逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

尖閣、竹島、北方領土 67年経っても戦後処理が出来ない日本の不幸

2012年08月22日 | 東アジア共同体

『東方の蓬莱島に向かった紀元前3世紀の徐福の伝承』

秦の始皇帝の時代に、現在の江蘇省連雲港市徐福村出身の方士・徐福が紀元前210年に不老不死の霊薬を求めて中国の東方海上にある蓬莱島に渡ったとされる記述が、有名な中国前漢時代の歴史家司馬遷(紀元前145~紀元前87)の『史記』にあり、日本国内にも徐福上陸地とされる伝承地が20ヶ所もある。
司馬遷の『史記』は当時の歴史書として高く評価されているのだが、残念ながら徐福の項目だけは何故か日本の考古学では頭ごなしに『史実ではなく伝説である』として無視され続けてきた。
確かに『不老不死の霊薬』の話は、間違いなく伝説だろう。
しかし何度も反復引用されている歴史書『史記』の記述にある徐福の『東方への大航海』の方は事実である可能性が高い。
胡椒を求めてスペインアンダルシアの港から西周りの大航海でインドに行こうとしてアメリカ大陸に到達したコロンブスの例もある。
司馬遷の史書などの記述では、『秦の始皇帝の時代の紀元前210年、童男女3000人、五穀の種や食料、百工(多くの技術者)を載せた船団が、東方蓬莱の島へ向けて出港した。不老不死の霊薬を求める皇帝の意を受けた徐福が指揮をとる。
しかし、彼の船団は再び戻ることなく平原広沢(広い立派な土地)を得て永住し、徐福は王となった。』とある。

『魏志倭人伝の卑弥呼、対照的な史記の徐福』

日本の歴史家では魏志倭人伝の卑弥呼は大好きで沢山の学者が競って研究しているのだが、なぜか『史記』の徐福は大嫌いで『史実ではない』と長いあいだ完全無視しているのです。
ところが日本以外では魏志倭人伝の女王卑弥呼の話よりも、史記の徐福が蓬莱で国王になった話の方が有名であり関心も高い。
何故日本では史記の徐福を歴史家が排除するかの謎ですが、日本の高度な禁忌(タブー)に抵触するからでしょう。
古事記や日本書紀に出てくる初期の天皇は百歳以上の長命だったとあるが、確実な記録がある天皇や将軍などの記録から類推して、普通に考えれば平均的な在位の期間は一世代15年から20年程度でしょう。
これで換算すると徐福が東方へ出帆して蓬莱島で王となった時期と、日本の記紀の記述で初代天皇の神武が即位したのが同じ時期となる。
何故、日本だけは徐福伝説を歴史家が取り上げないかの謎ですが、司馬遷の史記の徐福伝説の話と、日本の記紀の記述とが妙に一致するのですね。
徐福の一族と大王家(天皇家)の先祖が何らかの血縁関係があるとの話は、やはり不味かったのでしょう。
神武即位と徐福渡来が同時期であることは、日本の歴史学者は戦前から気づいていたのかも知れないが間違っても口には出せない。
3000年前にユーラシア大陸から日本列島に渡来した弥生人の骨の発掘は、佐賀を含む九州北西部、周防灘近辺に集中するが、徐福上陸地の伝承は佐賀県の有明海側、玄界灘に面した長崎県松浦市などで場所が一致している。
骨のDNA鑑定で、弥生人は近い朝鮮半島ではなく遠い中国の山東半島(春秋戦国時代の斉国)にルーツがあるので司馬遷の史記の徐福伝説とやはり一致している。

