福島第一原子力発電所事故の核心(2011/12/15)
山口栄一同志社大学教授,ケンブリッジ大学クレアホール客員フェロー
福島第一原子力発電所事故の本質を探るという目的でFUKUSHIMAプロジェクトを立ち上げたのは、2011年4月のことだった。
賛同者から寄付金を募り、それを資金に事故の検証を進め、その結果を書籍というかたちで公表するという枠組みである。
この活動の一環として、5月には、日経エレクトロニクス5月16日号で『福島原発事故の本質 「技術経営のミス」は、なぜ起きた』と題する論文を発表し、そのダイジェスト版ともいえる記事を日経ビジネスオンラインで公開した。
ここで私が主張したのは、電源喪失後も一定時間は原子炉が「制御可能」な状況にあったこと、その時間内に海水注入の決断を下していれば引き続き原子炉は制御可能な状態に置かれ、今回のような大惨事は回避できた可能性が高いことである。
つまり、事故の本質は、天災によって原子力発電所がダメージを受けてしまったという「技術の問題」ではなく、現場の対応に不備があったという「従業員の問題」でもなく、海水注入という決断を下さなかった「技術経営の問題」だったと結論したわけだ。
その責任の所在を突き詰めるとすれば、東京電力の経営者ということになる。
そのことを主張した論文と記事が公開された直後、不可解なことが起きた。
東京電力が「津波に襲われた直後には、すでにメルトダウンを起こしていた」との「仮説」を唐突に発表したのである。
もしこれが本当だとすれば、事故の原因は「地震と津波」に帰されることになる。
その天災に耐えられない安全基準を定めたものに責任があったとしても、その忠実な履行者であれば東京電力が責任を問われることはないだろう。これは、東電にとって都合の良いシナリオである。マスメディアは、このことに気付き、その「仮説」の妥当性について厳しい検証を加えるであろうと期待した。
ところが実際には、ほとんどメディアは東電シナリオをそのまま受け入れ、むしろ「仮説」を「事実」として一般の人達に認識させるという役割を果たしてしまった。
そのころメディアは、メルトダウンという表現を避けてきた東電に対して「事故を軽微にみせようとしている」という疑いの目を向けていた。
そこへこの発表である。多くのメディアがそれを「ついに隠しきれなくなって、本当のことを言い始めた」結果と解釈してしまったことは、想像に難くない。
『そして制御不能に』
改めて、事故について振り返ってみたい。
2011年3月12日、東電が経営する原子力発電所(原発)の一つ、福島第一原発の1号機では15時36分に水素爆発が起き、19時04分に「海水注入」が始まっていた。
しかし2号機とプルサーマル炉の3号機は、全交流電源を喪失したにもかかわらず「隔離時冷却系」RCIC(正確には原子炉隔離時冷却系)が稼働しており、「制御可能」な状態(原子炉の燃料棒がすべて水に浸った状態)にあった。この段階でこの日の夜、東電の経営者(清水正孝社長、勝俣恒久会長、武藤栄原子力・立地本部長 副社長)が経営者として「2号機と3号機に海水を注入する」との意思決定を下していたら、この2つの原子炉がアンコントローラブル(制御不能)になることはなかったはずだ。
ところが実際には、その日の夜、「海水注入」の決定はなされなかった。
そして、翌日日曜日の5時までに3号機は「制御不能」の状態(原子炉の燃料棒の一部が水に浸っておらずそこが空焚きになる状態)に陥ったのである。
炉心溶融が起きてしまい、そのあとの8時41分にベントを開いたので高濃度の放射性セシウムやヨウ素などが撒き散らされて、福島第一原発の30キロ圏内と福島県飯舘村などから10万人以上の人々が故郷を追われた。(3号機のベント開放による放射能飛散量は、1号機の約1・7倍だったと考えられる。結局、3号機で「海水注入」がなされたのは、翌日日曜日の9時25分であった。遅きに失したといえるだろう)
12日の夜までにベントを開放していれば、3号機からの放射線被害は防げたはずなのに。
しかし、その時点でも、2号機はまだ「制御可能」の状態にあった。にもかかわらず、東電の経営者は2号機に「海水注入」するとの意思決定をしなかった。
翌々日の14日月曜日13時22分、2号機の「隔離時冷却系」(RCIC)が機能を停止する。
そして、当然のごとく2号機は17時ころ「制御不能」の次元に陥って空焚きになった。
それでも「海水注入」はされない。
2号機に「海水注入」がなされたのは、19時54分のことだった。
『謎解きの発端』
原発事故が起きてから、マスメディアは一貫して、原子力という技術そのものを非難した。
「原子力で出てくる放射性廃棄物が放射能を失うのは数万年かかる。自分で出した排泄物を処理できない技術は実用に供するべきではない」
「地震大国の日本に54基もの原子炉をつくったのがまちがいだ」
