徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

彼岸に咲く花~人の生きざま~

2020-01-26 16:34:28 | 随想

あの世に旅立った人々になぜ香華を手向けるのだろうか。

これは仏教に限らず、キリスト教においても花は手向けられている。

彼岸には花などは存在しないからなのだろうか、と事あるごとに思う。

様々な理由をつけて説明する意見百出であろうが、そんな理由を探るほど人間という生き物は暇にできているようである。

ダンテ・アリギエーリが旅した最初の地獄といわれるところは、香華を手向けられても何の意味もないところであったろう。

彼岸と言うのは彼の世の事。

アケロン川、日本でいえば三途の川を渡った、彼の地の事である。

暫く行くと地獄の門と言う巨大な門が見えてくる。

この門の上に書かれた言葉がある。

 

この言葉訳者によって全く違う。

そのうちの一つを記してみると・・・・

われをくぐりて、汝らは入る、嘆きの町に

われをくぐりて、汝らは入る、永劫の苦患に

われをくぐりて、汝らは入る、滅びの民に

  ~~中間略~~

一切の望みを棄てよ、汝ら、われをくぐるもの。

 

この最後の一行は実に恐ろしい。

この門のこの言葉を見たら、生きた人間なら怖気を揮って尻込みするだろう。

ダンテは聖なる喜劇では、地獄から天国まで一昼夜で経巡って来たとは言うが、

今の我々にすれば彼岸と言うのは、遠い遠い遥か彼方想像もつかないところにあると思っているものが多いのだろう。

ダンテはどの様に思っていたのだろうか、・・・

一昼夜のヴァーチャルリアリティーを体験するのだが・・・・

この地獄地図を現世の悪人共に実感させる方が刑罰を与えるよりははるかに効果があるかもしれない。

生前悪さをしたものは地獄とやらで責め苦に合い、善を為したものは天国へとは言うが、

この世の世界で善ばかりを為した者はどれ程居るのだろうか。

この狭い日本と言う国にあって、悪に係わりのない人間などは一人として存在しないだろう。

日本と言う国の人間と言う生き物に限らずに、人間と名の付く生き物で、悪を為さぬものは有り得ようもない。

様々なとるに足りぬ小さな悪を為しながら、快楽を求めるもの、あるいは権力を以て義務無きことを人々に強いる大悪など、

人間と言う生き物は様々な悪を行いながらこの世を渡っていく。

地球上の人間が殆ど地獄に落ちることになれば、地獄も人口過多で資源不足に陥るのではなかろうか。

地獄の番人ミノスも亡者の甘言に弄され落としどころを間違えなければいいが。

いや、間違ってもらっては困るのである。

悪人は必ず悪の報いを受けてもらわなければ、善人は救われない。

尤も、善人などはこの世には・・・・

因みに、わが国では神曲の題名で通っているが、イタリア語の原題は神聖喜劇だという、

神曲というのは森鴎外訳の即興詩人の中で用いられて以来の題名であるという。

とは言ってもあの世とやらは在ると思えば在るし、ないと思えばない。

ダンテがたどった地獄から煉獄、さらに天国へと・・・様々なものを目にしたが、まさにヴァーチャルリアリティー・・・喜劇というほかはない。

イタリア語の原題は神聖喜劇であるというのまさにぴったり、喜劇といわずしてなんという。


 人間の好時節 

2020-01-25 18:31:41 | 随想

趙州と南泉という禅僧の問答に対して無門が頌っている。

その問答というのは・・・

 趙州が問う、如何なるか是れ道。南泉曰く、平常心是れ道、であると。

平常心とはありのまま、そのままという意味なのだろう、

これを四季の移りゆくことになぞらえて人の生き方を無門和尚は次の頌であらわしおた。

 

春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、

若もし閑事の心頭に掛る無くんば、

便是れ人間の好時節                 無門関第十九則に載っている。

 