『日本で王になった徐福の伝説』

紀元前3世紀の徐福の東方の蓬莱島へ出帆した時期は、史記を書いた司馬遷が生まれる65年前であり、単なる伝説ではなく実在の徐福が人々に記憶されていた可能性が高い。
それなら史記の『徐福の蓬莱島』は根拠が全くない伝説では無くて、史実に近い『伝承』の類であろう。
当時の日本は弥生中期の吉野ケ里遺跡の時代で、すでに西日本は徐福らと同じような中国大陸から渡来した弥生人が稲作など農耕技術と村落(小規模な国家)を作っていたのであるから各種の技術者を擁した3000人規模の集団移住なら、グループのリーダーが『王』を名乗る資格が十分ある。
3000人もの大きな船団の規模から推定すれば、潮流や風向きに頼る当時の航海術では大船団は途中でバラバラになり徐福たちの到来地が20ヶ所に分散したとしても何の不思議もない。

『秦の始皇帝の全土統一』

春秋戦国時代に遊牧民と接触する位置の中国西方にあって強力な騎馬軍団を擁した秦が紀元前221年に中国全土を制服して初めて統一国家を樹立するが、中国東海岸長江の河口域にある徐福の江蘇省は秦帝国に敗北して国土を奪われた側である。
秦の始皇帝は焚書坑儒など過酷な統治を行った暴君であり、非征服者である徐福らは『不老不死の薬を探す』との都合の良い名目で秦の始皇帝から渡航費用を騙しとって、上手く中国大陸からの脱出に成功した、敗戦国の政治難民だったのかも知れない。
危険が確実に予想される不死の霊薬の探検旅行なら『史記』の記述のように子供や女性を伴うのは不自然であるし、人数も3000人では多すぎる。
家族ぐるみの徐福たち共同体の集団移住(亡命)であった可能性の方が高いでしょう。
秦の始皇帝の時代の紀元前3世紀の徐福ですが、江蘇省から東方の蓬莱国に向かったのですから無事何処かに辿りついたとしたら、その場所は間違いなく琉球列島や九州など日本列島のどこかです。

『尖閣諸島の発見者は誰か』

当時の航海術は風と潮流を利用するので、それなら今日中両国で領土問題になっている尖閣諸島を最初に発見したのは徐福の船団だった可能性が高いと思われる。
事実、朝貢貿易で中国側の浙江省寧波から琉球王国に向かう船団は必ず尖閣諸島を目印にして航海している。
無人島の所有権は『最初の発見者のもの』との欧米的な発想なら『中国領である』とも考えられるが、しかし徐福は中国から脱出した移住者である。
先進技術で日本の九州地方で王となった徐福船団の子孫が高天原の天孫族を名乗り、先祖と同じように航海術に長けていたので海流(黒潮)を利用して東征して熊野から大和の飛鳥に入り大王家(天皇家)になったとしたら、『尖閣は紀元前の大昔から日本のものであった』とも考える事が出来て日本人としては愉快ですね。
この時代の日本の記録はほとんど残っていないので江上波夫の『騎馬民族征服王朝説』や初代天皇の『神武天皇徐福説』など歴史の『空白部分』に対して色々自由な解釈が可能なのです。
ちなみに尖閣諸島の島の呼び名は実は明治大正昭和を通じて日本国内でも黄尾嶼や赤尾嶼など中国名であり、現在のような日本名に変わるのは極最近の時代の話である。
日本名称の尖閣諸島は、明治時代にイギリス海軍の測量隊が命名したピナクル・アイランドを日本陸軍測量部が漢文訳したもの。(ピナクルは教会等の尖塔の意味)

『所有権と使用権』

人間の生存に必要欠くべからざる四大要素、土地、水、空気、エネルギーは、『人類の共同の財産』であり、誰かが独占しようするから騒動が起きる。
土地(もちろん島も)は人類誕生以前から存在しており、どんな個人も集団(国家)も原理的に土地を占有し『利用』することは出来ても、『所有』することは出来ないのである。
ところが南極大陸以外の土地は、隅から隅まで誰かの『所有物』と決めようとする動きがあるが、これは根本的な間違い(勘違い)であり争いや不幸のもとなのです。
日本の江戸時代では一部の商業地以外の売買は厳しく制限されていて、農民には耕作権はあるが土地が売買できないので実質的には『所有権が無かった』とも考えられる。
では大名など領主に売買の権利(所有権)が有るかと言うとこれもない。
土地の『所有権』ですが、よく考えたらこれは最初から無理筋ですよ。
自分のものなら売り買いだけでなく、壊して無くすことも、どこかに持っていくことも所有者の権利なのですが、原理的に土地では絶対に無理なのです。
その意味では『土地の所有権』の本当の意味とは、実質的には『土地の独占的な使用権』程度なのです。