「平安時代前期(869年)に貞観地震と呼ばれる大地震が来て、今回とほぼ同じ規模の津波が同じ場所を襲ったのだから、想定外ではなかったはずだ」
どれもその通りである。
ただ、その正論の陰に何か重大なことがかくれていた。
なぜ、かくれおおせたか。
これらの報道の根底には一貫して暗黙の前提があったからであろう。
それは「津波の到来で全交流電源が喪失して、ただちに3機の原子炉は『制御不能』になった」という前提である。
しかし、この前提が本当に正しいという証明は、いまだにされていない。
あくまで「仮説」なのである。
さらに東電は、さまざまな場面で「津波は想定外だった」と繰り返した。
しかし、原子炉の設計エンジニアにとってもそれは「想定外」のことだったかどうか、そこは疑問だ。
筆者は、多くのエンジニアの方と接し、本来、彼らは「想定外」を嫌う人々なのではないかとの思いを抱き続けてきた。
「原子炉は絶対に安全だから、その安全を疑ってはならない」という会社の方針自体は「非科学的」である。
そうであれば、あればこそ「想定外」のことが起きてもきちんと作動する「最後の砦」を設けなければならない。
エンジニアであれば、そう考えるのが当然なのではないかと考えたのである。
その想像が当たっていたことを知ったのは、3月29日のことだった。
「最後の砦」が実はすべての原子炉に設置されていたのである。
それは、たとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働しつづけて炉心を冷やす装置であって、1号機では「非常用復水器」IC(正確には「隔離時復水器)、2~3号機では前述のように「隔離時冷却系」(RCIC)という。「非常用復水器」の進化形だ。
前者の「非常用復水器」(IC)は、電源なしで約8時間、炉心を冷やし続けるよう設計されていた。
後者の「隔離時冷却系」(RCIC)は、直流電源で炉心を20時間以上冷やし続ける。
「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させるのは当然である。
それをしなければ、原子炉は「制御不能」になるのは自明のことだからである。
そして、「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」に保っている間に、なるべく早く対策を講じなければならない。
冷やし続けられなくなれば、原子炉は「生死の境界」(注)を越えて熱暴走し、「制御不能」になってしまう。
(注)
「制御可能」(原子炉の炉心がすべて水に浸った状態)と「制御不能」(原子炉の炉心の一部が水に浸っていずそこが空焚きになる状態)の境界。
「最後の砦」が止まってからその境界に至るまでおよそ4時間の猶予がある。
いったん原子炉が「制御不能」の次元に陥れば、「制御可能」に引き戻すことは「人知」ではできない。
その境界の内側(「生」の側)を「物理限界の内側」、外側(「死」の側)を「物理限界の外側」と呼ぶことにする。
ただ、地震で外部からの電源がすべて絶たれた状況では、その復旧が数時間でなされるということに大きな期待を抱くわけにはいかない。
現実的には、敷地のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り替えるしかないだろう。
簡単な理屈である。けれども、それは実行されなかった。なぜなのか。
2つの可能性があると思う。
1つ。「最後の砦」は結局のところ動かなかった。
(1号機の非常用復水器については、2系統のうち1系統はほとんど動いていず、もう1系統も断続的に停止していたことが後に分かった。
もう1つ。東電の経営者が意図的に「海水注入」を避けようとした。理由はある。海水を入れれば、その原子炉は廃炉となり、経済的に大きな損失を被ることになるのだ。)
あるいは動いている最中にどこかに穴が開いて水が抜けてしまい、努力むなしく原子炉は暴走した。
「原発を終わらせる」1)で、田中三彦は「1号機においては、地震発生直後に、なにがしかの原子炉系配管で小規模ないし中規模の冷却材喪失事故が起きた可能性がきわめて高い」と結論していて、「技術自体の欠陥」により地震直後から冷却水が漏れぬけたのではないかと推測している。
これらが疑いなく証明されるならば、第1の可能性が正しいということになる。
(参考資料)石橋克彦編「原発を終わらせる」 (岩波新書2011年7月)
筆者は、どちらの可能性が真実かを見るために、事故後の公開データを調べ上げ、原子炉の水位と原子炉内の圧力との経時変化をプロットしてみた。
その結果、1号機の「非常用復水器」については設計通り8時間のあいだ稼働していたこと、3号機の「隔離時冷却系」については20時間以上のあいだ稼働していたこと、さらに2号機の「隔離時冷却系」については70時間のあいだ稼働していたことを確信した。
