逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「ルビコン川を渡る」

2023年10月07日 | 政治

属領ガリア(フランス)と共和制ローマとの「武装した軍隊」が越えられない境界線だったルビコン川があるのは今の仏伊国境線ではなくイタリア中部

ユリウス・カエサル(Caesar 英語読みはシーザー 紀元前100年 - 紀元前44年)の「賽は投げられた」とか「 ルビコン川を渡る 」( cross the Rubicon )の成語は、その後の運命を決め「後戻りのできない」比喩として使われ、ガリア遠征から共和制末期のローマ本国に武装した部隊を従えたままルビコン川を渡って帰国(ルビコンを超えると反逆者。内乱と見做される)。共和制ローマの民主主義時代が終わって皇帝が統治する「ローマ帝国」に移行する切っ掛けになる。

尾身会長がNHKで“職務放棄”の仰天発言!コロナ対策は自助で、犠牲は国民の「許容度」の問題

尾身氏は「従来までは国、自治体が国民にお願いし、国民が従うというフェーズだった。今は、いろんなことを学んできたので一般市民が主体的に自分で判断していろいろと工夫するフェーズに入った」「このまま放っておくと、体力が悪い、体の脆弱な高齢者の死亡者数は第6波を超える可能性がある」と強調した。
「一般市民が自分で判断」とは聞こえがいいが、要するに「自助で何とかしろ」ということだ。コロナ禍の2年半、コロナ対策は的外れなものが多く、政府に従った国民は多大な犠牲を強いられた。その張本人である政府分科会の責任者が、今度は「一般市民が主体的に」とは、視聴者が呆気に取られても不思議はない。
肝心の「感染対策」については、「重症者数、感染者数、一般医療の制限をどこまで我々が許容するか、国民的なコンセンサスが必要だ」感染に伴うさまざまな「犠牲」は、国民の「許容度」の問題だというのである。無責任な発言は、もはや第7波は“お手上げ”ということなのか。(抜粋)

「ルビコン川」を渡った尾身茂さん 疫病との闘い方を決めるのは誰?


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