逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

3カ月も続く与党の審議拒否と解散総選挙

2019年06月09日 | 政治
12年前の2007年9月12日、下痢などの体調不良を理由に(注、辞任当時の記者会見では安倍晋三はその理由を明らかにしなかった)唐突に辞任を発表、自ら政権を放り出した安倍晋三総理大臣。(後任の首相は麻生太郎副総理だったが任期満了の総選挙で民主党に大敗して鳩山由紀夫が総理大臣になる)



『野党、予算委開催求め合同で院内集会』─6月6日 17時13分─TBSNEWS

国会では与党側が応じないことから、衆議院で3か月以上、予算委員会が開かれていません。野党側は6日、合同で集会を開き、早期の開催を訴えました。
予算委員会は衆議院では3か月以上、参議院では2か月以上、開かれず、野党側が反発を強めています。6日の集会で野党側は、外交や年金など課題が山積しているとして、総理や関係閣僚が出席する予算委員会の集中審議を開催するよう訴えました。
「逃げるな安倍総理。実質賃金も隠してるでしょう。年金財政検証も先延ばししようとしてるでしょう、選挙の後に。日米密約もですね、トランプ大統領が選挙の後だと言ってるじゃないですか。全部、争点を隠していながら、一生懸命、衆議院解散の争点探しをしてるんです」(立憲民主党 辻元清美国対委員長)
これに対し、与党側は「予算委員会ではなく、各委員会で質疑を行えばいい」との見解を繰り返し示しています。

『国会審議よりもトランプとのゴルフや相撲見物、「花見」に芸能人との会食など娯楽を優先する?』
★注、
開会中には総理大臣が出席、答弁する義務がありNHKの放送中継も必ずある予算委員会は国会の花形と言われているのですが、何故か衆議院は3月1日から(参議院は3月後半の27日から)与党側が前代未聞の審議拒否を行っていて、3カ月以上も開かれていない前代未聞の異常事態である。

金子勝‏ @masaru_kaneko · 6月6日
【国会はいらない】
実質賃金下落や統計修正問題、日米FTA交渉での密約疑惑、年金で生活できず2000万円必要など、国会会期中なのに、予算委員会の集中審議が衆議院では3ヶ月以上、参議院では2ヶ月以上開かれず。民主主義が壊れても支持率が上がる、危ない社会だ。



衆院予算委員会の野田聖子委員長(左端)に委員会開催を求めて申し入れをする逢坂誠二野党筆頭理事(左から2人目)ら=国会内で2019年5月30日午後1時18分、川田雅浩撮影

『国会は波静か 与党が応じず、衆院予算委は3カ月未開催』2019年5月30日  毎日新聞

衆院予算委員会の野田聖子委員長(左端)に委員会開催を求めて申し入れをする逢坂誠二野党筆頭理事(左から2人目)ら=国会内で2019年5月30日午後1時18分、川田雅浩撮影
通常国会は6月26日の会期末まで1カ月を切った。
夏の参院選に向けて、対決ムードを避けたい与党は、野党が衆参両院で求める一問一答形式の予算委員会開催に応じず、衆院予算委は3カ月間開かれていない。今国会成立が困難となった国民投票法改正案でも、与党は強行的な手段を控える。衆参同日選が取りざたされる中で続く波静かな国会。6月19日で調整中の党首討論(QT)が最大の山場となりそうだ。
自民党の森山裕国対委員長は29日、衆参両院での予算委開について、「それぞれの委員会で質疑すればいいことだ」。と予算委の早期開催に否定的、・・
(抜粋)

『野党、予算委開催申し入れ 「82日間開かれず異常」』2019年5月22日 (共同通信)

衆院予算委員会の野党筆頭理事を務める立憲民主党の逢坂誠二政調会長は22日、野田聖子衆院予算委員長と国会内で会い、予算委集中審議の早期開催を申し入れる文書を手渡した。野田氏は「与党に伝える」と答えた。逢坂氏は記者団に「与党は開催を拒み続けており、今日で82日間も開かれないのは異常事態だ」と述べた。
文書は「景気動向や日ロ・日朝関係など内外に課題は山積している。首相と全閣僚が出席する予算委を開催し、政府は説明責任を果たすべきだ」と強調。「委員長は状況を重く受け止め、開催を決断するよう強く要求する」とした。 
5月22日 共同通信