先に紹介した記事で、そのことを主張している。
記事の公開日は5月13日金曜日。繰り返しになるが、その主張は第2の可能性を支持するもので、要点は以下の通りだ。
3つの原子炉とも「最後の砦」は動いて原子炉の炉心を冷やし続けた。
ところが、原子炉が「制御可能」であったときに「海水注入」の意思決定はなされなかった。
よって東電の経営者の「技術経営」に、重大な注意義務違反が認められる。
(参考資料)
5)山口栄一「福島原発事故の本質-「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか-」, 日経エレクトロニクス 2011/05/16号 pp. 82-89
6)山口栄一「見逃されている原発事故の本質―東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか」 (日経ビジネスオンライン 2011/05/13)
『5月15日の豹変』
この記事公開を受け、驚くべき反応が二つあった。一つは、先に述べた東電の発表である。記事が公開された2日後の5月15日日曜日、東電は、緊急記者発表7)を行なった。あらましは、次の通りである。
1号機について、運転員が計測した原子炉水位データはまちがっていて、実際には原子炉水位は維持できていなかった。
しかも、11日15時30分ころの津波到着以降、非常用復水器系の機能は一部喪失していた。
常用復水器の機能が完全に喪失していたと仮定して解析したところ、原子炉の水位は、1日18時に燃料棒の頭頂部に到達し、19時半ころに燃料棒の底部に到達して空焚きになったとの結論を得た。
また炉心溶融は11日19時半には始まったとの結論も得た。
それは、別に「反応」ではなかったのかもしれない。記事公開とはまったく無関係に、たまたまその3日後に記者発表会を開いただけ、という可能性は大いにある。
そうだとしても、異様な記者発表だった。
運転員が計測した原子炉水位データがなぜまちがっていたのか。
それについては何も述べられなかった。ただ「原子炉水位は維持できていなかった」と語るばかりだ。
しかも、実は1号機の2つの非常用復水器のうち1つは断続的ながら動いていた。
稼働の詳細を東電は知っていたはずで、後日、非常用復水器の実際の稼働に合わせた解析結果も公表している。
そうであれば、なぜその事実に近い解析結果の方を発表しなかったのか。実に奇妙である。
こう勘ぐってみたくなる。
「これまで原発は安全だと主張し、事故後もそれを言い続けてきた」ものの、経営責任を問う論説が現われたので、「原発は、地震と津波で暴走するほど危険なものだ」と解釈されることもやむなしとし、「1号機についてはすぐに『制御不能』に陥ったので、事故は経営者の意思決定の不行使のせいではない」と主張し始めた。
もしそうであれば、この記者発表は東電の東電都合による「シナリオの書き換え」であり、その目的は「経営責任の回避」である。
この東電の「豹変」に呼応するかのように、翌日からマスメディアは、東電を叩き始める。曰く「東電は、メルトダウンを隠していた」と。
こうして「海水注入」の不行使が「過失」の刑事罰に当たるのではないかという法的追及は、「メルトダウンの隠ぺい」という「マスコミの情緒的反応」の陰にかくれることができた。
少なくとも、私はそう解釈してきた。
さらに6月6日、保安院は、独自の解析結果を発表する。
彼らは、東電の主張通り「原子炉水位計は誤った値を示していた」と仮定するとともに、「津波到達後は、非常用復水器は作動を完全に停止した」ということを仮定した。その上で、「11日16時40分ころには、水位は燃料棒の頭頂部に到達し18時ころには炉心損傷がはじまった」と解析結果を発表し、東電の解析より1時間半も早く炉心溶融は起きた可能性が高いと報告した。
この解析以後、「運転員が計測したデータ自体がまちがっており、実際には原子炉水位は維持できていなかった」という東電の説明を疑う第三者は、私の知る限り現れていない。
東電の経営者の不行使の「過失」責任を問う報道についても、同様にまったく目にしていない。
『日比野靖氏の証言』
もう一つの反応は、旧知の日比野靖氏からである。
日比野氏は現在、北陸先端科学技術大学院大学の副学長を務めている。
菅総理大臣(当時、以下同)の大学時代の「同志」であって、菅がもっとも信頼を寄せていた友人であった。
こうした経緯もあって菅総理は、2011年2月の終わりころ、日比野に内閣官房参与を依頼する。
日比野氏は、2011年3月20日より参与に就任して科学技術行政を補佐することを菅に約束していた。
そこに震災と原発事故が起きた。
3月12日、参与就任前だった日比野氏は菅総理に「一友人として」官邸に呼ばれ、3月13日にさまざまな助言を行なった。