心がいつも安らかで有りうるためには、自分の得べき利益やあるいは失った損失などの俗念を脱却することできなければならない。

得をした、損をしたと、心に拘る何かが蟠っているならば、心に涼風が吹き渡ることは無い。

春には百花、秋には月、夏には涼風、冬は雪、と四季にはそれぞれ愛すべき風物がある。

もし、閑事の心頭に掛かること無ければ、すなわちこれ、人間の好時節だ。

役にも立たないつまらないことに、心を煩わせていることが無かったら、人の生き様はこの四季のごとく絶えざる興趣に満ち満ちたものになるだろう。

これは無門関の著者無門和尚の頌だが、これと同じ境地を北宋の学者程明道が秋日偶成と題する律詩で詠っている。

閑来 事の従容ならざるはなし

睡り覚むれば 東窓 日すでに紅なり

萬物 静観すれば 皆自得し

四時の佳興 人と同じうす

道は通ず 天地有形の外に

風雲変態の中に 思は入る

富貴にして淫せず 貧賤にして楽しむ

男児ここに到らば 是れ豪雄

 

朝、目覚めると、東の窓は、すでに明るくなっている。

ああ~今日も目覚めた、明るくなった窓の外の光を眺めて、ゆったりと床の中で至福を感じる。

眠りにつくという事は明日の朝、目覚めることを何の疑いもなく眠るという事である。

だが、老いさらばえたものや、病に伏しているものにとっては、眠りにつくという事はただ休眠するという事とは限らない。

そのまま、永遠の眠りにつくこともありうる、明日の朝必ずしも目覚めるとは限らない。

眠りにつくとき、あすのあさ明るい光が迎えてくれることを願って目を閉じる。

だから、目が覚めた時、ああ~今日も目覚めた、明るくなった窓の外の光を眺めて、ゆったりと床の中で至福を感じる。

早朝に起き出して、通勤地獄を味わったものも、引退して、仕事を離れ、閑暇の身になると、

何事も好みのままになるようになり、心もゆったりと過ごすことができる。

このゆったりとした気分、何物にも代えがたい。

宇宙のすべてを支配する法則に従って、生々変化する自然と心を一つにすれば、富貴に淫することも無く、貧賤もまた楽し。

人間などという生き物は天地の間で自然のままに踊らされていると考えるならば、それに諾々と従うことも一つの生き方ではあろうが、

しかし好むと好まざるとに関わらず、この世に生を受けた折角の人生それでは面白くも無い。

富貴に淫することも無く、己の思う通りに生きて、貧賤を楽しむ境地、ここに至れば男児の本懐というべきであろう。

 

 


