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『全員が、一夜で変わる日本のメディア』何とも不気味
今回、日本政府は2019年11月23日のローマ・カトリックの最高指導者フランシスコ法王(教皇)の38年ぶりの来日に合わせ、11月20日に「ローマ法王」の呼称を政府として『ローマ教皇』に変えたらテレビや新聞などメディアも全員が横並びで追従する。
何故かNHKニュースだけは11月20日以後にも「ローマ法王」フランシスコの呼称を使うが、直ぐに民間放送にならって『教皇』に統一している。(★注、過去の例では、新聞や民間放送などマスメディアの全員『イラクのサマワ』と呼んでもNHKは一人だけ『サマーワ』で押し通していた。ところが今回は即座に反応する)
『日本の一般市民が77年間も長年使い続けていた「ローマ法王」の名称が、』
日本陸軍のマレー半島上陸、日本海軍の真珠湾奇襲攻撃で始まって第二次世界大戦参戦翌年の1942年(昭和17)大日本帝国とバチカン市国とが外交関係樹立した。(★注、もちろん当時のイタリア本国はファシスト党のムッソリーニが支配していた)
77年前当時の日本外務省の公文書では『ローマ法王』と書かれていたし、東京・千代田区のバチカン大使館の表札も『ローマ法王庁大使館』だったのである。以来77年間日本のマスコミは『ローマ法王』の呼称を使い続けていた。
ところが38年前の1981年(昭和56)2月にローマ法王「ヨハネ・パウロ2世」が初めて来日、この時カトリック協議会が、これまでの仏教的な『法王』の表記を、正しく『ローマ教皇』に変えると決定するが、日本国内で長年使い続けて、慣れ親しんだ『法王』の言葉はマスコミも一般市民も簡単には変わらない。
ところが、今回は一夜で全員が変えている『玉音放送』なのですから何とも不気味である。(★注、この77年間とは1868年から1945年まで続いた『大日本帝国』と同じ長さだった)
『日本的な「ローマ法王」よりもっと差し障りが有る「聖母マリア」の日本人向けの呼称の問題点』
カトリックに限らず日本のキリスト教会では普通に使われている『聖母マリア』の名称ですが、キリスト教の教義上では『処女マリア』(あるいは聖女マリア)が正しいと宗教学者の島田 裕巳が指摘しています。(処女なのにイエスキリストを生んだと言う『奇跡の存在』こそがキリスト教の根本教義)
日本にキリスト教を伝えたイエズス会のザビエルはローマカトリックでは『聖人』として崇められているが、実は『聖人』の資格とは『奇跡を起こした』ことが証明されることなのです。(いくら立派な聖職者でも『奇跡』を起こさないと聖人にはなれない)
『原因と結果は一体構造である』とか、『因果応報』、『すべての物事は関連している』と考える仏教とは対極的なのが、原因と無関係な『結果』(奇跡)の存在を、教義の根本にすえる宗教がキリスト教で、この部分が『科学』と正面からぶつかるのである。(ただし、処女が子供を生む胡散臭いインチキ話は日本人は誰も信じない。仕方が無いので、『処女マリア』を日本だけは『聖母マリア』に変えて布教したらしい)
『人為的CO2地球温暖化説に対して熱心なキリスト教(ローマ教皇フランシスコ)』
どうしても原発事故が避けられないとして、原発再稼動に反対するローマ法王。(★注、メディアの多くが法王を使用していた時は教皇と書いていたが、11月20日に政府が教皇に統一したので、今後は日本で77年間も使っていたローマ法王にします)
ところがキリスト教では、原子力ムラがチェルノブイリ原発事故で斜陽産業になった原発を救う目的でイギリスなどが始めたらしいインチキ臭い非科学的な人為的地球温暖化説には最も積極的なのである。(欧米と日本では温暖化や同性婚の動員力に二桁か三桁の差が有る)
『道徳的ではあるが、非科学的な地球温暖化説カルト』
46億年の地球の歴史から見れば産業革命以後の150年程度の時間など、ほぼ無視しても良いほどの一瞬で、地球温暖化なら超最短でも1000年から1万年単位の時間軸で考える必要があるが、それなら氷河期のど真ん中で、間違いなく地球は寒冷化している。(キリスト教の聖書では4000年ほど前にゴッドが地球を作ったので、近代科学的な知見『氷河期』の考えが丸々欠落しているのだろうか?)