『土地は誰のものか』

長いあいだ土地の所有権が誰にも無かった『不思議の国』日本も、明治維新後にグローバルスタンダードの欧米先進諸国並みに土地の売買(私有)を解禁したら、あっという間に自営農が大地主と小作農に二極化してしまうのです。
これは当然な話で、中国など他の国は昔から土地の売買(私有)を認めているので大地主(富農)と小作人(貧農)とに国内が別れていたので、外国からの侵略に対して簡単に屈服する。
過酷な収奪に苦しむ貧農にとっては地主が自国民であるか等は大きな問題ではなく今より楽になれば外国人支配でも一向に構わない。同じく、大地主や資本家にとっても自国の存亡よりも自分の財産の増減が一番の関心事だったので狡猾な欧米帝国主義の餌食に簡単になって植民地化して仕舞う。
日本が唯一列強の植民地化を免れた最大原因とは土地の私有を認めなかった江戸幕府の功績で国民の分断が起きていなかったかららしいのです。
今の中国ですが植民地化の過去の苦い経験から、土地は公共財で農民には耕作権があるが、土地の私有(売買)ができない。ちょうど昔の日本の江戸時代に似た制度ですね。

『大日本帝国の膨張政策の残滓』

人が住めない絶海の孤島である竹島や尖閣で、韓国人や中国人が必要以上に熱くなるのは、日本領編入の日時が時期的に自国の植民地化の屈辱を味わった過程とオーバーラップするから、余計にナショナリズムを刺激するからなのです。
竹島が島根県に編入される1905年は韓国が外交権を失った時期でもあり日本に異議を申し立てれる条件が無かった。その後竹島どころか朝鮮全土が日本のものとなるのです。
尖閣が沖縄県に編入される1895年は日清戦争で敗北して尖閣どころか数百万人が住む台湾を失い、もう少しで中国本土の遼東半島も失いかける。その後は中国の沿岸部は全て日本軍が占領する。
竹島と同じで、当時中国が無人島の尖閣を問題視しなかったのは当然である。
不幸なことに現在は竹島も尖閣も中国韓国の人々にとって、どちらも日本の帝国主義的膨張政策の象徴的な話であると捉えられているので冷静な話し合いが出来ない。
違いは竹島は韓国が実効支配し、尖閣は日本が管理している程度である。それ以外の違いがまったくない。

『鏡像関係の竹島と尖閣』

今回李明博が韓国大統領として初めて竹島に上陸するが、日本側の文句は口先だけで実行が伴わないのです。
文句は言うが日本人で誰一人として『目には目を』と、李明博に対抗して『竹島上陸』を企てるものがない。
言葉と行動が不一致では、善悪は別としてこれでは説得力がまったく無い。
事前に韓国側の厳しい対応が予想されるので、怖気づいて竹島上陸を企てない日本の似非ナショナリストの腰抜けぶりは情けない。
日本の愛国者気取りの右翼が上陸するのは、何故か『絶対に安全な尖閣諸島』だけで韓国が実効支配する『かなり危ない竹島』ではない。
これはものの順番とか優先順位が逆でしょう。
日本が専有する尖閣諸島は、『何もしない』現状維持なら日本の得になる。
対して竹島は韓国が実効支配しているので現状維持で『何も変化がない』方が韓国の利益になる。
日本の言い分が正しいなら、まず竹島に上陸するべきである。
竹島は口先だけで実行を伴わないが、『吠え面をかかしてやる』と尖閣上陸を企てる石原慎太郎や山谷えり子等はダブルスタンダードであるばかりか売国的である。

