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逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

オールコック「大君の都」

2011年01月04日 | 文化・歴史


元医師で外交官、中国で15年も広州領事などを歴任していた経験、手腕を買われて、初代駐日公使ラザフォード・オールコックは1858年(安政5)に日英修好通商条約が締結された時期に日本駐在総領事に任命されている。
品川の高輪東禅寺に英国総領事として1859年(安政6年)から一時帰国する1862年までの3年間を綴った『大君の都』の驚愕的な内容には、今でも新鮮で『新しい驚き』がある。
アロー号事件で中国に対して過酷で残忍非道な辣腕をふるった大英帝国の切れ者外交官の対日外交交渉の内幕(イギリスの思惑)とは何であったのだろうか。
アメリカ合衆国の初代駐日公使として日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスは有名なのですが当時の覇権国(世界帝国)イギリスの外交官オールコックの3年間の江戸滞在の記録である『大君の都』には、今我々が知っている(知っていると思っている)歴史とは全く違う別の江戸時代の日本と日本人が歴史小説以上の迫真に迫る圧倒的な姿が描かれているのです。
江戸幕府を倒した明治政府や司馬遼太郎によって作られた幕末の歴史とは全く違った別の真実の記録、それも日本人側ではなく世界帝国イギリス人外交官側から見た真実の(忘れ去られた)歴史があった。

『ペリー来航を熟知していた幕府』

今の普通の日本人の知っている歴史の常識では、『1853年にペリー提督の合衆国東インド艦隊の黒船が突然東京湾に入ってきて、300年の日本の眠り(鎖国)から幕府は何の対応も出来ずに、いたずらに外交交渉を引き伸ばすことしか出来なかった。ペリーは翌年大艦隊を率いて再び来航、圧力に屈した日本は横浜函館2港の開港と領事館の設置を内容とする日米和親条約を結んだ。これはアメリカの捕鯨船の燃料や食料の補給の為であった』、とするものですが本当の話は大きく違う。
当時の日本国は、根本的な『国家存亡』の全面危機に直面していた。
ペリー艦隊の日本到来を徳川幕府は、学校で習う歴史とは大違いで遥か以前、1853年のずっと前から正確に予想していた。
(160年前の当時においてアヘン戦争は十数年前であり、歴史上の事件ではなく生々しい政治の現実である。
欧米列強の軍事的な外圧は目の前の切実な脅威だった)
先ず脅威はロシアから始まっている。
当時のロシアはシベリア全土や中国領だった沿海州を獲得、樺太も占領しアラスカからサンフランシスコ近くにまで根拠地を設けていた。
欧米列強(帝国主義国家群)の中で一番日本に近く接近していたのはロシアであり、日本にとって直接の脅威であった。
1778年に、ロシア帝国皇帝の親書を携えた大砲で武装したロシアの商船が最初に日本に来航した。
1792年にも再び来航し、その後は1852年まで何度も日本に対して通商を求めて来航し、時には武力で威嚇することさえ辞さなかった。
ペリー来航前年の1852年には、頑強に開国に抵抗する日本側に対して、とうとうロシアは『来年ロシア海軍の大艦隊を引き連れて通商交渉に来る』と最後通牒を突きつけて帰っていった。
当時はロシア一国だけではなくて、世界帝国イギリスや新興帝国のアメリカも虎視眈々と日本を狙っていた。
1796年にイギリスの測量船が日本沿岸に現れてゆっくりと海岸沿いに航行したが、幕府には白人たちの行いが軍事行動の準備の為の測量であることが判っていたが阻止する力が無かった。
1803年アメリカ船が長崎の出島に来航して通商を求める。
1808年にはイギリス船が来航し長崎の町を砲撃し出島を占領、オランダ人を人質にして幕府に対して大英帝国との通商を要求するが、日本側との長い交渉の末に諦めて平和裏に撤収する事件まで起きている。
イギリスはその後も何度も来航し通商を求めたが、とうとう1824年にはイギリス艦隊は日本の首都江戸の北東150キロ地点の関東北東部に上陸したが幕府側の迅速で適切な対応に対して当初の目的を遂げることなく英軍は撤収する。
1837年にはアメリカの商船モリソン号も初めて江戸湾(東京湾)に入ってきて通商を求めたが、日本側は沿岸の砲台での警告の威嚇射撃などを行ったので諦めて帰っていく。
1846年(ペリー来航の7年前)にはアメリカ海軍東インド艦隊所属の帆船軍艦二艘が東京湾の浦賀に入ってきて通商を求めるが幕府は断固拒否する。
アメリカが1848年に戦争によってカルフォルニアなどアメリカ西岸(太平洋の東海岸)をメキシコから奪った以降にはフランスイギリスなど列強はひっきりなしにやってきて最後通牒の形で開国を要求し、イギリスの戦艦に護衛された測量船が直接東京湾に入り水深や航路の測量を行っている。日本側は東京湾入り口に砲兵隊を配備して厳重に警備したが発砲はしていない。
これ等の歴史的な経緯を見れば、江戸幕府にとってアメリカのペリー艦隊の1853年来航は予測済みの事柄だったことは十分に理解できるだろう。
日本の歴史教科書の記述の『突然のペリー来航』が如何に歴史的事実と大きく違うか。事実は正反対で『無策、無能な江戸幕府』を宣伝する目的の明治政府による悪質な政治的プロパガンダだったのです。