以下は、日比野氏から届いた私信である
貴殿の福島原発事故の原因に関するご見解(著者注:前出の日経エレクトロニクスの論文と日経ビジネスオンラインの記事を指している)、まさにその通りだと思っております。
その中で、1号炉の隔離時復水器、2~3号炉の隔離時冷却系の存在を指摘されておられます。
実は、小生、縁あって、菅直人元総理の、内閣官房参与を3月20日より務めましたが、それ以前に、事故の翌日3月12日の夜、官邸に呼ばれ、緊迫した状況の中で翌日3月13日昼まで過ごしました。
そのとき、1号炉は既にベントも海水注入も実行されていたのですが、水素爆発をした後でした。
菅元総理は、2~3号炉も1号炉を同じ経過をたどるであろうことを直感し、先手を打つことを、東電、保安院、安全委員会に何度も指示していたのですが、これらの専門家たちは、隔離時冷却系が動作しているからという理由で、ベントや海水注入に踏みきりませんでした。
菅元総理は、隔離時冷却系が動いているからといっても、熱が外部に放出されるわけではないので、温度と圧力は時間をともに上昇するはずだ。
早くベントと海水注入をするべきだと強く主張していました。
小生も、東電、保安院、安全委員会のメンバーに、早くベントと海水注入をして冷却を進めるべきだと思ったので、隔離時冷却系が停止するまで待つ理由を東電、保安院、安全委員会のメンバーに質問しています。
回答はつぎのようなものでした。
『できるだけ温度と圧力が十分上がってからベントした方が、放出できるエネルギーが大きい。一度しかできないので、最も効果的なタイミングで行う。』
そのときは、小生、熱力学の知識が不十分だったので、納得して引き下がってしまいました。
翌3月13日は、3号炉は隔離時冷却系が停止し危機的状況をむかえてしまいました。
しかし、大学に戻り、少し調べてみると、水は沸点を超えるとき大量の潜熱を吸収するが、それより高温の水蒸気の熱吸収は、水をわずかに超える程度であり、特に臨圧21気圧を超えて水蒸気は、水と同じ性質であるとのことを知りました。
やはり、早くベントし海水注入をするべきだったのです。
2号炉はまだ間に合う。ただちに、菅元総理に電話で進言しています。
この進言、2号炉の隔離時冷却系停止には間に合いませんでした。
小生の長い間の疑問は、隔離時復水器、隔離時冷却系が動作している間に、なぜ、ベントと海水注入をしなかったのかということでした。
この疑問は、貴殿のご指摘で、完全に解けました。
東電の「過失」が証明される内容を含む、重要な証言である。
『イノベーション不要という病』
再び問いたい。なぜ東電は、このような事故を引き起こしたのだろうか。
直接的には「廃炉による巨大な経済的損失を惜しんだ」ということになるのかもしれない。けれども問題の本質は、重大な局面で、そのような発想に陥ってしまったということであろう。
その根源は、東電が「イノベーションの要らない会社」だからではないかと思う。
熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないかぎり生き抜いていけない。
一方、東電は独占企業であって、イノベーションの必要性はほとんどない。
こうした状況下で人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得ないだろう。
「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときに如何に被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リスクに近寄らない能力」ということになってしまいがちだ。
その雰囲気が、人から創造力や想像力を奪う。
人が創造力や想像力を存分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占環境をなくして競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることしかないだろう。
東電の場合、発電会社・送電会社・配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。
そして損害賠償会社は、この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだということを深く自覚し、みずからの「技術経営」の失敗を国民につけ回しすることなく最後まで、自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ。
