理屈はルックスに勝てない。
多くの人は他人を見た目で判断している。
世間では良く『人は見かけによらぬもの』とか『外見に惑わされるな』とかいう。
其れは『人を外見で判断してはいけない』という言葉を一面では肯定しながら、心の底では信用していない証拠ではないか。?
人々にとって、本当は『言語』より『非言語コミュニケーション』の方が上位にあるのではないかとの疑いは消えない。
アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士は、人が他人から受け取る情報(感情や態度など)の割合について次のような実験結果を発表している。
顔の表情 (身だしなみ・仕草・表情) 55%
声の質(高低、質、大きさ、テンポ) 38%
話す言葉の内容 7%
話す言葉の内容は7%に過ぎない。残りの93%は、顔の表情や声の質。
人は他人を中身より、外見で判断するようです。小泉人気が衰えないカギがこの辺にあるのかも知れない。
発言は空疎だけど、何かをやってくれそうな風貌と、あの絶叫する簡単な単語の羅列。
多くの人が、今でも、小泉純一郎を改革者だと思っている。
彼が改革を叫んだからか。?
否。改革を叫んだ自民党総裁は彼一人では無い。
中曽根康弘が1982年に『行政改革』を叫んでから、現在の福田内閣まで『改革』を叫ばなかった内閣は一つでも有っただろうか。?
橋本竜太郎は改革を叫ばなかったか。?
中曽根や橋本竜太郎の改革と小泉改革に違いは在るのか。?
『戦後政治の総決算』を掲げ、教育基本法や『戦後歴史教育』の見直し、靖国神社公式参拝。日本専売公社、日本電信電話公社、日本国有鉄道の三公社を民営化、日本航空の完全民営化を推進した中曽根と、小泉純一郎がごり押しした、元々独立会計の郵政民営化の意味するもの大きさを考えれば、小泉改革の胡散臭さが判るはずだ。
小泉純一郎の『構造改革路線』に何らの目新しいものは、まったく無い。
小泉の主張に、小泉個人の考えがどれほど入っているか甚だ疑問である。すべての小泉改革はメード・インUSAのアメリカ発のアメリカ仕様である。
小泉『改革』は、アメリカ大使館のホームページをインターネットで覗いて見ればすべての謎か解消する。何のことはない米議会対日年次改革要望書の丸写しである。
十年余にわたり、アメリカから突きつけられているアメリカ議会の対日要求書『年次改革要望書』の存在を、どれだけの人が知っているだろうか。?
毎年出されるアメリカの年次改革要望書を3年ぐらいの準備期間をおいて法案化したのが日本の改革の正体だった。
しかし不思議なことに、日本人の多くは未だに小泉ニセ改革を信じている。
この不思議の謎解きに『メラビアンの法則』が利用できる。
小泉の風体(中身ではなく外見)が、今までの既存の他の政治家と、明らかに違っていた。
小泉は、今までの他の普通の政治家が喋らない『喋りかた』(矢張り中身ではなく外見)をしていた。
他の自民党議員が『改革』を喋っても信じなかった賢い有権者が、同じ内容の『改革』を喋っているが『風体』『物言い』が違うだけで、小泉純一郎には手も無く騙される。
何しろルックスが違う。
大勢の集合写真でも小泉一人が違って写っている。
みんながダークグレインのスーツ姿の中でも、一人目立つ色の服を着込み、頭にはパーマをあてる念の入れよう。
彼は、変革者に見えるかもしれませんが『変革』ではなく、一字違いの『変態』です。
人と違って見えるのは当たり前である。
今では歳をとって落ち着いているが、若い時の写真は三島由紀夫の若い時とソックリで、究極の自己愛である典型的な変態の○○ですね。
歳をとってからの結婚といい、其の後の短い結婚生活と唐突な理由が不明な離婚。
其の後の経過をみれば、その理由は○○であることが分かる。
日本では政治家の○○は珍しいが欧米では幾等でも居る。
男性の一割がホモだと言われているイギリスでは同性愛者を公開の場で告白する大臣も存在するし、ドイツでは妻も子供もいる現職市長が性転換して投票した市民から『公約違反?』だとしてリコール請求される騒動まで起きれいる。
ロシアのプーチンが小泉に再婚を勧めていたが『ほっといてくれ』と言いたい。(日本の恥だ)
ことは変態だけに留まらない。
話の内容よりも『見かけ』が優先する例は、つい最近の大阪知事選でも証明されている。
イメージ優先で、改革を絶叫するが内容が無い。
聞いている間だけ『何だかやってくれそう』な気分にさせられるが、具体的なことは話さない。
テレビのライブショーの軽すぎるのりで当選してしまった。
日本の選挙戦では『言葉よりも見た目が大事』である事を証明してしまった選挙だった。
だいぶ昔の話ですが、娘の生活態度を注意した時に、彼女は『顔が怖い』『声が怒っている』等と言いだし、泣き出す始末。(自分の親の顔が怖いとは何事か)
『何故、私の話の内容を聞こうとしないのか』
『何故顔の表情や声音等枝葉末節な、どうでも良い事を問題にするのか』と言う私と話がまったく噛み合わない。
あの時、話の中身を理解しようとしない娘を『大馬鹿者、言葉は内容が重要で顔や声など、どうでも良い』と思って居たが。娘の方が正しかったのか。?
此れは間違っている。
間違いで無ければならない。
間違いで有れば良いなあ。
しかし世間では、そうでは無いようだ。
私は間違っていたのかもしれない。