『何を恐れて開国(通商条約)に抵抗したのか』

当時のロシアやイギリス、フランス、アメリカが日本側に求めた『通商』(開国)とはいったい『何』を意味したのだろうか。
何故、これほどまで徹底的に徳川幕府は外国との自由な通商(開国)を恐れ、拒み続けたのだろうか。
現在における『通商』の意味は、何か喜ばしいもの、有利なものと考えられている。
通商関係を持つことで双方が利益を得ることが出来るし、新しい可能性や視野が生まれて来ると現代人なら思っているので、通商関係(開国)に頑強に抵抗した江戸時代の日本人とは島国根性で視野狭窄、未知の新しいものを恐れてパニック状態に陥ったとも解釈出来る。
現代人は、世界との通商関係とは日本の命綱に近い大事なものと考えていて、世界に広がる貿易(通商)なくして現在の豊かな日本社会は考えられない。
ところが民主主義の今とは大違いで、19世紀中葉の世界は全く別の『危険な構造』になっていた。
自由な通商とは恐ろしい罠であり、特に当時の日本人にとっての『世界』とは、恐ろしい脅威に満ち溢れている弱肉強食の『力』の論理で無法が横行する危険な世界であると考えられていた。

『インドの植民地化とアヘン戦争後の中国』

5千年近い古い偉大な文明を誇る大国インドのマハラジャ達の野望を利用してイギリスやフランスは傭兵部隊を組織して国内で血みどろの権力闘争を行い、インド人の権力者達は次第に弱体化していく。
当時の欧州諸国にとってのインド製品は魅力に満ち溢れていたが、対してイギリスフランスなど欧州製の品物は皮革や羊毛蜜蝋など大航海時代以前とさして代わり映えしない魅力の無い品物ばかりで、イギリスやフランスなど欧州側が大幅な輸入超過による慢性的な貿易赤字に苦しめられていた。
イギリスにはインドの様な何でもある国が欲しがる品物が無かったのである。
ワーテルローでフランスのナポレオンがイギリスに負ける1815年に、北西部の一部を除く全インドもイギリス軍の軍事力で完全植民地化が成功してしまう。
イギリスの東インド会社による支配により、インドの優れた繊維産業は壊滅しインドは単なる原料輸出国(イギリス製品の輸入国)に成り下がってしまい、原綿の輸入価格も綿製品の輸出価格もイギリスが独断で決定出来るようになって、やっと英国の今までの構造的な貿易赤字が解消されるのです。
徳川幕府は地理的に5000kmも遠く離れていたにも関わらずオランダや中国経由で、正確な情報を取集してインドで起こった悲惨な事態をすべて把握していた。
インドは日本にとっては中国に次ぐ心情的にも親近感の有る文化の一大中心地であり、日本人の精神的バックボーンの仏教発揚の地である。
スペインから独立したオランダは海洋国家として19世紀の初頭まではイギリスフランスなどに対抗する一大勢力(敵)であったので、遠慮することなく敵国イギリスが日本と比べられないくらいに大きな国であるインドの首を徐々に絞めて殺していく様を正確に日本に伝達していたのである。
ペリー来航の9年前(清がアヘン戦争でイギリスに大敗した4年後)の1844年オランダ王ウィレム2世はイギリスによってインドが無残に植民地化される様や中国に無理無体を吹っかけたアヘン戦争の経過など弱肉強食の帝国主義時代の世界情勢に鑑み『開国も止む無し』(武力抵抗の危険性)との国王の親書を徳川幕府の将軍に送っている。

