり、批判に対してどのように対応することが「批判を受け付ける」ことなのか、がよくわかりません。このため(ぼくを含む)ニセ科学批判にコミットしている人間のどんな態度が「批判を受け付けていないのか」がわからない状況にあります。
ニセ科学批判に対する批判は、数週間前にもかなりの量がまとまって行われました。ニセ科学批判に継続的にコミットしている人間の多くが、それぞれの立ち位置(もちろん個々人で相違しています)から、その批判を題材に議論をおこなう、あるいは批判から学ぶことは学ぶ、と云うスタンスで対応しています(ぼくはそれほど積極的な対応はおこないませんでしたが、学ぶべきことは学ぶスタンスで議論の推移を追ってきました)。
ぼくの認識では、「批判を受け付ける」と云うのはこのようなことであり、その意味で「批判を受け付けない」と云うご認識は不当だと感じます。もちろん直接的な批判をすべてはねつけるような方もいらっしゃるでしょうが、継続的なニセ科学批判にたずさわっているケースは寡聞にして知りません。
> 個人攻撃にならない様に、実名を挙げず表現を抽象的にしているのは意識的に行っています。
個人攻撃と批判は違います。批判は具体的におこなわれるべきだ、と思います。
現在の書き方では、逝きし世の面影さんの批判の対象にはぼくも入ります。お書きのような部分においてぼくに批判されるべきことがあればぜひぼく個人を批判していただきたいと思いますが、そのような意図のもとにこちらのエントリをお書きになったのでしょうか?
> pooh さんが御存知ないだけで科学的でない主観的な判断にすぎません。実際には存在しています。
それはどなたですか? ぼくですか?
繰り返しますが、個人攻撃と批判は違います。言説を発する側も、受け止める側も、これは分別すべきものです。
> 余分な付け足しは。御自分のブログ記事の水準を下げる役目しかしていません。
すみません。これは悲鳴のようなものと受け止めていただければ幸甚です。
「ニセ科学批判者」を批判しているようでいて、実際には誰のどのような行動が批判されているのかわからない。自分のことではないように思えるのだけれど、だからと云って反応しないのも、まるで「批判を受け付けない」態度のように思える。批判そのものはありがたいことだし、そこからなにかを学びたい、と思っていても、批判対象が漠然とした「ニセ科学批判者」になっている場合、正直どうすればいいのか、どう行動するのが誠実な態度なのかわからなくて途方に暮れてしまう。いちいち「それはぼくのこと?」とか訊ねるのも自意識過剰な気がしてはばかられる。
これまで提示されたほとんどの「ニセ科学批判批判」は、このようなものでした(そして、ニセ科学批判に継続的にコミットしている論者の多くは、しばしば同じように悩んでいます)。いっけん個人攻撃にみえても、それよりは具体的に批判対象が述べられた批判のほうが(たとえその対象者がぼくでも)意義があるし、有効に思えます。
いわゆるニセ科学批判批判に対して、ぼくは何度か同様の問いかけをおこなったことがあります。そこから具体的な対話に発展したことはありませんでした。この点について、ケーススタディが増えてしまう結果になったことを残念に思います。
あとまぁ、うちの水準や品位については、ごらんのとおりのものです。そのあたりについてはぼく個人の品性に発端するものですので、ご勘弁ください。
あと、これは個人的な見解なので同意を得られなくともしかたないと思いますが、書く場所によって論調を大幅に変えるような言説をなすことのほうが、論者としての信頼性や品位を損なう行為だとぼくは考えます。
by 逝きし世の面影 (2009-03-31 11:46)
pooh さん。
仰られている事は基本的に同感です。そのとおりですね。
ただ部分的には幾等かは違う。
全体を抽象的にいうのではなく、『誰かとか何かとかを具体的に』との指摘は、そのとおりではあるのですが、これが難しい。
様は、実名をあげると『個人攻撃』ととられないか、と危惧しているわけです。
簡単に言うと『喧嘩したくない』のですよ。
敵を増やしたくない。
本当に喧嘩(糾弾)しなければならない悪い奴は麻生とか竹中平蔵とか世の中には一杯います。