数千万年前、地球が今よりも温暖で遥かに炭酸ガス濃度が高かった時代に出来た石油石炭(動物や植物の死骸の化石なので再生産は不可能。1回使ったら終り)の使用の抑制は、非常に道徳的ではあるでしょう。
『インターネット世界に蔓延する、不思議な隠れキリシタン』
日本の嫌韓嫌中の歴史修正主義が花盛りで、総選挙の投票総数から考えられる創価学会(公明党)系のブログ記事がネット内では見つからない。(対照的にネット内では反創価学会の記事ならいくらでも存在する)
同じく圧倒的に総数が少ないのが共産党系である。(これは共産党員が赤旗記事以外の主張が書きにくい『プレッシャー』を意識するかららしいのですから困った話だ)赤旗記事の丸写し的な陳腐な記事は誰も読みたくない。(赤旗の紹介程度の中身では読み手も書き手も、双方が意欲を失う)
明らかに他と違い独創的な発想のネット記事ですが、よく読み返してみると、その多くが実はキリスト教的世界観。(鳩山由紀夫元首相のように、妙に『科学的』『論理的』であるばかりか、道徳的でもある。しかも突然キリスト教的『カルト』にも変身するのですから恐ろしい)日本のキリスト教信者は1%以下だがネット世界に限れば逆に『隠れキリシタン』が多数派?らしいのですから不思議。
今までの記者クラブ所属の政治部記者が絶対に行わなかった菅官房長官への厳しい質問で一躍注目された東京新聞社会部の望月衣塑子記者に対して有識者のみんなが大絶賛した。
ところが池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』に出て来る『急ぎ働き』だと批判していたのが、「日本会議の研究」の菅野 完である。(この『急ぎ働き』とは、周到に盗みの準備をすることなく手短に強盗殺人などで金品を奪う凶悪犯のこと)
同じように映画『新聞記者』に対して、『記者が報道では無くて、自分自身が主人役を演じている』(掟破りだ。報道人として道を踏み外している)と、何回も口を極めて非難していたのが元朝日新聞記者でフリージャーナリストの烏賀陽 弘道だった。 仁義に悖ると言うか、掟破りと言うか、縄張りをあらされたと言うか、・・・
望月衣塑子記者に対して、内容そのものでは無くて、態度、振る舞いに怒ってるらしいのですが、何とも困った話である。と思っていたら、実は『隠れキリシタン』が原因しているらしのです。
自分が人生で一番大切な言葉は何かと問われ「良心」と答えようとしてふと困った。この言葉ほど現代日本人に理解されない言葉はないからだ。
なぜなら「良心」とはconscience の訳語であり「神の定める正しい行いを心に留めている」というキリスト教の社会文化を背負った言葉だから。キリスト教のいう正しい行いを文化基盤に持たない日本文化にはこれが理解できない。
キリスト教の神は24時間365日あなたの行いを見ている。神に嘘をつくことはできない。したがって神の知る真実(the truth)を人間が修正することはできない。その真実に忠実に、嘘をつかない、正直であることが良心の一つの条件である
しかし日本文化はこれを共有しない。何が正しい行いかは周囲の人間によって変動する。したがって何が「真実」なのかも人間の認識によって変動する。故に日本人は組織や集団のオキテによって真実に反することを言う、するということが往々にして起きる。
故に、私は現代日本人で良心を実践できている人はほとんどいないと考えている。
『遍在と偏在。一字違いで大違い』字面は似ているのに意味はほぼ正反対
欧米社会で日本人が『信じる宗教は何ですか。?』と聞かれた場合に、うっかりと『無宗教』だと答えると、道徳が無い極悪人か、其れとも善悪が理解出来ない動物など『鬼畜』の何れか、あるいは両方と思われるので『私は仏教徒です』と答えるのが正しいと言われている。(★注、山川草木すべてに、それぞれ神が宿る日本的『神道』の考えは、『普遍的唯一神が遍在する』との一神教徒には理解不能と言うか、そもそも最初から理解する気持ちが無い)
