石川啄木の『啄木詩集』のなかの『ココアのひと匙』から、
われは知る、テロリストの
かなしき心を
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
『ココアのひと匙』は1911年の作である
この『テロリスト』とは、1910年(明治42年)に社会主義者幸徳秋水らが明治天皇暗殺計画を企てたとして検挙された『大逆事件』をさすとする説が有力である。
それ以外にも、1909年にハルビンで『伊藤博文』を射殺した『安重根』のことだという説が有ることも最近知った。
『大逆事件』
明治天皇の暗殺を計画したという理由で多数の社会主義者、無政府主義者らが検挙、処刑された弾圧事件で、首謀者とされた幸徳秋水 の名を取って幸徳事件ともいう。
信州の社会主義者宮下太吉ら四名の逮捕者が当時の反体制運動の中心人物の一人であった幸徳秋水と強いつながりを持った者であったことから、明治政府は、この事件を利用し、明治天皇暗殺といった「一大陰謀事件」を捏造し、幸徳をはじめとする全国の社会主義者や無政府主義者を一網打尽に抹殺しようと企み、26名を逮捕・起訴、うち24名に大審院は死刑判決を下したのが、世にいう『大逆事件』である。
明治政府によるフレームアップ(でっち上げ)による社会主義者、無政府主義者に対する一大弾圧が、大逆事件の本質ということができる。
大審院特別刑事部は1910(明治43)年12月10日から29日の短期間に、6回の公判を1人の証人喚問も許さず非公開で行い、12月25日検事の論告で全員に死刑を求刑、27日結審、翌1911(明治44)年1月18日に、死刑24人、有期刑2人の全員有罪判決を下す。
そして24日には幸徳、大石、森近、宮下ら11名を、翌25日に管野の死刑を執行する。異例の早さの死刑執行が世紀の冤罪事件の本質を物語っている。
『安重根』
1879~1910 朝鮮独立運動の闘士。平安南道鎮南浦の出身。キリスト教信者。1907年,排日朝鮮人団体に加入。1909年,抗日軍を指揮し,中国と朝鮮の国境の会寧に進出したが,敗北。同年,初代韓国統監伊藤博文をハルビン駅頭で拳銃で射殺。翌年2月14日死刑判決,3月16日旅順刑務所で処刑された。
大韓民国 (韓国)での評価
現在の韓国では「抗日闘争の英雄」として評価され、「義士」と呼ばれており、暗殺者(テロリスト)であるものの、安を単なる殺人犯とする評価はまれである。
またソウル特別市には安重根の偉業を伝える「安重根記念館」がある。
安重根の遺骨発掘へ 韓国側、24日にも中国入り
2008年03月22日21時27分
伊藤博文を暗殺し、朝鮮民族の英雄とされる安重根(1879~1910)の遺骨を探す発掘調査が、中国遼寧省大連市の旅順口区(旅順)で今週にも始まる見通しになった。暗殺から今年で99年。中国政府が韓国政府の要請を受け、調査を許可した。謎とされてきた安重根の処刑遺体の埋葬場所が明らかになるか注目される。
中韓両当局の関係者によると、韓国政府の調査団が24日にも現地入りする予定。調査場所は安重根が勾留(こうりゅう)された当時の旅順監獄周辺。韓国側はこの辺りに遺体が埋葬されたと推測している。
日露戦争の激戦地として知られる旅順は、戦後も軍事施設が集中し、中国政府が外国人の立ち入りを規制してきた。だが周辺でマンション建設が始まり、韓国側が早急な調査の必要性を訴えていた。中国の未開放地域で外国政府に発掘を許可するのは異例で、地元当局者は「安重根は我々中国人にとっても歴史上の重要人物だ」と話す。
安重根は1909年、初代韓国統監を務めた伊藤博文を現在の黒竜江省ハルビンで暗殺。旅順監獄に移送され、1910年3月に処刑された。