『最初は通商から始まった』

当時の日本人が欧米の求める『通商』を恐れた理由は、独自の優れた文明を誇った大国インドが滅んだ最初の出来事が、何でもない普通の『通商』から始まっていたからである。
悲惨で残酷極まるイギリスによるインドの植民地化は、300年前に白人が来て南部の海岸部の幾つかの都市と普通の通商を求めるところから全ては始まった。
最初は慇懃で親切で友好的であったが、少しづつ着実に影響力や権力を持っていきインド内部の争いに介入して対立を煽り、最初の白人商人のインド上陸から300年後の最後には大文明圏である全インドを手に入れ、その時は慇懃でも親切でも友好的でも無くなっていた。
インド人は自分自身に対して自信を持っていて、欧州人を少しも恐れていなかった。
何故なら当時のインドは欧州諸国に対してほとんどあらゆる点で優れていたからです。
最初の時点では、インドは文化的にも軍事的にも経済的にもヨーロッパよりも数段勝っていた。インドは植民地化される19世紀時点でもGDPで英国を上回っていた。
しかしインドにとって、そんなことは最後には何の役にも立たなかったのである。

『本当は怖い貿易・通商。trade(貿易)の意味』

150年前にアメリカなど当時の列強が押し付けた『全ての障壁を失くした自由な通商・貿易』(trade)ですが、今の日本語的なイメージでは『自由な貿易』は薔薇色で、少しも『悪い』ところが無い。
ところが、この名詞としての通商(trade)の本来の意味は動詞としての『騙す』であると言われています。
広い大陸での、価値観の違う異民族相手の利害が対立する通商・取引(trade)とは騙し騙されるのが基本で、少しでも油断したら騙されて酷い目に合う危険が潜んでいた。
英語の通商・貿易(trade)には、日本語に無い『怖い意味』が含まれているのです。
tradeは、島国で同じ相手と永久に付き合う必要がある日本人が身上とする商売上の『正直さ』や『公正さ』だけでは成り立たない、彼我の『力関係』がものを言う弱肉強食の厳しい世界なのです。 (trade on には『取引します。』との訳以外に、もう一つの『付け込む。』との恐ろしい意味が含まれている)
大ヒットしたジョージ ルーカス監督の『スター・ウォーズ』の悪役は何故か通商連合だった。
英語圏では『通商連合』(Trade Federation)と言われると『油断するな』と身構えるのでしょう。
『天高く馬肥ゆる秋』の言葉の由来となった万里の長城を越えて中国を脅かした匈奴の昔から、洋の東西を問わず、通商を担う遊牧民は、農耕民にとっては貴重な品々を商う『貿易』だけではなくて、同時に恐ろしい略奪者なのです。


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15 コメント

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2年前の記事へのコメント、ありがとうございます (宗純)
2013-05-04 17:41:27
もしも本の書評だと思って読んだとしたら、『大君の都』と随分内容が違うので面食らったのではないでしょうか。
この『逝きし世の面影』ブログは、大盗っ人小盗っ人やら妖怪変化から化物などの魑魅魍魎が跳梁跋扈する政治を論じる、政治ブログなのですね。
極左やら解放同盟やらの偽装や、頭が空っぽで目が節穴の右翼など大悪党小悪党がゴロゴロいる世界なのでタイトルも名前も無いコメントは困るのです。
次回の投稿時にはご面倒でしょうが適当なタイトルとHNの記入を是非ともお願い致します。

1952年とは、安倍晋三が61年後に突然、日本主権回復(独立の日)だと、唐突に主張する大笑いの第二次世界大戦の終戦の日ですね。
ご指摘で、読み返してみたのですが、見つからない。
コメントの前後の言葉を頼りにしてやっと見つけたのですが、『文字を読む』とは目で見ているのではなくて脳で見ているのです。1982年を見ても、自動的に脳内で1852年に変換してしまうので、なかなか自分ではタイプミスが分から無い。
『カルフォルニアなどアメリカ東海岸をメキシコから奪った』は、タイプミスではなくて大事な事実の文字の記入漏れ。
正しく、
『カルフォルニアなどアメリカ西岸(太平洋の東海岸)をメキシコから奪った』
と書き加えました。
伊達政宗はスペインと交易しようとして校倉常長を欧州に派遣するのですが、太平洋を渡り当時スペイン領だったメキシコ経由で東回りでヨーロッパに行っている。
この時期に、アメリカが太平洋の東海岸に達したことが日本にとってとんでもなく重要な意味を持っていた一大事だったのです。
返信する
Unknown (Unknown)
2013-05-03 19:11:33
本のタイトルから検索してこちらにたどり着きました。
2点ほど気になった点を書かせていただきます。