『馬鹿たれ』と罵倒しなければならない相手は中山成彬前国土交通相や田母神俊雄前航空幕僚長など幾等でもいる。
>『個人攻撃と批判は違います。批判は具体的におこなわれるべきだ、と思います。』<
は、正論ではあるが、これ以上の難物は有りません。
批判が(批判された当人は批判とは受け取らず)個人攻撃と思われるのですよ。
基本的に其の対象の個人の考え方なり行動なりに文句がある訳ではないが、『問題点』や『間違い』は何とか指摘したいと思う。
ところが指摘された方は『自分の間違いや勘違いに気が付いていない』から勘違いする訳で、分っていれば最初から間違わない。
『自分が完全に正しい』と信じきってている人に、『ここが違うのでは?』との指摘は、どれ程正しくても大概の人は『非難中傷の類い』と判断する。
他からの指摘が、自分の考え方の範囲を超えると理性ではなく感情が付いて行かないのでしょう。
普通の人は大概はその様な態度になります。
素直に耳の痛い言葉でも聞く度量のある人は極々少ないのですよ。
大概の人は、『事実に沿った批判』とは受け取らず、『単なる個人攻撃』あるいは『妄言、虚言』で極端な場合には『敵認定』されます。
何故『違うから面白い』と思わないのか。
何故『違うから対話が必要に成ってくる』『違うから話がしたくなる』にならないか、私としては不思議なのですが・・・・・
実名を出す事に躊躇している内に、本人からコメントがあった様です。
この方はそれほどカルト的では有りませんし、問題点も少さい。
私としては余り小さい問題点を追及したくない一人なのですが御自分からコメントしてくると。
やりたくはないが仕方が無いでしょう。
技術開発者さんの問題点は、御自分の世界以外はこの世には無いと信じているらしいところですね。(それ以外は問題点は少ない)
この方とは以前に瀬戸智子さんのところで『水からの伝言』で話たのですが、最初は会話する意志が認められたが、『貴方の基本的に意見には賛成します』と言った瞬間から『敵認定』され会話が成り立たなくなった。
これ、可笑しいと思いませんか。?
私の意見はこの方の意見に反対ではなく賛成ですよ。
何故あれほどに感情的に反発するのでしょうか。?
開発者さんの意見を、何一つ否定していないんですよ。
ただ開発者さんの見方(論)以外の方向からの『このように見える』とするのが私の主張です。
開発者さんの論+違う意見=私の論です。
私の見方が正しいか間違っているか或いは方向違いか、各自が其々意見を出し合えば自ずと明らかになっていく。
それを楽しみにしていた。
しかし議論が始まる前に、技術開発者さんの様に結論を出してしまっは、どうしょうも有りません。
たとえ其の理論が正しいとしても『自分の論以外の余分な付け足しは一切まかりならぬ』は科学的な態度ではありません。
科学には原理、原則、理論や法則はあっても『絶対真理』は有りません。
有るとしたらそれでは宗教ですよ。
科学では普通に正しい原理や法則の上に、色々な継ぎ足しをして発展していくものです。
そういう意味では技術開発者さんは十分にカルト的です。
あの時は技術開発者さんのひっくり返した卓袱台のものを、私が拾い集めて何とか円く収集したのが真相です。
by pooh (2009-03-31 21:53)
> 逝きし世の面影さん
> 批判が(批判された当人は批判とは受け取らず)個人攻撃と思われるのですよ。
これはあると思いますし、経験もしています。確かに難しい。とりわけ、自分の論と「個人」としての部分を分別できないタイプの方が相手だと、まま生じる状況だと思います。
ただ、その部分を回避してあいまいにすると、そもそも批判そのものが届かない。届かなくともよし、として行われる批判に意義があるのかどうか。それは、なんのために行われるものなのか。
このあたり、批判を行う動機次第、と云う部分にも関わってきますよね。
届く批判をするためには、工夫をするか、リスクをとるかのバランスをみての判断になるかと思います。届かなくてもよさそうなスタンスでなされる批判めいた言説は、漠然と相手を不快にさせる以上のものにはなかなかならないと思いますが、如何でしょう?