『騒動を煽る台湾の深謀遠慮』

今まで尖閣諸島に上陸を企てる中国人の活動家は中国大陸からではなくて、何故か香港の民主活動家とか台湾側で、中国当局はなだめているか規制している。
尖閣諸島にたいして中国は(日本の右翼の竹島と同じで)過激なのは口だけであり、なるべく大きな騒動になることを避けている風に見える。
今回の香港から出発した上陸船は途中で支援物資を台湾当局が渡しているが、『人道的観点』からであり政治的な支援ではないと釈明しているが、言い訳として苦しすぎる。
明らかな政治的な観点からの上陸支援である。
尖閣に強行上陸した香港の活動家が掲げたのは中国の五星紅旗とともに何故か台湾の青天白日旗である。
どう見ても台湾当局が尖閣上陸で、政治的な支援(扇動)活動を行っているのに日本の政府やマスコミなど誰も抗議しないのは不思議である。
2008年6月10日尖閣諸島・魚釣島から南南東約9キロの日本領海内で警備に当たっていた巡視船『こしき』(966トン)と台湾の遊漁船(16人乗り)が衝突し沈没した時には、台湾の首相が、『最後の手段として戦争もありうる』という常識外れにも程がある過激な発言まで行なっている。

『扱いが違いすぎる竹島と尖閣』

日中の尖閣諸島と日本の立場が裏表の関係にあるのが日韓の竹島問題。
竹島問題では日本側の『竹島は日本固有の領土』は口先だけで、今回の香港船のような行動が一切伴わないのは不思議な現象ですね。
『日本政府に吠え面かかしてやる』と愛国者気取りのレイシスト石原慎太郎や組織暴力団住吉会系日本青年社が上陸を企てているのは竹島ではななくて日本領の尖閣諸島。
何故か竹島ではないのですよ。
これでは逆効果で、世界から見れば尖閣は日中が領土問題で揉めている風に見えるが、反対に竹島は、日本人が誰も上陸しないので韓国が完全に実行支配している(領土問題が存在しない)と判断するでしょう。
石原慎太郎とか右翼暴力団とかネットウヨとか、口先だけで文句を言う前に、自分の言い分が正しいと信じているなら逮捕覚悟で竹島に上陸するべきでしょう。
いくら正しい言葉でも自分では絶対に実行しないようでは、誰も信じてくれません。

『全てに最優先される国境線の確定作業』

古来から戦争原因としては、隣国との領土争いがエスカレートして抜き差しならない状態になり、否応なく戦争に突入する場合が一番多い。
中国大陸は幸い中国1ヶ国なので戦争にならないが、インド亜大陸はインドとパキスタンに分離したら第二次世界大戦後の短い間に3回も全面戦争に突入したが、原因はカシミールの領有問題。
国家が沢山分立する欧州大陸では有史以来領土をめぐって延々と戦争を続けた挙句、二回の世界大戦まで引き起こした。
現在はEU結成で国境の垣根を低くすることで戦争を抑止しているが、それ以上に重視しているのが戦争終結後の速やかな国境線の確定作業なのです。
国境線が確定しないと、折角終わった戦争が何かをきっかけとして再燃し、もう一度戦争が始まってしまう危険性がある。
だから『平和』の維持には、何を置いても真っ先に争いの基である曖昧な国境線を無くす必要がある。
今の日本のように戦後67年も経過しても隣国と平和条約(講和条約)を結ばず国境線を曖昧なままで済ましている等は狂気の沙汰である。
日本が島国だから出来る贅沢なのでしょう。
これが欧州のような地続きで境界線付近に自国民やら隣国の国民やら沢山混住しているなら深刻な騒動になって当然なのです。