<1792年にも再び来航し、その後は1952年まで何度も日本に対して通商を求めて来航し、時には武力で威嚇することさえ辞さなかった。
ペリー来航前年の1952年には、……

どちらも1952年→1852年ですね。(ペリーが1853年)

<アメリカが1848年に戦争によってカルフォルニアなどアメリカ東海岸をメキシコから奪った以降にはフランスイギリスなど列強はひっきりなしにやってきて……

カリフォルニアは「西海岸」ですね。

明治維新の時に江戸幕府に「無能」なイメージを植え付けた…ってあたりはとても新鮮でした。
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日本国内でも、東ドイツよりもっと酷い例も (宗純)
2011-02-03 14:24:55
日向男さん、何か勘違いがあるようですが、
東ドイツ市民の『昔は良かった』の話が、東ドイツの共産党や政権が良かったと混同していませんか。?
それは少し前提が微妙に間違っている。
東ドイツの話ですが東西ドイツに格差があり、特に医者とか技術者、教師等の知的労働者の東西ドイツの所得格差は特に大きかった。
西では日本と同じで医者などは高収入ですが肉体労働は低い。
東では重労働だと高く設定されその逆に医者などは低かったのですから、これ等の若くて優秀な技術を持った人材が言葉の同じ西に沢山流出する。
東に残ったのは出て行けない技術の劣る人や年寄りの年金生活者。
段々と地方のコミュニティーが崩壊して行ったのです
東西に壁があっても若者達がどんどん流出したのですから、突然壁が無くなれば如何なるかは誰にでも予想がつくと思うのですが、実はそうでもないのですよ。
東の市民達は東西統一で、東が西並の生活水準になると信じたのですが、事実は首都のベルリンは建築ラッシュで繁栄しているが東ドイツ全体では話が違い前よりも過疎化が進行しただけだったのです。
この例は何もドイツだけではなくて沖縄の祖国復帰でも同じことが起きています。
沖縄県全体では人口はそれ程減っていないのですが、与那国島などの離島地域では事情が大きく違い、人口が激減して最盛期の10分の1程度まで減って、地域のコミュニティーが崩壊して仕舞っているのですね。
水が高い方から低い方に流れるように、そこに格差があれば人口の流出は止められない。
昔のまともな状態のことを知っている地域の古老なら、必ず『昔は良かった』と感じるのは当たり前なのですね。これは日本復帰前の、酷い米軍の軍事占領状態が良かったとは同じとはならないのです。
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投票率 (日向男)
2011-02-03 13:30:33
すみません、投票率のことを忘れてました。

投票率は77.7%だったので、旧東独系の投票率も同じだったと仮定すると、おそらく、旧東独人の2分の1程度が左翼党に投票したと思われます。
返信する
左翼党の得票 (日向男)
2011-02-03 13:18:39
共産主義の評価をするには、資本主義・共産主義の両方を経験している旧共産圏の人たちの評価を知ることだと思っているので、調べてみました。

ドイツ連邦議会2005年選挙の結果
政党 得票率
CDU/CSU 35.2%
SPD 34.3%
FDP 9.8%
左翼党 8.7%
緑の党 8.1%
その他 3.8%

左翼党が共産党に相当するようですが、旧西独系の人のなかにも左翼党に投票した人もいるでしょう。
統一時の旧東独系の人口は2割なので、おそらく、旧東独人の3分の1程度が左翼党に投票したと思われます。
したがって、東ドイツ市民のほとんどは『統一前の昔の東ドイツのほうが良かった』と思っている、というのは難しそうです。
返信する
フェイク、真贋の見分け方 (宗純)
2011-01-12 16:08:58
日向男さん、コメント有難う御座います。