その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「知」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。
それが達成されないのであれば、独占企業に原発の経営は無理だ。
実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも2つの原子炉を「制御不能」にもちこんでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。
みずからが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。
さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪深い。
これは日比野氏の指摘によるものだが、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。
これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順であり、何の対策にもなっていない。
この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。
これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。
この国の原子力経営システムの闇は深い。
この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。
電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。
しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現われた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。
私の偏見では、次のものがそろっているときは注意が必要と思っています。
1)肩書き
2)権威とのつながり
3)響きのよい言葉
例:論文、技術経営、ブレークスルー、知の越境、枠組み
4)当事者感のなさ、上から目線
日系ビジネスオンラインで既読でしたが、何度読んでも腹立たしい文面です。
(2011年10月25日現在の目次予定)
第1章 2011年3月11日から5月15日まで
1・1 東電原発事故は、どのように起こったのか
1・2 1号機は、どのように制御不能になったのか
1・3 2号機と3号機は、どのように制御不能になったのか
1・4 5月15日の豹変
1・5 何をあきらかにすべきか
第2章 2011年3月11日まで
2・1 事故を防げなかった国の安全規制
2・2 すべて想定されていた
2・3 国策民営体制では責任の所在が不明確
第3章 2011年5月15日以降
3・1 事故収束までの展望
3・2 事故対策の検証
3・3 東電、保安院、政府の対応の問題
3・4 被害者賠償スキーム
3・5 ジャーナリズムは何をし、何をしなかったか
第4章 放射能被害
第5章 風評被害を考える
5・1 風評の恐ろしさ
5・2 各種メディアの取り上げ方
5・3 打ち手としての試み
5・4 検証屋機能のトライアル
5・5 別の可視化装置
5・6 総論としての日本論
別掲 「言語の壁」
別掲 「『恥辱の壁』に寄せられた『怪しい報道』の事例」
別掲 「ソーシャルメディアの威力──外国人ジャーナリストの経験」
第6章 ヨーロッパから見たFUKUSHIMA 3.11
第7章 日本の原子力政策が目指してきたもの
7・1 高速増殖炉の実現が半世紀を超える政策目標
7・2 核兵器製造のポテンシャルを保持する
7・3 エネルギー自給に固執
別掲 「濃縮、再処理、増殖」
別掲 「再処理をめぐる攻防と政策のゆらぎ」
別掲 「韓国・台湾における使用済み核燃料の処理」
第8章 原発が地域にもたらしたもの
8・1 4層のコロニアル構造
8・2 原子力は雇用増と所得増をもたらす
8・3 原発依存症──原発なしには、たち行かなくなる経済
8・4 原発立地──近年は既設発電所内の増設が主流
8・5 「3.11」以後の原発立地地域
第9章 原子力発電のコストと電力料金
第10章 原発普及の今後
第11章 そしてこれから
付録
A・1 原子核エネルギー
A・2 原子力発電のしくみ
A・3 沸騰水型原子炉
A・4 使用済み核燃料と放射性廃棄物
A・5 高速増殖炉
A・6 プルサーマル
A・7 過去に起きた重大事故
東電という会社の体質、つくづく(<-ここを太字で!)再認識させられました。
この記事ですが、普通なら引用した既存の当該記事以外に、自分自身の考えた言葉も付け加えるのですが、今回はしていません。