『竹島も尖閣も北方領土も、全部まとめて国際司法裁判所に提訴』

国家の安全保障で一番大切なのは隣国との国境線の確定なのですが、日本国が領有権問題(国境線の確定作業)をドイツのように自分自身で解決出来ないなら、何とも致し方ない仕儀である。
日本は、国際司法裁判所に提訴して中立的な第三者に判断を仰ぎ白黒をはっきりさせるのが一番良い。
竹島も尖閣も無人島、直接影響する日本国の漁民は今では20万人まで減っていて絶滅危惧種である。
国際司法裁判所で日本領が確定すれば良し、運悪く隣国の領有に確定しても『それも良し』としなければならないでしょう。
どちらに転んでも関係者は少数であり影響は小さい。
ドイツは第二次大戦後に長いあいだ領土紛争を繰り返していた石炭・鉄鋼の産地で九州の7割程度のアルザス・ロレーヌ地方を敵対関係だったフランスに割譲し、ポーランドとソ連(ロシア)にドイツ揺籃の地であるプロイセンの広大な領土の放棄したオーデル・ナイセラインを42年前の1970年に承認、最終的なドイツ国境線を確定する。
戦後67年、もうそろそろ日本もドイツがプロイセンを放棄したように不承不承でもサンフランシスコ講和条約の千島放棄を承認して、日本にとってのオーデルナイセラインを認めて、日本国の国境線を確定する以外の道は多分ないでしょう。
ドイツは何十年も前に、自国と隣国との確実な国境線を確定して、紛争の種をなくしているのです。

『67年も経つのに戦後処理が終わっていない日本の怠慢』

北方領土は戦後処理の問題ですが、竹島や尖閣は100年以上前の日本の植民地主義の悪しき副産物としての騒動である。
玄葉外相は今回、国際司法裁判所に提訴するのに『韓国側が応じない』から無理だと言い訳しているが、これは無理筋の真っ赤な嘘。
韓国は実効支配する側なので『竹島は固有の領土で、領土紛争は無い』が公式見解ですよ。
これは日本が実効支配する尖閣諸島に対する態度と、日韓両政府の態度はまったく同じ。
中国が、尖閣の提訴を日本側に提案しても『尖閣は日本の固有の領土で、領土紛争は無い』なので応じることは無い。
同意すれば『領土紛争が存在していた』となるので、絶対に自分から同意することはありません。
実は国際司法裁判所とは、民事裁判と同じで、双方は対等であり、平穏に実効支配している側がわざわざ裁判に訴える利益がないので、自分から賛成する可能性はゼロですね。
司法裁判所ですか、これは国連の機関であり20年前までは韓国は国連に加盟していないので、提訴されても受ける義務が無かったのですが、現在はれっきとした加盟国です。
日本などの古い国連加盟国は司法裁判所に提訴された場合に全てを受け入れるとの受諾宣言をしているので裁判を拒否出来ない。
韓国は新しい加盟国なので今はまだ『受諾宣言』をしていないが国連加盟国である。
保留条項を適応して拒否すると、韓国としては別のことで自分が提訴する時に不利になるので、日本が本当に提訴した場合には受けて立つでしょう。
しかし平和裏に実効支配している側が今まで一回も負けていないので日本が勝てる可能性が低すぎるのです。
タイが軍事占領していた世界遺産のヒンズー寺院をカンボジアが国際司法裁判所に提訴して勝って取り戻した例があるが、これは竹島の場合とは大きく違う。
軍事占領では『平和理に実効支配している』ことにはならないので、ヨルダン川西岸や東エルサレムは幾らイスラエルが何十年間も支配していてもイスラエル領にはならないのです。