うそつきの話ですが、自分が信じないと相手も敏感に感じ取って信じないのですね。
ですから日本だけでなく世界中の嘘つきとは自分のついた『嘘』に、自分でも騙されているらしいですよ。
本物であるかニセモノであるかの真贋の見分けは専門家でも難しい。
偽札の製作者が一番警戒するのは自分がニセモノを掴まされることらしいですよ。
ですから偽札製作者は自分では見分けがつくように、密かに『札』に仕掛けるのですが、北朝鮮製のニセドル札スーパーノートでは光学的な検査では絶対に無理だが、磁気特性に違いがありアメリカが所有する検査機では簡単に違いが判るので米国内には絶対に入ってこない。
何しろスーパーノートは米ドルと同じ正式な印刷機と同じ質の紙とインクが使われているのですから見分けは無理なのです。
紙幣とはその国の持っている最高の技術で作られる代物であり、自国紙幣さえ印刷できない北朝鮮にはスーパーノートの発行は幾らしたくても最初から無理なのですね。
スーパーノートは北朝鮮製ではなくアメリカの自作自演の可能性が濃厚。
2008年02月04日 | 東アジア共同体

東ドイツですが、『昔は良かった』の意味とはプラスマイナス総合しての話で、当たり前ですが良いところも、悪いところもあったのですよ。
ところがドイツの場合には大が小を飲み込む吸収合併なので東の優れた制度は全てが否定されてしまったのですから、これで不満が出ないほうが可笑しい。
東ドイツの政権党に対する批判は矢張り根強いのですが、それでも幾つかの州では第一党になっているのですが、首都のベルリンを除けば今では1000万人程度で全ドイツの8分の1程度まで東の州全体の比重が低下しているのですね。
返信する
天性の嘘つき (日向男)
2011-01-12 15:15:38
まだらボケではなく、若くても自分の嘘を自分で信じてしまっている人を知っています。
天性の嘘つきですね。
おそらく、嘘発見器でも判らないでしょうね。
ある意味、幸せな人です。自分に都合の良い記憶しかないのですから。後悔や反省をする必要が無いのですから。


>今の東ドイツ市民のほとんどは・・・

では、なぜ旧東独地域の選挙で共産党が圧勝しないのでしょうか。
何かカラクリがあるのでしょうか。
返信する
テレビドラマの『仁』で (宗純)
2011-01-06 15:13:12
Saitoさん、コメンと有難う御座います。今年も宜しくお願い致します。

現代の外科医が幕末の江戸にタイムスリップして勝海舟や坂本龍馬、緒方洪庵と出会うテレビドラマで、主人公が神田川の土手から遠く江戸の街並みを望むのですが、オールコックが大君の都に描いたような、まさに美しい田園都市なのですね。
緒方洪庵が種痘による天然痘の予防医学で有名なのですが、ジェンナーの種痘よりも早く日本では種痘が独自に開発されているのです、
華岡 青洲が乳がんの全身麻酔による手術も世界よりも早く日本で開発され実施されているのですから主人公の外科医の仁が活躍する素地は十分にあった。当時のヨーロッパの医学の方が解熱などで安易に瀉血療法を行うなど野蛮極まりない危険なもので多くの命が失われている。
未開野蛮な江戸時代が明治維新で短い時間で近代化したとの話は、後世に創り上げられた全くのフィクションであったようです。
本当は産業革命以前の世界としては最も発達した文明を当時の日本国は持っていたのですが、その記憶は明治政府にとっては都合が悪いので意識的に忘れられようとしているのです。