山口栄一同志社大学教授の論調に何か、しっくりしない部分があり、自分自身ですんなりとは納得出来ないのです。
だから何も、自分の意見を1行も書き加えなかった。
『何度読んでも腹立たしい文面です。』との今回のピエールさんのお気持ちですが、これは実に良くわかります。
この山口教授の論調の何処が気に入らないのか、と考えてみたのですが、この皆さんに『資料』として提示した山口氏の、『福島第一原子力発電所事故の核心(2011/12/15)』
は政府保安院や東電の発表した公式な資料のみを根拠(正しいとの前提で)とした作成されているのですよ。
だから読んで、何となく不愉快なのです。
何故なら、今では政府保安院や東電の嘘は数知れ無い程明らかにされているのですよ。前提となる公式報告書の記述が『正しくない』可能性が高いのです。
ですから、その責任逃れの為の真っ赤な嘘の公式報告書を唯一の論拠として作成されている山口教授の論調に違和感を感じて、ピエールさんが今回『信用なら無い』と不信感を持つのは当然な話ですね。
ただ、その東電のインチキ臭い資料からでも、東電幹部の犯罪的な杜撰で無責任な管理責任は明らかである事実は、矢張り大事ですね。
たぶん余りに酷いので、隠蔽しようにも隠しようが無いのですよ。
早急な司法による強制捜査が一日も早く待ち望まれます。
この山口栄一同志社大学教授,ケンブリッジ大学クレアホール客員フェローですが、この記事にもあるように、
事故当時の菅総理大臣の大学時代の仲間で、内閣官房参与として科学技術行政として菅を補佐していた、日比野靖北陸先端科学技術大学院大学副学長の友人なのです。
事故後に脱原発に走った管首相など内閣府と、あくまで原発推進を崩さない経済産業省保安院と東電連合のと仁義無き戦いの可能性が高いのですよ。
全面的に信頼するのは可也危険があるが、ただこれが東電+保安院と管直人の争いなら、五十歩百歩の些細な争いと見るのではなくて、1歩と百歩の可也大きな違いの争いなのですね。
海水注入をメルトダウンの大問題であるとの論調ですが、丸々真実であると記事を信じたら大失敗しそうであるが、一つの参考として考える価値は十分にあるでしょう。
この山口教授の記事ですが、海水注入の顛末部分だけは実に正確に再現しているのではないでしょうか。
ただ、マスコミが大騒ぎした海水注入とかベントとかは、実は些細な事柄かも知れないのですよ。
その時点では既に手遅れだった可能性が高いのです。
政府も東電も同じように、地震ではなくて津波が原因で炉心溶融したとの筋書きを主張しているのですが、津波到達以前の地震の揺れで老朽した1号基の配管が壊れて冷却水が大量流失していた可能性の方が一番高いのですね。
この山口論文でも、配管からの漏洩の事実は指摘しているのに、途中から何故か海水注入の話に摩り替わっている。
一種の手品ですね。
この山口教授の手品に良く似ているのが、NHKスペシャルの1号基のメルトダウンの検証番組です。
津波到着と地震では、半時間以上の時間差がある。
12月6日朝日新聞によるとベント配管が地震で破損していた事実が東電社員が保安院に説明しています。
12月15日には保安院が、東京電力福島第一原発1号機の原子炉系配管に事故時、地震の揺れによって〇・三平方センチの亀裂が入った可能性が指摘される。
地震発生後、1号機では、非常時に原子炉を冷やす「非常用復水器(IC)」が同五十二分に自動起動。運転員の判断で手動停止するまでの十一分間で、原子炉内の圧力と水位が急降下している。
原子力安全基盤機構は12月上旬、この圧力と水位の急降下は、〇・三平方センチの配管亀裂で、一時間当たり七トンもの水が漏洩したのではないかと考えています。
津波到着以前似、原子炉はダダ漏れ状態だった。
12月18日のNHKスペシャルでは東電や政府の意向で、意識的に地震による老朽原発の配管の断裂が過小評価か無視しているようですよ。
『津波だけ』に事故原因を限定しているのは、これは大問題でしょう。
NHKスペシャルでは、津波以前の、地震による損傷についての情報を無視する。復水器と温度計の話に限定していた。
この番組は胡散臭くて18日のNHKスペシャルだけでなくそれ以外もNHKの原発報道は胡散臭い政府や東電のプロパガンダの部分が大きい。
実は前回の放送番組の中では、何と原発敷地内の海側に『10メートルの堤防』なるアホ臭いナレーションと、御丁寧にもそのイラストまで描いていたのですよ。
馬鹿馬鹿しい、真っ赤な嘘ですよ。
福島の原発敷地は平で、10メートルどころか防潮堤などの何らかの出っ張った設備がまったく無いのは誰でもが知っている。
ところが東電が10メートルの堤防と15メートルの大津波との虚構を大宣伝、何と日本政府からIAEAへの報告書にまで記載する始末。
それにしても前回放送のイラストは世論誘導としても酷すぎる恥知らずな創作ですね。ペテン師ですよ。