『不思議な韓国の竹島の扱い』 

竹島ですが1952年に韓国が制定した李承晩ラインの内側だったので、現在の形になったが、李承晩ラインは日本の隠岐島と韓国の鬱陵島(ウルルンド)の中間線で、今の日韓の漁業協定のラインでもある。
もしも竹島が『韓国領である』と国際司法裁判所で確定すると、日韓の経済水域の境界線が隠岐島と竹島の中間線となり、日本としては『負けて元々』どころの話ではなくて大損害ですよ。
韓国ですが『竹島は韓国領』とは公式に言っているが、実は日韓双方の領海の起点に竹島を入れていない。
日韓の境界線は、日本の隠岐島と韓国の鬱陵島(ウルルンド)の中間線なのですから、竹島は存在しているようで、実は地図上に存在していない不思議な島なのです。
韓国政府ですが口ではえらく強気なのですが、事実は弱気どころか竹島を韓国領の起点としない不思議な態度なのです。

『もっと不思議な日本の尖閣諸島』

竹島を実行支配している韓国よりも、もっと摩訶不思議で理解出来ない超消極的な実効支配を行っているのが尖閣諸島を領有する日本国。
領土紛争がある地域(島)では実効支配している側は、より支配を確実にする目的で自国民の入植を奨励する。
ところが尖閣諸島では入植どころが日本人の上陸を原則禁止しているのですよ。
不法上陸した中国人の排除は当然だが、例外を設けない日本人の上陸阻止は世界の常識に反する珍事中の珍事である。
日本人が尖閣諸島に入植していたのは70年以上前の大昔のことであり、現在は『何人も尖閣諸島には上陸させない』が日本政府の公的な方針なのです。
1972年の日中国交回復や1978年の平和条約締結(国境線の確定)時に最高実力者の小平が『尖閣諸島問題は棚上げする』と中国側が表明し、実行支配する日本の方でも『尖閣諸島の棚上げ』を政府方針として密かに決定したのだろう。
何とも日本的な、双方の言い分を足して2で割る領土問題での曖昧決着である『尖閣の棚上げ』がもたらしたものが『日本人の上陸阻止』との今の摩訶不思議な政府方針なのです。

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8 コメント

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繰り返される政治劇ですが。 (90式)
2012-08-21 17:38:07
我が国のマスコミがまた領土ナショナリズムを煽ってますが、尖閣諸島ごときで日本全体が右傾化するのは歯がゆいですね。


自衛隊は相変わらず増強傾向です。
日本はアジア第一の軍事大国です。
(解放軍より軍事技術では上)


ネットウヨは笑い飛ばすでしょうが、

東アジアの経済協力、日本の技術力輸出が、
今後アジアの発展に必要に成ると思います。



我が国は311以降、帝国時代に戻る気がしてなんだか不気味なんですよ。
台湾中国と日本の紛争に成らなければ良いのですが。
(後ろには米国軍産複合体も居そうですし)

返信する
日本のインチキ、なんちゃて右傾化 (宗純)
2012-08-23 10:27:39
90式さん、コメント有り難う御座います。

日本経済の低迷で貧富の格差の拡大と中産階級の没落と貧困化が加速している状況と連動して、日本の右傾化が進行しているのは事実ですが、一見『帝国時代に戻る気』に見えるが実態は全く別です。
嫌韓嫌中のネットウヨですが、強いのは口先だけで決して実行を伴わないのですよ。紛争は煽るが決して自分では行うだけの勇気がない。
これは『美しい国』や『戦後レジームのからの脱却』戦後民主主義からの転換を標榜した極右の安倍晋三などでも全く同じ。
勇ましいのは口だけであり実行を伴わない。血判状程度は出来るが、所詮はその程度である。
指先程度なら我慢出来るのだが、自分の命が危なくなるようなことは嫌なのです。これでは戦争は絶対にできません。
日本に出来るのはアメリカのパシリ程度ですね。
そもそも日本が今のように極端に右傾化したのは2002年の小泉訪朝から一貫して絶えることなく続いているど外れた日本人拉致問題の北朝鮮バッシングの影響です。
政府やマスコミが隣国に対してこんなことをすれば日本でなくとも何処の国でも極端に右傾化します。
今の日本の嘆かわしい状態はなんの不思議も無いのですよ。
振り子が最大限右に振れているのは事実ですが、人々が少しでも冷静さを取り戻せば、かならず反対方向にゆり戻すでしょう。私はそれ程心配していません。
今の日本人(特に若者)ですが人を殺さなくなったので、いくら安倍晋三や橋下轍が日の丸君が代を強制しても日本の軍国主義化は絶対に不可能なのです。
殺人の統計学的一考察
2008年02月02日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/79bb6106736ab90449816bfc7cf5b237
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そう思います (農婦)
2012-08-24 16:37:10
本当に、余りにも平和な、時代が、?何不足もない時代が、天から降って来るような、何も恐怖もなかったこの67年は一体なんだったのでしょううか。他の世界で、こんなに不幸な事が起きている事にも関心も示さず、何も知ろうという事も、他人、自分には関わりのないことでただ自分だけの生活を守り、自分の幸福だけを、追い求めてきたにほんじん。解りませんし自分もその中の一人です。
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怒りを忘れた日本人 (宗純)
2012-08-26 13:58:28
農婦さん、コメント有り難う御座います。