今の東ドイツ市民のほとんどは『統一前の昔の東ドイツのほうが良かった』と思っているらしいですよ。
東西の壁があっても毎年毎年多くの有能な若者が流出した為に東ドイツの地方のコミュニティーが崩壊していったのですが、それが統一で壁が無くなり益々加速してしまったようです。
統一の光だけではなく大きな影も創ったが、これは日本でも沖縄返還(統一)後に尖閣諸島に一番近い沖縄県の与那国島などは人口が大量流出して古いコミュニティーが崩壊したのに似ているが、そこに格差があれば人口の移動は止められないのですね。
この『昔の方が良かった』の話ですが、『正しい』場合もたしかにあるが、その反対の『大間違い』の場合も沢山有るようですよ。
Saitoさんのコメントを読まして頂いて、今は亡き老母の口癖のように言っていた言葉を思い出しました。
今では少なくなったが、昔はテレビなどで『昔は良かった』(今は堕落している)と語る右翼的な元軍人達が良く出演していたのですよ。
これを見るたびに私の老母は必ず『昔は女には選挙権一つも無かったんじゃ』『昔どれだけ酷い目にあった事か。』『昔は本当に信じられないくらいに悪い世の中だったんよ。』と怒っていたことを久しぶりに思い出しましたが、昔が良かったなど大嘘にも程が有る。
肥満に苦しんでいる今とは大違いで、ほとんどの日本人が食うものにさえ苦労していたのですよ。
日本人全部が満足に腹いっぱい飯が食える世の中は極最近の出来事であるのです。
老いた母は真底『本当に今は、良い世の中になった』と何時もいっていたのです。
本当の戦争を知らない内地の軍人達は、我々庶民が飢えている時でも腹いっぱい食えたので『昔は良かった』などと世迷いごとが喋れるのです。
外地で餓死寸前になった兵士で『昔は良かった』何て話は誰もしない。
因みに狂気の本土決戦の目的で日本軍の半分は敗戦時でも温存されていて、無傷のままぬくぬくと生活していたのです。
戦争初期のころは例外だが、敗戦間際では高射砲部隊はあったが絶対に撃たなかった。
理由は簡単で、撃てば場所が特定され間違いなく米軍から報復で空爆されるのですね。
軍が守っていたのは日本国でも日本人でもなく『軍』そのものだったのですよ。
軍隊とは傲慢で無責任で形式だけを優先する究極の官僚組織だったのです。
人それぞれ、置かれた立場によって正反対の考え方になるのですね。
ただ、>『ロシア在住のその当時世界一の長寿者だったAさん』の話は多分これには当て嵌まらないでしょう。
過去の記憶を自分に都合よく書き換える例は何もお馬鹿な多母神だけではないのですよ。
10人兄弟の末っ子に生まれた私の兄弟の実話ですが上の方は可也の高齢で、自分にとって都合の良い話を、事実は正反対で全くの嘘であるにもかかわらず『真実である』と譲らない。
本人は完全に、その様に信じているのですね。老化によりまだらボケの典型的な症例です。
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欠落している宗教(一神教)のピース (宗純)
2011-01-05 14:23:18
愚樵さん、コメンと有難う御座います。今年も宜しくお願い致します。

対中強硬論の前原など日本の売国的なネオコン勢力は『日中とは違い、日米韓とは共通する価値感がある』などとお馬鹿すぎる主張をしているのですが、
日韓はともかく日米には越えるに越えられない根本的な違いがあることに、偏狭なイデオロギーを優先して無理やり目を瞑っているのですよ。
150年前の世界帝国イギリスのエリート外交官で卓越した文化人で科学者(医者)でもあったオールコックは、日本や日本人の持っている優れた文化や人間性や社会や生活習慣の素晴らしさ街の清潔さや美しさを褒めちぎっているのですね。
ところが同じ人物が舌の根も乾かないうちに異教徒としての日本人の劣等性を強調するのですから目も当てられないダブルスタンダードの極みであるのです。
織田信長や武田信玄、上杉謙信など名だたる武将達のほとんどが禅宗だったのですが、これ等は日本では何の意味も持ちません。
昭和期の極右の思想家、活動家のほとんど全部が法華教の信者であったのですが、これも日蓮系の政治好きが影響しているだけで宗教が直接的な『何か』を意味しているわけではない。
ところが外国、特に欧米一神教世界では大違いで『信じている宗教の違い』『何(宗教)を信じるか。あるいは信じないか』とは、絶対に無視するべきでない一番大事な『ピース』であるのです。
日本人の多くは、困ったことに(自分達とは全く違う)この原理が理解できていないのですよ。
クリスチャンの大平首相に対して靖国参拝に強要した日本の右翼とは欧米的には右翼とは呼べない。
彼等には『欧米の宗教の本質』は到底理解出来ないのでしょう。
>『元勲たちが西洋の中に発見した「基軸」です。彼らは西洋にキリスト教という「基軸」があると見て取った』<
と言うのは確かにその通りであるのですが、この基本軸(宗教)の形式(様式美)を真似したのであり、やっぱり基本軸そのものは日本人だったのでしょう。
教義を持たず何でもありで融通無碍の古代神道は、簡単に外来の先進の世界観である仏教と融合することが出来た。
『神道』と名前が同じで見かけも似ているが、中身が大違い。
結果的には日本を亡ぼした破壊的カルト宗教の『国家神道』とは、擬似キリスト教系の新興宗教であったことだけは間違いないでしょうが、
果たしていったいぜんたい『何もの』であったのでしょうか。?
断絶の宗教である一神教(キリスト教)のヒエラルキーの考え方と最新科学(ダーウィンの進化論)から必然的に派生したソーシャルダーウィニズム(社会進化論)の日本的な過剰適応例だったのでしょう。
幕末の日本が軍事力の差を背景に欧米列強に実質的な属国化である不平等条約を押し付けられるのですが、そっくりそのままの不平等な通商条約を今度は日本よりも軍事力で劣る朝鮮に要求して無理やり『開国』さしてしまうのですから、凄い話ですね。
この通商条約(開国)の意味するところが何であるかは、欧米から同じ目にあった日本国は身を持って知っているのですから、良いことだけでなく悪いことでも躊躇することなく真似する日本人の適応能力の凄さには驚くばかりです。
ただ、この同じ時期に長い間日本人と共棲していた日本狼やトキやアホウドリ、日本かわうそなど貴重な動物達の全ての絶滅時期と時間が同じであるのですから、
開国後の数十年の短い間に、自然と共棲していた日本人が大きく悪い方に変わったらしいのです。
返信する
アプリオリを疑ってみる (宗純)
2011-01-05 11:14:21
農婦さん、コメンと有難う御座います。今年も宜しくお願い致します。