修己治人~己を修して人を治める~

2020-01-24 16:17:54 | 随想

戦前、どこの小学校にも二宮尊徳の銅像が建っていた。

薪を背負って、本を片手に、寸暇を惜しんで、本を読んでいたのだろう。

明治に出版された日本人による英文の本が何冊かある。

新渡戸の武士道、岡倉天心の茶の本、そして内村鑑三の代表的日本人である。

この代表的日本人の中には西郷隆盛、上杉鷹山に続いて二宮尊徳が挙げられている。

小学校に銅像が建つぐらいだから、随分と国に貢献したのだろう。

その銅像で読んでいる本が何を書いた本か知る人は少ない。

それは朱子が朱子学の教本として取り上げた、大学であると言われている。

儒教の四書五経の四書、則ち大学、中庸、論語、孟子の一つである。

大学はもともと礼記の一遍であったものを朱子が中庸と共に取り出して論語、孟子の上に置いたのが四書である。

儒教は孔子が初めて考え出したという人も居るが、孔子には己の考え方というか思想というか、

それを体系的にまとめる能力は無かった様な気がする。

昔から伝わった生活様式やあるいは社会通念、あるいはものの考え方といったものを断片的にその場その場に応じて披瀝したに過ぎない。

孟子や、荀子のように己の思想を論理体系的に構築するほどの能力は持ち合わせて居なかったと思っている。

孔子が数十年にもわたって全国に就職運動を行ったが、いずれの王も受け入れなかったのは、

一つには老子が彼に会ったときにいったと言われるような、傲慢さが感じられるからであったろう。

それに加うるに思想を体系的に構築す能力がないこともその一つであった様な気がする。

それと、己の考え方を披瀝するについて、今でいうTPOを考えずに、己の考え方に拘ったために、国を亡ぼし兼ねない事態まで引き起こしている。

その儒教は漢の武帝の代になって、国教の地位を得るが、このときの儒教の経典は五経であったという。

その後、儒教も訓詁の学として、その思想的活力が失われていくことになる。

それ以後宋代になって朱子によって復活することになるが、その朱子学の経典は我が国でも能く聞き慣れた四書五経といわれるもので、

五経の上に四書、則ち大学、中庸、論語、模試を置いた。

儒教も長い歴史の中で多くの変容を遂げてはいるが、その中核部分は代わっていないという。

ではそれは何か。それが分からないと儒教とは何かということが分からないと言うことになる。

いま、その儒教の核心は修己治人と言う言葉に要約される。

修己とは読んで字の如く、己則ち個人の修養を意味する。いわゆる昔流にいえば修身という事だろう。

戦前、修身などというものが、小学生の頃教え込まれるが、これとはちょっと趣を異にする。

あの頃の修身などというものは、朕惟フニ我カ皇祖皇宗、で始まるあの馬鹿馬鹿しい教育勅語など、

ここで言う修身などとはまるで異質なものであった。あの頃は、どこにも礼拝殿と言うものが供えられて居て、

そこに勅語の巻物が収められており、毎週月曜日講堂に集められて、この教育勅語の朗読を聞かされる退屈な時間、

今から考えると全く馬鹿げた儀式ではあった。

我々子供たちが、この勅語の内容から抜粋してよく使った言葉に、もともとこの国は、おれの祖先が作ったものなんだ。

汝臣民飢えて死ね。御名御璽。であるが何かあるとこの言葉が口をついて出てくるのです。

たかだか、十歳前後の子供たちが常ならず聞かされる言葉の端々を覚えて使っていたんですね。

閑話休題、でも修身とかあるいは修養とかいうのは人から強要されて、行うものではなく、己自身を磨くための努力なのだということ。

人間という生き物は社会的に信用されるには、少なくともそのような修養なくしてはあり得ないということである。

儒教でいう修己には何が必要なのか。

人間の修行は能力と人格の両面について修養する必要がある。

儒教では人格面に力点が置かれているが、煎じ詰めれば徳を身につけるということであろう。

一口に徳とはいっても徳とは何かということになるが、儒教では五倫五常をを指すようである。

ただ人格高潔とはいっても、能力が備わっていないと徳の発揮のしようが無い。

五倫とは父子信あり、君臣義あり、夫婦別あり、長幼序あり、五常とは仁、義、礼、知、信の五つを差すという。

修己治人の第二の柱は治人を突き詰めていくと政治ということになる。

四書の大学は儒教の政治についての主張を実に要領よくまとめられた本と言える。

社会の指導的立場の人間は、天下国家の経営にあたることだが、そのための前提として修己があると言っていい。

世にほとんどの企業は新入社員に対して社員教育を実施しているという。