韓国や北朝鮮では民族独立運動の英雄として高く評価されており、韓国では暗殺から100年を迎える来年に記念行事を行う計画がある
『石川 啄木』
1886年(明治19)2月20日 - 1912年(明治45)4月13日
岩手県南岩手郡日戸村に生まれる。1902年盛岡中学を自主退学して上京、与謝野鉄幹・晶子夫妻を訪ねる。 病気で帰郷の後、1905年詩集『あこがれ』刊行。 故郷での代用教員、北海道での新聞記者生活のなどを経て、1910年『一握の砂』出版。
1912年肺東京市小石川区久堅町で肺結核のため死去。享年26歳。
第二歌集『悲しき玩具』は死後出版された。
歌人・詩人・評論家
望郷と漂泊の天才詩人として知られる石川啄木は、「歌は私の悲しい玩具である」 「歌を作るのは不幸な日だ」と告白しながら、 「一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒」をいとおしみ、消え去る刹那の感動を見事に結晶させました。 わずか26年の生涯ながら、その歌は近代短歌史に輝かしい1ページを刻んでいます。
(9・11事件8年目に当たり2008年03月21日記事を再掲載)
それが、併合後朝鮮の統治責任者になってしまったおかげで単独犯に殺された。
そんな安のあわれさ、無念さがピッタリするように思うのですが……。
『駄作だ』、『啄木ともあろうモノが、何たること』
『秋水たちの感じたものは「悲しみ」であるとは事実誤認も甚だしい』、
『言われ無き冤罪に対する苦しみや絶対権力に対する憎悪や怨念、恨みの心以外に悲しみなどあるはずがない』
彼等の感じる『悲しみ』は、あったとしても自分の命が失われようとする刹那だけであり、主要な部分ではない。
大逆事件の明治天皇爆殺計画なんて事実無根、荒唐無稽すぎてでっち上げにしても出来が悪すぎる。
当時の幸徳秋水や社会主義者たちは天皇制に反対していた事自体は事実ですが、顔も見た事も無く声を聞いた事もない明治天皇暗殺など考え付くなど最初から前提がどだい無理なのです。
しかし、初代朝鮮統監伊藤博文暗殺犯の安重根であるなら、時間的にも1909年の事件で、石川啄木の『ココアのひと匙』に使われている言葉の一つ一つと歴史的事実の全てが符号して納得できます。
>『そんな安のあわれさ、無念さがピッタリするように思うのですが』<
正に仰られるとおりで大逆(明治天皇暗殺?)事件ではなく、日本の朝鮮併合にからむ伊藤博文暗殺事件なら、歴史や時代を超えて100年後の今でも、『唯一つの心と、言葉を奪われて』止む無く『我と我が体を敵になげつける』
テロリスト(暗殺者)になった男の、『かなしき 悲しき心』を、現在の我々関係ない一般市民であっても誰でもが素直に感じられ、同時代(1904年)の日露戦争の旅順要塞攻防戦に参加している弟を気遣った、『君死にたまふことなかれ』と同じ様な意味の有る歴史的名作中の名作です。
絶対主義天皇制の世の中で、
与謝野晶子にしても石原啄木にしても、これ程正面から時の政府の行動を批判した文学者は十分意尊敬出来ますし、彼等に直接接する事の出来た読者達は何とも羨ましい限りです。
それにしても今の名目的には何でも自由に書ける世の中であるにも拘らず、自分から勝手に『自主規制』して、権力を真正面から批判しない文芸界やマスコミなどの有様は『意気地がない』と言われても仕方がないでしょう。
石川啄木ほどの実力があっても当時の日本では文学一本ではメシは食えなかったのですね。
森鴎外や夏目漱石や有島武郎のように実家が裕福でないと文学などにうつつをぬかすと啄木の様に赤貧を我慢せざるをえない。
日本の社会全体が貧しかったのでしょうか。?それとも文学に対する社会の成熟度や文化程度が貧しかったのでしょうか。?