危なすぎるキリスト教信者の本音!『到底笑えない、悪い冗談』
『良心を持っているのはキリスト教徒だけ』(キリスト教徒以外は全員、良心がない悪党で、何が「真実」か知らない愚か者)との驚きの内容の、この元朝日新聞記者のフリージャーナリストの烏賀陽 弘道の10月27日ツイッターですが、笑えないブラックジョークとか何かの比喩の類でないとしたら、キリスト教とは間違いなく(ISIS 『イスラム国』と同じ)危険な破壊的カルトそのもの。 (前後の文脈からみて、ジョークでは無くて丸々本気らしい)
★注、
ネット世界では大勢いるキリスト教徒の不思議ですが、ほぼ全員が江戸時代の『隠れキリシタン』状態で、なぜか、自分がキリスト教徒で有る事実を必死で隠してるのである。(ネットでヨハネがどうのこうの、パウロが如何と書いてくれれば誰でも気が付くが、共産党員以上に自分の立場を隠す特徴がある)
確かに、10月27日烏賀陽 弘道ツイッターなら、読んだ全員が100%ドン引きする。これではキリスト教信者とISIS(イスラム国)との違いが無い。一卵性双生児のようにその発想がそっくり。瓜二つなのである。
そもそも、アブラハム一神教のユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、基本的に『同一宗教』であり、仏教の真言宗と浄土真宗と日蓮宗など『宗派の違い』程度だった。
特にユダヤ教とキリスト教は、まったくの同一宗教で、違いはイエスキリストを認めるか認めないかの違いで2000年間も争うが、日本人的に見れば、これは池田大作を認めるか認めないかで檀家の創価学会と宗門の日蓮正宗が延々と飽きることなく30年間も行っている、なんとも見苦しい罵倒合戦と同じ仕組み。(★注、狂信者たちには大問題かも知れないが、対照的に、我々の様な部外者にとっては理解不能の馬鹿馬鹿しい話)
呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍工廠砲煩実験部から撮影されたヒロシマ原爆
『バチカンが核兵器使用の全面禁止に転換したのは2017年から、』
スペイン内戦で左翼の人民政府を倒したナチスドイツやフランコ総統とバチカン(教皇庁)が暗黙の共闘をしていたように、大日本帝国との国交樹立ではイタリアのムッソリーニのファシスト政権と二人三脚で行動し、第二次世界大戦修了後の冷戦中にはバチカンは『アメリカ軍の抑止力としての核兵器』との陳腐な口実で保有と使用を容認した。このように、バチカンは常にその時々の一番危険な『権力』と一体で行動するところだけが一貫していたのである。(★注、宗教が平和勢力との日本人的な解釈は欺瞞で、1494年スペインとポルトガルの間で世界を2分割するとのトルデシリャス条約はローマ法王アレクサンデル6世の仲介で結ばれている)
『核抑止力』(核兵器による全面報復)をバチカンが『悪』とた否定したのは2年前のフランシスコ法王(2017年)からで、それまでのヨハネ・パウロ2世やベネディクト16世などの歴代ローマ法王は『必要悪』としてアメリカやNATOの核兵器の使用を容認していたのである。
北ベトナムに北から入って取材する。
中国に政府関係者と一緒に取材する。
アメリカ合衆国を当時問題とされた人種構成で旅をする。
等々批判しました、そこで本多勝一から、ではほかにどのような方法で取材すればよかったのですか、と聞かれ彼は答えることができなかった。
自称ジャーナリストの彼は、取材は掟に沿ってやるものであり、掟破りをしてはならないらしい。
『カトリックに限らず日本の教会では普通に使われている「聖母マリア」の名称。』
奇跡の有無に拘わらず、プロテスタントではマリア崇敬はしていない。
それはキリスト教信者だけが興味がある話で、それ以外の日本人全般には何の関心もない。
マリアが処女で有るとの、すべてのキリスト教の教団が全員持っ『根本教義』である、その事実こそが大問題だと書いた心算なんですがね~。