『花より国会では? 過去10年で最短の予算委に野党反発』2019年5月23日 朝日新聞

与野党攻防の舞台となり「国会の花形」といわれる予算委員会が衆参とも3月から開かれていない。「休業」は23日時点で衆院83日間、参院57日間に及ぶ。参院選を前に激突場面を減らしたい政府・与党の思惑を反映したものだが、見せ場を失う野党は反発を強めている。
「桜を見たり芸能人と会ったり色々な方とご飯を食べたりしているようだが、安倍晋三首相にその日程があるんだったら、国会に来るべきだ」。
23日の参院予算委理事懇談会後、立憲民主党の蓮舫筆頭理事は、予算委開催に応じない与党側を批判した。
今国会での予算委は、衆院は予算案通過の3月1日、参院は予算が可決・成立した3月27日が最後。衆参の委員部によると今国会の開催日数は各15日間。このまま閉会すると過去10年の通常国会で最少となる。
予算案など国政全般を議論する予算委は、首相や閣僚が出席し、テレビ中継もされる。追及姿勢を鮮明にして参院選に弾みをつけたい野党側は、重要な国政問題が相次ぎ、首相や主要閣僚に見解をただす必要があると開催を要求してきた。



気象庁 『おしらせ』  平成3 1 年4 月1 2 日 気象庁観測部

富士山特別地域気象観測所の観測データの欠測について
富士山特別地域気象観測所は、4 月12 日4 時30 分(日本時間)より全ての観測データ(気圧、気温、湿度)が欠測となっています。
現在、障害箇所の特定に努めていますが、復旧の見通しは立っておりません。
ご利用の皆様にはご迷惑をおかけしますが、観測を再開した際には改めてお知らせいたします。
※ 日照時間は通常7 月から8 月の間、観測を行っています。
★注、
国土交通省の外局の気象庁は、機器の不調を理由にした富士山(気温など)の欠測が2ヶ月も前から現在も依然続いている。



『嬉しそうに大声で野次る安倍総理』

自分が発言する時は『質問席から野次を飛ばすのは止めていただきたい』と野次が気になるらしい安倍総理だが、何故か野党議員の質問に対しては、閣僚席から笑いながら野次というか罵詈雑言の安倍晋三総理大臣。ほぼアル中の言動と同じだった。
★注、
1953年(昭和28年)衆院予算委で吉田茂首相は答弁を終えて大臣席に着くとき『ばかやろう』と小さく呟いたことを咎められて、世に名高い『バカヤロー解散』になるが、大声で身振り手振り入りの安倍総理の野次なら2万回は解散になっている計算だ。ところが誰も追及しない不思議。安倍晋三ですが覚醒剤など何かの強力な興奮剤を使用していると思われるほどの異様なありさまだった。



覚醒剤など何かの強力な興奮剤を使用しているものと思われるほどの異様な興奮状態の安倍晋三総理大臣ですが、日本上空のはるか上の宇宙空間を飛ぶ北朝鮮の大陸間弾道弾を口実にしたJアラートなど、支持率を上げる為の架空の危機対応で、2017年解散総選挙に打って出て大勝する。


ベルリン五輪の開会式で開会を宣言するアドルフ・ヒトラー=1936年8月1日

『「ヒトラーは薬物中毒だった」 ドイツ人作家が描く新たなナチス像』 6/5(水) 47NEWS  ©株式会社全国新聞ネット

ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーは薬物に依存していた。ビタミン注射に始まり、鎮痛薬や覚醒剤。会議前に1本、気分が優れず1本…。第2次大戦で旧ソ連との戦闘が激しくなると、ほぼ毎日注射した。依存度が高まるにつれ手の震えもみられる。やがて統率力を失い、ナチスは内部崩壊した―。そんなドイツ史の知られざる一面を描いた歴史書が2015年、ドイツで刊行され、話題を呼んだ。30カ国以上に翻訳され、映画化も企画されている。日本では『ヒトラーとドラッグ―第三帝国における薬物依存』(須藤正美訳、白水社)として出版された。著者はベルリン在住の小説家ノーマン・オーラー氏で、薬物を処方したヒトラーの主治医テオドール・モレルのカルテなど史料数千点をドイツや米国の公文書館で調べ、史実を掘り起こした。3月下旬、来日したオーラー氏にナチス・ドイツの薬物依存の実態や著書に込めた思いを聞いた。
(共同通信=外信部・平野雄吾)


ヒトラーの薬物依存を暴いた「ヒトラーとドラッグ―第三帝国における薬物依存」(左) 著者のドイツ人作家ノーマン・オーラー氏(右)