まぁ繰り返しますが、動機次第、ではありますけれども。
by 逝きし世の面影 (2009-04-01 08:52)
pooh さん。
私の主張の方が正しかったようですね。
具体的に『誰か』とか『何か』とかを特定しなくて抽象的に書いただけでも『これだけ敵認定』する人が大勢現れました。
私が、この中では具体的に名前を出して批判したのは阪大の菊池氏だけですが、彼のような人物が身内?にいるから真面目にニセ科学を批判している人全体の社会的信用を落としている。
菊池氏も確かに(魅力的に見えるし)少しは役に立つことも言っているが基本的には、井沢元彦の「言霊信仰」とか山本七平氏の「日本教」とかの日本文化批判と同じでインチキ臭いですよ。
数十万円の羽毛布団を売るのが目的だが、其れを隠しておいて100円の笊とか餅焼き網とかを無料で配り、客の主婦を騙して大勢集める。
『この人は良い人だ』と錯覚させて、一種の洗脳を行ってから本当の目的のいりもしない高級調理器具とか羽毛布団を高値で買わせる。
基本的には詐欺的商法で、連中は悪党です。
まあ皆さんは、(洗脳されず)客寄せの餅焼き網だけをちゃっかりいただく賢い人も沢山いるとは思いますが。
彼が使う餅焼き網は『ニセ科学批判』で、高くつく羽毛布団は『陰謀論退治』ですね。
彼はこれが売りたい。
様は『アメリカは正義』『アメリカ命』だと思っているので『アメリカが悪いことをするはずがない』『アメリカともあろうものが嘘をつく筈がない』と信じている。
アメリカ政府の公式発表を疑うものに対しては『陰謀論者』『だから信用できないのだ』と言う印象操作に日々励んでいる。
典型的アメリカ教信者ですね。
其れを他者から批判されると、
『自分はイラク進攻にはデモまでして反対した』(だからアメリカ命ではない)と弁解するが、アメリカのイラク侵攻に対しては米陸軍参謀総長までが反対していた。
だから、菊池氏は米陸軍参謀総長程度にはアメリカ命ではない事が証明される。(余りに馬鹿馬鹿しい弁明です)
by 逝きし世の面影 (2009-04-01 10:25)
pooh さん。
私が求めているのは建設的対話です。
それ以外ではないし其れ以上も求めてはいない。啓蒙とか説得とかの大それた考えは持っていない。
対話したい理由は『自分の考え方と違うから』
同じ考え方の人との対話では『そうそう・其のとおり』で終わってしまい新しい発見や自分の知らない事柄(見方や考え方)を見つけることは難しいが『自分と違う考え方の人』との対話はその逆に成る。
zororiさんは、何故これほど自分が憎悪を感じるか、今一度冷静に考えて欲しい。
先のコメントに書いたように、
全く同じ場所を同時に見ても、別の位置から見れば全く別の景色が見える。
だから自分の意見と違う考え方をする人との対話が重要になったくるし、面白くもある。
zororiさんの最初の指摘ですが、『その様に読める』との判断ですが、私はあの文章を何度か読み返して見ましたが『その様には読めない』ので、そのまま記事は修正シテイマセン。
勿論多数の意見が『読める』なら文章自体に欠陥が有り削除なり修正する必要がある。
反対に多数が『その様には読めない』なら、単なる誤読か読解力不足の可能性がある。
zororiさんの、それ以降のコメントは対話したい人の真面目なコメントとは段々かけ離れてきています。
by 逝きし世の面影 (2009-04-01 11:24)
poohさん。
菊池氏は『ニセ科学の蔓延』する世の中の救世主のように思われているようだが、彼の主張する、
>「科学的間違い」はニセ科学でもなければ悪でもないというのは、少なくとも「ニセ科学問題」に積極的にかかわっている人たちの間では共有されている考えだと思うんですけどね。<
はpooh さんの記事中の>『「間違った」科学とニセ科学を同一視する人間』は継続的にニセ科学に対する批判にコミットしている人間にはまずいません。<
と対になっている。
ですが、これは『正当な批判と個人攻撃は全く違うものだが、しばしば世間では混同されるし、実際問題としては混同されない方が少ない。』との私の指摘と同じ話です。
両者は、言葉の上でも言葉の意味するところも全く違うが、しばしが混同されるばかりではなく、実は混同されない場合の方が少ないのではないか。?
pooh さんは『間違った科学』と『ニセ科学』を本当に、完全に別の物で自分(ニセ科学批判者)なら簡単に分離したり判断したり出来ると御考えですか。?