『地図の上 朝鮮半島に 黒々と 墨を塗りつつ 秋風を聴く』
韓国併合のニュースを聞いた石川啄木が詠んだ歌から考えれば、テロリストとは幸徳秋水たち大逆事件ではなく、伊藤博文暗殺犯である安重根であろうと推察出来ます。
日本は朝鮮に色々良い事もしたと公言する自民党要人がいるが、まったく歴史も道理も人間心理も理解出来ない困った人たちですね。
人はパン無しには生きられないが、心の拠り所となる何か(民族としての誇りとか、文学とか)がないと、パンだけでも生けられないのです。
全く顔立ちも生まれた場所も経歴も同じでも、異民族である事に無頓着では、これも広義の『人種差別』(ジェネサイト民族絶滅)であると思われます。
今では日本政府が長年行ってきた同化政策の結果、アイヌ語を母語とする人々(民族)は絶滅しています。
日本政府はアイヌ民族に対して旧土人保護法で極端な同化政策を押し進め一つの民族集団の(日本人とは異質だが高度に発達していた)文化を完全に抹殺してしまったのです。
アイヌ人にした事と、同じ事を日本は『朝鮮人』に対しても行おうと考えて居ましたが、これがどれ程野蛮で残酷な事であるかは、アメリカ政府がインデアン諸族に対して執った政策を考えてみれば自ずから理解出来ると思います。
朝鮮人の安重根の怒りや悲しみが、明治の日本人として瞬時に理解出来た石川啄木の感性は矢張り素晴らしいですね。
リメンバービンラディンの10年です。日本と同じ方法でアメリカに逆らった訳の分からないやつを叩き潰して、アメリカ人は満足かも知れませんが、うすにがき舌触りです。
アメリカ国民の中にも真実を理解している人たちは当然いるとおもいます。
アルカイダが仕返しをしてきましたなどという『テロとの戦いの延長」を企んでいるのかな?
本当の敵は誰なのか?本当の味方は誰なのか?世界の人皆で考え直すべき時ですね。
ビン・ラディンですが、同時多発テロはテロでも1998年のアフリカのケニアとタンザニアのアメリカ大使館同時爆破テロの容疑で逮捕状が出ているが、2001年の9・11事件では捜査当局の何の訴追も受けていません。
ビン・ラディン容疑者の容疑の内容はあくまで法的には『大使館爆破』の同時多発テロですよ。
9・11事件直後に当時のブッシュ政権は、『ウサマ・ビン・ラディン率いる国際テロ組織アル・カーイダの犯行である』だと断定した。
当時ビン・ラディン在住していたアフガニスタンのタリバン政権に対し身柄を引き渡す様に命令したが、タリバン政権は当たり前ですがビン・ラディンが犯人である確たる証拠の提示を求めたのです。
このタリバン政権の当然の要求を無視してアメリカは『テロとの戦争』に突入していくのですが、アメリカとしては『有罪の証拠』と言われても出したくても無い物は無い。
いくらアメリカでも『無い袖は振れない。』のですね。
アフリカ諸国の米大使館爆破では多分ビン・ラディン(アルカイダ)がやった可能性が高いが、それとは大きく様相が違う9・11の犯人であるとの確実な証拠は全く無いのですよ。
現在アメリカが示している証拠なるものですが、あれでは9・11で訴追しても有罪には出来ないでしょう。
今回の殺害ですが、嘆かわしいですね。
関東軍の張作霖曝殺の謀略事件とどれだけの違いがあるのか。あるいは無いのか。
あれはアメリカが容疑者だと言っているだけの個人を襲撃して家族や周辺の使用人まで殺害した明白な国家によるテロ行為であり、許されざる卑劣で残忍な国家犯罪(テロ)です。
アフガンでの武装勢力の武装解除に尽力した伊勢崎さんは『生きて逮捕しないと、何の意味も無い』と言い切っていますが、全く同感であり、あれは単なる『死人にクチナシ』で不都合な真実を消す為の姑息な口封じですね。
意味はほとんどありません。
意味があるとしたらですが、対テロ戦争の口実が死んだのですから、戦争継続の意味が無くなる。
7月から始まるアメリカ軍のアフガン撤兵の為の宣伝工作のひとつですね。