―ヒトラーと薬物の関係を調べ始めたきっかけは?
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直接のきっかけはディスクジョッキー(DJ)をしている友人の勧めです。彼の友人がベルリンで1940年代に建てられたアパートから覚醒剤の錠剤を偶然見つけたらしく、DJの彼が実際に飲んでみたらとてもハイになったと教えてくれました。この話を聞いて調べたくなりました。友人が飲んだのはペルビチンという商標名の覚醒剤で、1錠に約3ミリグラムのメタンフェタミンが含まれています。
1錠飲むとコーヒー100杯分の効果があり、2~3日間眠らなくても問題なく、エネルギーも湧き出て多幸感が得られるとされています。
実は、ドイツは覚醒剤の大量生産を始めた世界で最初の国家です。
メタンフェタミンを初めて合成したのは日本の薬学者、長井長義ですが、ドイツ人科学者がペルビチンの生産手法を確立しました。その結果、気分を高揚させるとしてペルビチンは社会に広く出回り、主婦は服用して家をもっときれいにしたし、労働者はさらに働くようになりました。
生産性が高まるので、ナチス政権にとっては非常に好都合でした。余談ですが、食欲が減退するのでダイエット効果があるとしてチョコレートにさえメタンフェタミンが混ぜられ、女性たちに飲まれました。友人のDJが飲んだのはこの時代に製造された錠剤です

―薬物の危険性を誰も指摘しなかったのか。

当時の保健大臣レーオ・コンティは一時のメリットの後に悪影響があり、国民がまひしていくと指摘しています。彼は1939年11月、ペルビチンを購入時に処方箋が必要な薬剤に指定しましたが、実際には多くの薬局で処方箋がなくても購入できました。
疲労と眠気を克服できるペルビチンは当然、ドイツ軍で重宝されました。
軍は兵士にペルビチンを服用させ戦闘に向かわせます。特に1940年のフランス侵攻(いわゆる電撃戦)では効果が絶大でした。
戦車を運転する兵士は昼夜を問わず進軍できたのです。フランス兵は眠るが、ドイツ兵は眠らない。薬物による戦略的アドバンテージがドイツ軍にはありました。その結果、フランス軍は敗北。フランス人はドイツ人を超人だと思ったようですが、単なる薬物効果でした。

―調査の経緯は?

テオドール・モレルというヒトラーの主治医の名前は多くのドイツ人に知られています。ただ『変わり者の医者』として扱われ、何をしたのかについてはほとんど分かっていませんでした。ドイツ連邦公文書館のサイトでモレルに関する史料が西部コブレンツの公文書館にあると分かり、訪ねてみるとモレル手書きのカルテなどが大量にありました。これらを見つけられたのは大変幸運でした。史料の閲覧記録を見ると、私の前は約20年前に1人見ただけで、この50年間にも2~3人しかいません。主治医というヒトラーをよく知る立場だったにもかかわらずモレルの記録が軽視されていた証しで、歴史家たちの怠慢だと思っています。
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モレルはベルリンの開業医でしたが、ビタミン剤を患者に注射する診療所として人気でした。
ヒトラーの友人で写真家のハインリヒ・ホフマンがここの患者だった関係でモレルはヒトラーに出会い、1936年以降、主治医になります。ほぼ連日のようにヒトラーの診療に当たり、「患者A」という名前の記録を付け続けました。注射した薬物の名前やヒトラーの容態などを書いています。
なぜなら、ヒトラーに何かあった場合にゲシュタポ(秘密国家警察)から追及されるのを恐れ、証拠を残しておく必要があったのです。
連合国軍のドイツへの空爆が激しくなると、生産工場が破壊され薬物が入手できなくなります。
注射を打てなくなったモレルは1945年4月に解雇され、ドイツ南部バイエルン州の小さな村に疎開しますが、書き続けた記録は常に持っていたのです。ドイツ降伏後、米軍に発見され2年間にわたり尋問を受けました。記録は米軍が押収、その後、一部がドイツ政府に引き渡され、最終的に公文書館に移されます。私は米首都ワシントンの公文書館にも行き、合計数千点の史料を渉猟しました。

―ヒトラーの薬物効果は?