『水からの伝言』程度の子供だましのニセ科学なら誰にでも簡単に判断出来るが、
今の現実社会で蔓延るニセ科学と間違った科学は、誰にとっても、これほど難しい物は有りませんよ。
だから手をかえ品をかえ、ニセ科学や詐欺のタネはつきない。
言葉の上でも分離は簡単だが、実際問題の分離は基本的に無理です。
何故なら判断の目安となる現在の科学は、当たり前ですが完全に完成された無謬の絶対の真理(宗教の聖書)の様には出来ていない。
だから目先を変えると、だませれる人が幾等でも出てくる。
例えば今問題の『新自由主義』なんかは経済学の基礎を少しでも知っているものにとっては、実際に試して見るまでもなく必ず失敗する『ニセ科学』『間違った科学』の典型例ですよ。
しかし多くの財界人や政治家や連合幹部までが『正しい科学』と信じていたのですよ。
勿論多くの近代経済学の学者も『正しい科学』だと信じていた。
日本では10年以上も大真面目で『新自由主義』というニセ科学を国家をあげて実践していた。
そして日本はボロボロになったが、そんな事は最初から分かっていた。
中曽根民活や前川レポートの20年以上前から、現在の悲惨な事態は正確に予想されていた。
正しい科学とは、実際に行わないと『どの様になるかは全く不明』『結果が分らない』などではなく事前に分るものなのですよ。
『分らない』のは其れが『間違った科学』だからですね。
現在多くの人から科学が絶対的に支持されている理由は、
科学以外のその他の全てのものに比べて、この『何かをする前に事前に結果が分る』優れた能力が『科学』にはあるからです。
だからみんなに支持され信用されるし、現在の様に人類の文和の最高峰としての権威も生まれるわけでしょう。
>> この方とは以前に瀬戸智子さんのところで『水からの伝言』で話たのですが、最初は会話する意志が認められたが、『貴方の基本的に意見には賛成します』と言った瞬間から『敵認定』され会話が成り立たなくなった。
>> あの時は技術開発者さんのひっくり返した卓袱台のものを、私が拾い集めて何とか円く収集したのが真相です。
"この時"のURLを教えていただけないでしょうか?ちょっと見つけられないもので・・・
お手数でしょうが次回からは個人が特定できる真面目なHNの記入を御願い致します。
何卒良好なブログ環境維持の為に、ご協力のほど宜しく御願い致します
瀬戸智子の枕草子2008.09.21水伝汚染が広がりつつあるのか?
http://ts.way-nifty.com/makura/2008/09/post-1707.html
この時の当方のコメントを記事にしたのがニセ科学批判・批判シリーズです。
『水伝汚染が広がりつつあるのか?』の記事に対して、愚樵さんが、科学を宗教的に考えている人たち(たんぽぽ集団ですね)を指摘するコメントを送っていたので、私も其の後を継いでコメントを投稿。
しかし、瀬戸智子さんたちは完全には水騒動の本質を理解していないらしい。(有る程度は理解しているが)
だから未だに御馬鹿のたんぽぽやkojitakenが懲りずに彼方此方でアポを晒している。
私は解同の今までの活動を暴いて水騒動との共通点を指摘したので其の内みんなも気が付くだろうと楽観していたんですがなかなか其の様にはなりません。
みんなが事件の真相に気が付くまでには相当時間がかかりそうです。
たんぽぽ達は自分のやった御馬鹿な行為の結果に少しは懲りるかと思ったんですが、未だに騒動は終結していないようです。
水騒動の真実を完全に理解している人は極少数。
瀬戸さんのような見識有る人物でも難しいらしい。
理論的なはずの護憲左派の人でも、普通、科学を『宗教』として理解しているのですよ。『健全なる懐疑心』という科学の精神が全くわかっていないのでしょうか。
中山大臣ではないが戦後教育が間違っていたのでしょうか。?