政治経済、歴史などで誰もが信じて疑わない事柄の内で本当に正しいことが多いのですが、実は正しくないことも少なくないのですね。
私から見れば『何で誰も気が付かないのか。?』と不思議になるのですが、事実の一部だけを『事実の全部』であると偽装する手口なのですが、これにみんなが騙される。
嘘で騙すと直ぐに暴かれるのですが『真実の一部分』の場合には、『残りの真実の部分』は完璧に隠蔽されるのですから恐ろしいですね。
これからも、出来うる限りこの『隠されている部分』『失われたピース』を根気よく一つ一つ掘り起こしていきたいと思っています。
返信する
逝きし世の面影 (Saito)
2011-01-05 06:49:57
ブログ主さま、
お久しぶりです。
あけまして、おめでとうございます。

「逝きし世の面影」という不思議なブログ名に引かれて、去年からときどき拝見しております。黙っておりましたが、渡辺京二さんの「逝きし世の面影」も、このブログにアクセスするようになってから、すぐ購入して読みました。とても良かったです。江戸は、広大な田園・庭園都市のようなものだったそうですね。

歴史を教科書にする際には、それなりの思想的なバックグラウンドに基づいて一貫した書き方をするのでしょうけど、ときどき、あれっと思うようなほころび、理屈に合わない記述がありますよね。それが頭の隅に残っていて、後で、調べるきっかけになったり、偶然、なんらかの事実を見つけて、得心したりします。

数年前、BBCのビデオで、ロシア在住のその当時世界一の長寿者だったAさんのインタビューを見たことがあります。百歳以上なんですけど、とてもお元気で、家事の手伝いもするし、農場の見回りも日課にしている方でした。若い頃から、非常な貧乏で結婚もできなかったくらいなのですが、「どの時代が一番暮らしやすかったか」という質問に対し、ソ連の前の王制(ハプスブルク家か何かで、ロシアのツアーじゃなかったような。。。)の時代が一番よかった、と答えたので、インタビュアーが慌てるという一幕がありました。

しかし、Aさんは何度聞き返されても、その時代が一番よかったと答えるのです。そしたら、BBCがその場面におっかぶせるように(ソ連時代もひどかったが)ソ連の前の時代はとてもひどかったかという解説を流すのです。

今より昔の方が良かったという話しはよく聞きますけども、でも、実際にその時代を体験した人の証言なんですから、一応、そうかなと考えてみるべきではないでしょうか。BBCの驕りを感じました。世界一長寿者を尊敬してインタビューしているかのようなふりをしながら、心底ではAさんを馬鹿にしているのです。

そのBBCの番組を作った人たちの方こそ、自分たち自身のプロパガンダに中毒している事に気付かないお馬鹿さんなのかも、と思いました。
返信する
官僚支配の始まり (愚樵)
2011-01-04 17:47:17
宗純さん、今年もよろしくお願いします。