私の文章が悪いのか、それとも読解力に問題が有るのか。
キリスト教の教義が,科学を否定していることは明らか。修行して空を飛べるとの馬鹿馬鹿しいオウム真理教と同じなのです。オウムのように口先で誤魔化せるものではない。
いくら修行しても空を飛べないし、イエスキリストの母親のマリアは処女では無い。単なる真っ赤な嘘なのですよ。そして麻原が空を飛ぶ話やマリアが処女でないと、根本教義が成り立たなくなるのです。
しかし、
同じように、信者以外の部外者にとっては、法王でも教皇でもまったく同じ。問題とするのは当事者だけ。
38年前の1981年(昭和56)2月にローマ法王「ヨハネ・パウロ2世」が初めて来日、この時カトリック協議会が、これまでの仏教的な『法王』の表記を、正しく『ローマ教皇』に変えると決定。強行に主張する。
ところが、日本国内で長年使い続けて、慣れ親しんだ『法王』の言葉はマスコミも一般市民も簡単には変わらない。
法王でも教皇でもまったく同じ。そんな些細な違いなど、信者だけが興味がある話。他人には鬱陶しいだけ。
例 メンデル(聖アウグスチノ修道会の修道士)
著名な科学者が熱心なキリスト教徒だと公言することも多い。
例 ハイゼンベルク、ディラック、アインシュタイン
ダンテの神曲でも、『異教徒は地獄行き』と描写されていたのを思い出しました。
なお、多くの『無宗教の日本人』に『おてんとうさまが見ている(いいことも悪いことも天はすべてお見通し)』の話をすると納得する人が多いように、『無宗教の日本人』は『物質主義とは限らない』のですよね。
※共産主義が完全な無宗教かつ、完全な物質主義であるのと大きく違うようです。
後天的に獲得した性質が遺伝されるというルイセンコの学説は努力すれば必ず報われるという共産主義国家には都合のよい理論だった。
スターリンはこれを強く支持した。
ルイセンコ学説に反対する生物学者は処刑されたり、強制収容所に送られるなど粛清されていった。
ソ連の農業生産は著しい被害を蒙り、分子生物学や遺伝子工学などの分野は世界から立ち遅れるようになる。
DNAの構造や機能が解明されていくにつれ、ソ連においてもルイセンコ学説の支持者はいなくなった。
共産主義は完全な無宗教かつ完全な物質主義であるのとは限らず、それなりに宗教性を帯びている。
厳密に言えばそうなのですが、ここで問題にしたいのは日本ではあまり問題にならない無宗教や物質至上主義が欧米では大きな問題になるという話です。
日本では大きな災害の後でも海外と違い、『暴動や略奪がほぼ起こらない』のは無宗教でも『おてんとうさまが見ている』価値観がほぼいきわたっているためで、海外での無宗教や物質至上主義はたやすく『モラル崩壊』につながるのです。
共産主義では基本、宗教を否定しているため、モラル崩壊が起こりやすくなるのです。(物質至上主義もモラル崩壊を促します。)
※ソ連や中国、カンボジアなどで数百万人から数千万人が粛清という名の虐殺があったのはもちろんそのことと無関係ではないでしょう。
なお、『良心を持っているのはキリスト教徒だけ』という恐るべき『選民思想』もたやすく虐殺を生み出すので、欧米諸国の大航海時代以降の過酷過ぎる植民地政策は『選民思想の恐ろしさ』を如実に表していると思えます。
私がもし、南米で聖職者だったら、まず、その圧倒的な社会不正義を前に煩悶し、これは上からの施しでは解決しない、必要なのは施しではなく、貧困が生まれない社会への改革だと悟る。
聖職者の一部が解放の神学に走ったのは、彼らが自らの良心に忠実だったからに他ならないと思う。
教皇フランシスコは、アルゼンチン管区長時代に、左派の影響を受けているとして、解放の神学賛同者を軍政府に密告、賛同者2名が拷問を受ける事件が起きている。
クリスチャンが全員無条件で良心を持っているなら、ISなんかあるわけない。ボリビアの住民の半数近くをしめるインディアンを弾圧しているのは誰だ。