これは多分『教育』と言うものに対する根本的な誤解がその根底に有るようです。
教育とは聖職ではなく、本来汚い仕事なのですよ。
豪傑ヘラクレスに退治された悪党にプロクルステスがいるが、この追い剥ぎは宿屋を営んでいて泊まりに来た客は宿にある鉄の寝台にぴったりと収まらなければならないとプロクルステスは思っていた。
この目的のために客が小さすぎると足を引っぱり、大きすぎると大きさに合わせて足を切り落とす。
プロクルステス「伸ばす人」の意味が有るらしいが、日本の教育とは聖職とは程遠い。色々な違いが有る子供を、引き伸ばしたり切り落としたりして同じ規格に無理やりはめ込む醜い、不浄な仕事です。
『宗教の方は「健全な信仰」』の信仰の意味は『少しも疑わなくて無条件で信じること』
宗教とは『信じる事』で、『信じている人』が信者。
信者に対して『貴方は間違っている』なんて言うのは野暮の骨頂。
いくら科学的に正しかろうと相手を思いやろうと、単に喧嘩を売っているのと同じ行為なのですよ。
技術屋さんのような人たちですが、『科学』を信じているのですよ。
その意味では、技術屋さんもタンポポ氏も同じ所に立っているように見えます。
これでは、下手をするとたんぽぽ集団が圧倒的多数派で、正しく科学を理解している方が異端として弾圧される危険が有る。
科学とは疑う事で、無条件で『科学を信じる』は間違いなく宗教です。
そして今の日本の主要な宗教は仏教でも神道でも儒教でもなく古代日本人の信じていたアニミズムでも無く、『科学教』でしょう。
ましてや世界的に見れば主要宗教のキリスト教なんかは結婚式の風俗程度です
科学教信者達は、科学的な思考方法とは『疑う心』なのだと少しも思っていない。
科学教の信者達にとっては、科学を疑う『異教徒』は絶対に許す事が出来ない不倶戴天の敵です。
今のように『科学が多くの者にとっては宗教と化している。』が理解出来ない人がいる時点で、いかに科学教の力が強いかが判ります。
しかも彼等信者達は、『自分が宗教的な思考方法をしている』とは夢にも思っていない。
『自分は科学的に物事を考えている。』『科学的だ』と考えるところが科学教信者の特徴です。
宗教信者との教義問答は大概は神学論争、禅問答にしかなりません。
科学教信者相手でもヤッパリそうなる危険が有るでしょう。
教義問答ではなく、事実だけを争う科学論争に持っていかないと、論争は永久運動になってしまいます。
こういうときは、相手の言い分の良いところだけを探して、相手を立てて、できる限り論争を回避する方が得策でしょう。
せっかく教えて頂いたのですが、どうにも
『貴方の基本的に意見には賛成します』の言葉と『敵認定』の箇所、『技術開発者さんのひっくり返した卓袱台』の箇所、『私が拾い集めて何とか円く収集した』箇所が確認できませんでした。
私の読解力不足でしょうか・・・
技術開発者さんも 2008.09.29 18:03辺りまでは、
対話する気があるので、コメントの頭が『こんにちは、逝きし世の面影さん。』になっているのですよ。
殆んどブログ管理者の瀬戸さん抜きの二人の討論会みたいになって要るので、その様になったのですが、
それ以降は、態度が一変して、完全に対話を拒否しています。
例えば、私はそれ以降も『技術開発者さん』と呼びかけていますが返事なし。
その代わりが、
投稿: 技術開発者 | 2008.10.01 08:35
こんにちは、せとさん。(と対話相手を完全に無視する)
>道徳的な問題提起に対しては全面的に賛成したいと思いますが、科学に対する道徳的なアプローチだけは賛成いたしかねる。(私のコメントの一部)
別に、賛成するも何も、ニセ科学批判は科学に対する道徳的アプローチなんかじゃないのです。「これは科学に対する道徳的ア゜ローチである」と決め込んで、私が動言葉を尽くしてもそこが変わらないのであれば、これ以上説明しても無駄なのでやめます。
と、完全な拒否モードで以後は、
・・・世の中には、こういうタイプのニセ科学を少し批判しただけで、「自分はニセ科学について理解した」と思って仕舞う人もいるわけです。(などと相手が取るに足らない存在で有ると印象操作する)
投稿: 技術開発者 | 2008.10.02 13:18のコメントなどは悪意の塊ですね。
わざと相手の主張を歪めて攻撃する不思議な態度です。
もはや対話を極力回避して相手の存在を『なかったことにする』。名前さえマトモに呼ばない非礼な振る舞いです。
当方が討論を諦めて、相手の良いところだけを書く作戦に変更しても(多少は改善されたが)既に対話する気はなくしている様子で、変更がすでに出来ない段階になっているようです。
技術開発者さんもあるところまでは対話する気があった。
ところが『科学に対する道徳的なアプローチ』の話には賛成、反対なんて生易しいレベルではなく、生理的な、感情的な、思考の根源的な『何か』に対する拒否反応を示しています。
実に不思議ですね。
果して、自分が何に対して怒っているのか開発屋さんには、解っていたのでしょうか。?
『美しい言葉が美しい結果を生む』話は、科学論ではなく道徳論に近い話ではないか。?
との私の問題提起に対して、賛否以上の凄まじい反応を示した原因とは何か。?
『その激しい怒りの原因とは、果して何か。』?と考えると此れはこれで興味深いですね。