前政権を貶めることで己の正当性を高めようとするのはどの時代、どの国にもあることですが、

>事実は正反対で『無策、無能な江戸幕府』を宣伝する目的の明治政府による悪質な政治的プロパガンダだった

明治政府のプロパガンダには、それ以上の理由もあったような気がしています。

それは明治の元勲たちが西洋の中に発見した「基軸」です。彼らは西洋にキリスト教という「基軸」があると見て取った。西洋人が必要以上に戦闘的になることができるのは「基軸」があるおかげです(現在でも、アメリカにはその「基軸」が根強く残っています。アメリカがイラクやアフガニスタンへ単独攻撃ができたのも「基軸」のおかげと言えます)。

明治元勲たちは、そこに対抗するために天皇を日本の「基軸」に仕立てあげようとした。そうしなければ日本は生き残れないと見たのでしょう。それは正解だったろうと思います。ただし、そのことは現代の日本に大きな禍根を残すことにもなってしまいました。

もともとの日本の基盤は「和」です。「和」は自由活発な経済活動を通じて、そこに関わる人々の一体感を育む基盤でもある。江戸時代は、偏向教育を受けた私たちが考えている以上に貨幣が浸透し自由活発な経済活動が行なわれた時代でしたが、その経済活動を通じて日本人が獲得したのは、「日本人としての意識」だったろうと私は思っています。戦乱の世の中を治めたのは徳川幕府の手柄でしょうが、「日本人意識の醸成」は庶民の手柄。そしてその基盤には「和」の精神があった。庶民の手柄であったからこそ、後の「9条の精神」へと繋がった。

しかし、明治元勲は「庶民の和」では西洋列強に対抗できないと見た。だから「和」の中心に座っていた天皇を「基軸」へとすり替え、庶民を「啓蒙」していった。日清・日露の戦勝で弾みがつき、この啓蒙が成功してしまったことが後の太平洋戦争、そして現代にまでつづく官僚支配の始まりとなってしまった。

ただ、禍根を残したとはいえ、明治の元勲たちの「啓蒙」の「志」が、日本という邦(くに)を守るためだったことは疑いのないところでしょう。翻って現代の政治家・官僚はどうか。国民を「洗脳」し国を売り払おうとする「動機」はどこにあるのでしょうか。
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霧が風にそよがれて ( 農婦)
2011-01-04 03:59:44
岩下俊三様のコメントにも、感動いたしました。逝きし世の面影(宗純)さま、今年もどうか,頑張ってください。弱い私達庶民の、力になってください。ご健康をお祈り申し上げます。
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関税自主権喪失と領事裁判権 (宗純)
2011-01-03 15:35:58
岩下俊三さん、コメンと有難う御座います。今年も宜しくお願い致します。

江戸幕府はペルー来航からたったの15年、日米和親条約での開国以来14年で崩壊してしまうのですが、この最大原因は日本国民の支持の離反であり、金の流出による物価の高騰やコレラなど外国からの疫病の蔓延など、誰が見ても開国以前よりも以後の方が悪くなっているのですね。
だから尊皇攘夷がみんなから支持されたのでしょう。
これは1年3ヶ月前の自民党長期政権崩壊とよく似た現象で、バブル崩壊後の日本の国民の生活は十数年間も毎年毎年少しづつ悪くなっているのですね。
この原因ですがグローバルスタンダードとか金融ビックバンとか無制限の規制緩和と民営化の新自由主義などの、言うなれば売国的な自民幕府によるアメリカ言いなりの『第二の開国』によるところが大きく影響している。
だから新政権に多くの日本人が期待したのですが、『外圧』に抵抗するどころか全面降伏の体たらく。
150年前の欧米列強が日本に要求したのは自主関税の撤廃(今のTPPと同じか)と領事裁判権(治外法権)で、普天間に沖縄県民が反対する最大原因はこの治外法権の米兵の無法行為なのですから150年間で日本は少しも進歩していない風にも見えますね。
世界第二の経済大国で1億人を超す人口大国でもある先進国がこの有様では情けないことです。
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暗喩 (岩下俊三)
2011-01-03 11:28:52
歴史的事実を淡々と述べられる秀逸さに、感激しました。現代の生臭い政治状況をストレートに乱暴な言葉で揶揄するのではなく、含蓄のある暗喩で、政権批判をされていることに敬意を表します。

TPPを至上命令とし、既得権のために国内を分裂させ、肉食国家の餌食になりそうな今様マハラジャ政権に警告を与えるものとなるでしょう。

龍馬ならストレートに「このままでは、日本はのうなってしまうがぜよ」といったでしょうが。

正月早々勉強になりました。ありがとう御座います。
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