ヒトラーは、より健康になるためにビタミン剤を注射するようになりました。ヒトラーは菜食主義者で酒も飲まず、健康のイメージを作り上げていましたが、薬物に依存していきます。独ソ戦が始まっていた1941年8月、重いインフルエンザにかかり戦況会議を欠席しました。ビタミン剤よりも強い薬が必要となり、ホルモン剤や新陳代謝の促進剤、ペルビチン、ついにはオイコダールと呼ばれるアヘン系鎮痛薬を日常的に使用するようになります。1943年7月の独伊首脳会談で、気分が優れなかったヒトラーはオイコダール注射で乗り切ります。イタリアの独裁者ムッソリーニは戦況悪化から同盟関係の見直しを模索していましたが、ヒトラーは薬物効果で多弁になり3時間ぶっ通しで話したのです。ムッソリーニを圧倒し、戦線離脱の話をさせませんでした。言わばドーピングのヒトラーとしらふのムッソリーニです。モレルは「閣下は私に、今日の成功は君のおかげだとおっしゃった」と記録しています。
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―この著書で訴えたいことは?

ヒトラーは薬物に依存し、ドイツ軍にもドイツ国民にも薬物がまん延していた。いずれも重要な話です。ナチス・ドイツは薬物で妄想的になり、現実を理解できない非理性的な社会に陥ったと言えます。ナチス・ドイツは人種イデオロギーを掲げましたが、そのイデオロギーを浸透させる手段として薬物も利用したのです。
そして自ら内部崩壊しました。
この本の直接の執筆動機は友人らが見つけたペルビチンの話ですが、もともと私はナチス・ドイツについて本を書きたいと思っていました。
私が10代だった1980年代、祖父がナチスやヒトラーを賛美していました。「ナチス時代は社会に秩序や規律があった」と言うのです。
戦争中、鉄道技師だったという祖父はドイツ東部出身で、ソ連軍の侵攻からドイツ西部へ逃げた経験もあって、反共主義者だったのですが、戦後40年以上たってもヒトラーを支持していました。私は祖父の姿勢に疑問を持ち、ナチス・ドイツにはずっと関心を抱いていました。
ヒトラーは酒を飲まず菜食主義者の健康的なイメージを作り上げる一方で、薬物に依存。社会には秩序や規律があるように思い込ませる一方で、覚醒剤がまん延する。
ナチス・ドイツはうそで塗り固められていたのです。こうしたナチス神話のようなものを脱構築するというのが今回の私の挑戦でした。
多くの歴史家は薬物については詳しくなく、これまで調べなかったのでしょう。
もしナチス時代に薬物がなかったら?そうしたら1940年の段階でドイツ軍は英仏軍との戦いに負けていたでしょう。これはあくまで推測に過ぎませんが、そういう小説を書くのも面白いかもしれません。
6月5日(水) 47NEWS

 

世界で最初に覚醒剤を開発したのは日本なので、第二次世界大戦では特攻隊やゼロ戦パイロットが覚醒剤を大量使用したことは良く知られているエピソードだ。
敗戦後に軍用覚醒剤の在庫を製薬会社が市場に大量放出、眠気覚ましの特効薬としてタクシー運転手や受験生に愛用され中毒者が続出したことから、1951年(昭和26年)に禁止されている。(覚醒剤は禁止されるまで普通に薬局で売っていたし、もちろん新聞広告も行われていた)

阿片を巡る読書の補足――覚醒剤と音楽、そして水爆 松浦晋也の“読書ノート”

覚醒剤のメタンフェタミンは神経伝達物質のノルアドレナリンとドーパミンの分泌を促進するので「頭がすっきりする、疲労が取れる」と感じる日本起原の薬剤だ。
1893年に薬学者の長井長義が合成に成功、覚醒作用があるので日米開戦の1941年から軍人の疲労回避のために大日本製薬(現・大日本住友製薬)が「ヒロポン」の製品名で大量生産する。
戦争中に大量に作られ本土決戦用に備蓄されていたヒロポンは、敗戦後の日本に大量に出回り、薬局で普通に購入することができた。
「徹夜の友」として、ヒロポンは社会に浸透し、やがて大量の中毒患者が発生。ついに1951年に覚せい剤取締法が制定されてたが、その害は完全に根絶することなく社会を蝕んでいる。
覚醒剤を使っていた作曲家
作曲家の尾高尚忠(1911~1951)が39歳で死去。ヒロポンの常用による過労死だったが、「疲労回復剤ヒロポン」の害に関していくらかでも知識を持っていたならば――我々は覚醒剤により、人類の遺産となるほどの名曲を失ったのだ。
ヒロポンを『その爽快さ! まるで天下を取ったようである。」「特攻隊用にはまさにうってつけと思ったが、劣等感に苛まれる小心翼々にもこたえられない薬と見た。』
『もうほんとうにめちゃくちゃでしたね。毎日が徹夜で、数時間しか寝ていないから、とても身体がもたないんです。(中略)町の医者にいって、覚醒剤のヒロポンを打ってもらったんです。いまじゃとても考えられないことだけれど、そのころはその辺の医者に頼むと打ってくれたんです。(中略)だけどその副作用で、突然よだれが出てきて止まらなくなったり、幻覚を見たりしたんです。ピアノの上のゴミが急にウワーッと動き出したりするんです。気味が悪かったな。』と小倉や武満徹が書くが、覚醒剤は1951年に非合法化されても末端の町医者まで徹底されなかった。
(抜粋)