3・11大震災時に、日本では誰ひとり略奪も暴動も起きないし、人前で悲嘆にくれたり感情を爆発させる現場を目撃しなかったことに欧米のマスコミが驚き、一斉に賞賛の声を上げた。
ところが、
その後に福島第一原発が爆発し、放射能が撒き散らされ大量の被災民が出てしまう。ところが矢張り日本人は誰も暴動も抗議行動も起こさない。
このことを目撃した欧米メディアは驚き呆れているのですよ。
自然災害の地震と違い人工物の原発事故は間違いなく人災なのですから、この場合には全員が怒って当然なのです。
怒らない日本人がおかしいのです。何かが完全に間違っている。
最近になってやっと首相官邸前のデモが起きているが、これも欧米基準なら大人しすぎるが、それでもやっと、少しは日本人もまともになったのでしょうね。
返信する
なぜ国民は抗議しないのか (伯爵)
2012-08-28 22:33:30
私の住んでいる地域では、今も変わらず旧来然として、複数の公共事業で道路建設、河川改修工事、区画整理事業などが行われています。 その管理たるやずさんずさん極まりないものであり、「露骨な納期引き延ばし、水増し工事、意図的な行政と請け負い業者のゆるゆる進捗管理、のらりくらり怠慢工事」が横行し、市民の一部も苦情を述べているのですが、それが正式な抗議活動には一向につながりません。

管轄区域の議員、行政の管理事務所などに厳重に抗議しても、意図的なのか単に弱腰なのか、のれんに腕押しで、『ご指摘のような不正水増しなどはありません。』『粛々と工事を進めます。』などとシラを切るばかりです。

政治の表舞台では消費税引き上げ論議が交わされていますが、国民は他方で税金が野放図に浪費されていることは気づいているはずです(原発事故、震災復興においても同様)。 なぜ、一般国民は生活を守るために抗議の声を上げないのか、本当に呆れるばかりです。
返信する
争わないで仲良く談合する日本人 (宗純)
2012-08-29 12:09:59
伯爵さん、コメント有り難う御座います。

中央省庁でも村意識が強い防衛省では随意契約で最初から争わない。公開入札を行っても参加する業者を最初から選別する指名入札制度で仲間内だけで談合する。
地方では器が小さいだけで同じことを露骨に行っている。
小さな村とか町の入札記録を調べると凄まじいですね。
全部が明らかな談合なのですよ。
例えば500万円の入札額だと参加した全業者が同一の額を提示して、一人だけが少しだけ低い金額なのです。
会社が違っているのに、談合以外に、見積金額が同一の数字になるなど絶対にありませんよ。
落札業者をあらかじめ決めていて、競争を排して価格の維持するなんとも平和なやり方です。
『談合』とは日本の真髄であり核心部分なのです。
千数百年以上前の聖徳太子の「憲法十七条」の昔から『和を以て貴しとなす』お国柄で、出る杭は叩かれ、1人勝ちは嫌われる。
対決や競争は形式として必要だが、それで実際に決めてしまっては角が立つ。
ものごとをスムーズに進め、皆が満足するために、関係者があらかじめ『打ち合わせ』ておいて、互いに『譲り合って』利得を適度に配分する。
『談合』と言うから何か後ろめたい悪い話に聞こえるが、これは温かい互助の精神であり今流行りの言葉なら共同体の仲間内の『絆』です。
談合はいくら『決別』しても『撲滅』しても必ずよみがえるしたたかさを兼ね備えているあたり、まさに『日本の真髄』である。
美しい国の美しい言葉『日本の真髄』
2008年03月04日 | 社会
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/8f08c08258d9fe9a3dc8d6b8aec78ba7
返信する
Unknown (たかし)
2013-01-30 15:25:18
以前は石原も威勢のいいこというなあと、ある意味感心していました。しかし当時からこれは不思議だなと思っていたのが彼のヨットレースを書いた本を読んだ時のことです。
 トランスパックレースに出たのは結構ですが、その時のセールの出来があまり悪く彼はその本の中で名指しでこのメーカーは良くないと書いていた事に加えて自分では天測も出来ず自艇の位置すら確定出来なかったとかいてある。しかし自分の船でレースをする以上それを確認するのは艇長の責任でありオーナーの責任でもあるはずだし、ましてや大海原を行くのに自艇の位置を出せないなんてもってのほか。

 また彼が会長を務めた当時外洋帆走連盟だったかな、確かに沖縄東京レース、小笠原レース、事故のあった東京グアムも開催しました。しかし、あれだけ騒ぐ尖閣島周りはひと言もありませんでした。東京~沖縄はやってそれより随分やりやすい海域であり、灯台を建てて海図に載せないだの権利を主張するにも関わらずです。勿論漁船でそこまで行っていても本人が上陸することは無かったわけですよね。
 口ばっかりでかっこ付けたいだけの奴なんだなあと当然感じますよね、言っていることとやっている事がまるで違うわけですから。分かっているセーラーは横っ腹で笑っていますよ。

昨日のニュースではF35ですか・・新型の戦闘機購入について
当初99億のはずが今や値が上がり一機150億まであがった・・・当然メーカーはロッキード絡み
これって談合どころでなく詐欺にゆすりたかりに加えた様なものですよね。
勿論相手は当初からそのつもりだったのでしょうが。

古い記事に長々のコメント済みませんでした。
まことに腹が立つものでつい書き込んでしまいました。
返信する
強さではなくて弱さの表れ (宗純)
2013-01-31 13:52:48
たかしさん、コメントありがとうございます。

第3次アーミテージ・ナイ報告で有名な米ハーバード大のジョセフ・ナイ氏が、外見上は超強気に見える石原慎太郎や安倍晋三に代表される日本の右翼ナショナリズムを、逆の『弱さの表れ』(自信のなさ)であると指摘している。
今日の毎日新聞のコラム木語:「一戦交える」弱腰=金子秀敏
でも同じような意味の指摘があるが、今回公明党の山口那津男代表が携えた中国宛の安倍晋三の親書の中身ですが、
これは中国紙によると『7月までは今までの立場上仕方がないので、それまで辛抱して目を瞑っていいてくれ』(あとは良い方に解決する)との
中国に全面屈服する超弱腰の内容らしいですよ。
本当かどうかは定かでないが、心配されていた中国の最高指導者の習近平との会談にこぎつけて日本側の面目が立っている。
親書の中身を読んだ中国が中身に満足したのです。
外交とは常に一方的な一人勝ちは許されす、何かを相手に譲って、こちらも何かを得るのですが今回安倍晋三は中国に何を譲ったのでしょう。
強いものが行う強気発言も問題だが、弱いものが行う強気発言はもっと問題です。
心身ともに弱い安倍晋三の傍若無人な超強気発言ですが、日本としてえらく高くつく可能性がありますね。
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