今週の本棚
磯田道史・評 『世にも危険な医療の世界史』
=リディア・ケイン、ネイト・ピーダーセン著、福井久美子・訳 2019年6月9日 毎日新聞
 
正しい評価阻む「生きたいという願望」
医学史に、いささかの不満がある。人類の医療の歩みをすすめた輝かしい成功の歴史だけで、埋め尽くされている感があるからだ。
しかし、ほんとうの医療の歴史は、試行錯誤と失敗の歴史であった。
とんでもない「インチキ療法」が、とめどなく開発される。悲しいことに、人はそれを信じる。「生きたい」と切に思うから、その人体実験に参加せざるを得なかった。そして、死体の山が築かれ、結果として、比較的、害が少なく、効果のある「療法」が発見されて、それが生き残り、今日の医学体系となっている。
成功したものだけに着目してはいけない。
なぜなら、医療の歩みは必ずといっていいほど、失敗をともない、被害者を生み出してしまう。医療過誤や薬害である。医学の目的は、人を救うことであるから、被害者を生み出す「医療失敗の歴史」をみすごしてはならない。
(抜粋)
★注、
2200年前の秦の始皇帝が水銀を不死の妙薬として大量服用したり、ニュートンやナポレオンなどが薬物(水銀)中毒で死亡したが、ロンメンなどの薬品名で普通に市販され幼児にまで医療用に水銀剤が使用されていた長い歴史がある。水銀剤の毒性が確認され禁止されたのは1950年ごろの出来事だった。



フランケンシュタインの誘惑E+ #9「放射能 マリーが愛した光線」 5月30日 NHKEテレ

科学は、人間に夢を見せる一方で、ときに残酷な結果を突きつける。理想の人間を作ろうとした若者フランケンシュタインが恐ろしい怪物を生み出してしまったように―。
科学史の陰に埋もれた“闇の事件”にスポットを当て、科学の魔性の姿に迫るスリリングな教養番組。徹底した調査に基づく取材ビデオとVFX技術を駆使した独自の再現ドラマによるスタイリッシュな映像で、科学史の闇を掘り起こす。

危険薬物の乱用といえば、2回もノーベル賞を受賞したキュリー夫人がラジウムの放射線被曝で死亡したように放射能の危険性は明らかだが、今でも安倍晋三(昭江首相夫人)の場合はラドンガス発生器を突然政権を放り出した十数年以上前から難病の潰瘍性大腸炎の治療用として大量使用しているらしいのですから怖ろしい。


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2 コメント

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覚醒剤 (匿名希望)
2019-06-08 17:54:51
ナチス統治下のドイツでは1938年、アンフェタミンより数倍の強力な効果があるメタンフェタミンが、ペルビチン錠として市販された。

ドイツ国防軍も当初は危険性を強くは認識していなかったために、主に兵士に、積極的に覚せい剤を支給していた。家族から取り寄せる兵士もおり、第二次世界大戦初期の電撃戦で、短期間に連続した行動を求められる兵士の士気向上に効果を発揮した[34]。日本のヒロポンより先に1938年より市販されていたメタンフェタミンの錠剤「Pervitin」と「Isophan」を1940年4月〜7月のわずか4ヶ月の間に3,500万錠を製造し、ドイツ陸海空軍の兵士に支給した。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E9%86%92%E5%89%A4




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Unknown (海坊主)
2019-06-09 09:33:03
国家崩壊、国家消滅の近未来を薄々気づいているから無駄な足掻きを止めて、なるように委せているのかも知れませんね。前にも「八日目の蝉」騒動がありました。国家中枢に近い政治家は、既に知っているのでしょう。

安倍夫妻揃ってその可能性がありますね。大麻騒動は権力抗争と表裏一体に見えます。だけど護られているから暫くはこのままでしょう。愚者には愚者の役割があるものです。

何も知らされていない国民は崩壊して、消滅して初めて知り、大混乱劇を演じさせられる事になるでしょう。

面白い時代に私は産み落とされたな、と感じます。
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