それは少なくともその企業の要求する人材に育成する必要を感じるからであろう。

人格面、能力面いずれも企業の将来を背負う人間としての素質を植え込む必要を感じているからであろう。

先にも述べたように、修己治人の第二の柱は治人を突き詰めると政治ということになるのだが、政治は社会の指導的立場の人間として、

天下国家の経営にあたるにあたって、その資質を十分に確かめる必要があることもまた事実である。

だが、しかし選挙の立候補の段階でも、当選した後の段階でも、その人間が国家を動かす指導的立場の人間として、

必要な教育が行われたことは未だかってない。

今までの歴史を振り返った見ると、人格の欠損した輩も随分と存在したように思われる。

現代の参政権の欠陥はどんぶりの中に優れた人物がいない場合でも、行使せざるを得ないところにある。

四書の大学は儒教の政治についての主張を実に要領よくまとめられた本と言える。

社会の指導的立場の人間は、天下国家の経営にあたることだが、そのための前提として修己があると言っていい。

果たしてその指導的立場の上った人間たちが能力と人格の両面について、己を磨く修行をしたことがあるのだろうか。

懐を肥やす能力ばかりを磨かれても、国の民は困るのである。

修身とは何なのか、大学によれば心を正しくし、意を誠にすることであるという。

意とは心の発したもの、誠とは自分で自分を欺かないことであると言う。

 

則ち心の有り様をだれに恥じることもない、正しくすることだという。そのために必要なのが格物致知なのだという。

この格物致知という言葉自体も説が分かれており難しいらしいので、またの機会に研究してみたいと思うが、格物を物の理をきわめ尽すこと、

そして致知をおのれの知を極めることと考えて、あらゆる事物の理を知り尽くすことであるとした、考え方がわかりやすいように思う。

何かの書で読んだ記憶がある、人間というものは挫折したり悩んだりしなければだめなのだそうだ。

子供のころからストレートに進級して、エリートコースを歩んだ人も数多いが、その人たちは優等生ではあるが、

どうも人間としてもさまざまな研究者としても、大したことのなかった人が多かったという。

エリートコースに乗る人たちは、受験勉強には優れちても、その他の様々なものにまで優秀であったというわけではない。

受験勉強にかまけて大人になるまで、世間と隔絶した歪な生活を送った世間知らずがほとんどであろう。

我が国において社員教育と同じように、政治屋あるいは高級官僚に,

修己治人を考える時、四書の大学、中庸を教課とした教育を行う必要を感じるのは我だけではなかろうと思うのであるが、如何。

 

 

参考文献

 

大学中庸     守屋  洋著                    PHP文庫

大学                          宇野哲人訳注                  講談社学術文庫

中庸                          宇野哲人訳注                   講談社学術文庫


人生の楽しみは晩年から

2020-01-23 14:28:43 | 随想

宋代に淅江総督と言うから役人であろう人物がいた、名を蘇軾と言う。

宋代の第一級の詩人であったようである。

王安石の時代で彼の法に反対したために地方に飛ばされていたが、朝廷の政に反対の詩をつくり誹謗したかどで逮捕されたりもした。

彼の作った詩に「贈劉景文」というのがある。

原文は必要ないだろうがとりあえずは載せてみよう。

荷盡已無擎雨蓋、

菊殘猶有傲霜枝。

一年好景君須記、

正是橙黄橘綠時。

この七言絶句からどれ程の内容を掴み取ることが出来るのだろう。

蘇軾と劉景文は詩をもってしばしば昌和していたようである。

その劉景文に贈った初冬の作である。

何の変哲もない季節の情景描写である。

こんな詩を友に贈ってもそれほどのものとは思ってくれないだろうが、

能々吟味して送ってくれたものの真意を汲みとると考えさせられる詠である様な気がする。

漢字の羅列を日本流に読み下せば、次のようになるのだが、中国人にとってこの様な意味で読んでいるのであろうか。

漢詩に限らず漢字の羅列を日本流に訳したとき、漢字の一つ一つにそれ程の意味を持たせているということにとても奇異に感じるのである。

 

荷は 盡きて 已に 雨を擎るの蓋無く,

菊は 殘われて 猶ほ 霜に傲る枝 有り。

一年の好景 君須からく記すべし,

正に是れ 橙は黄に 橘は 綠なる時。

 

ここまで読み下せば後は現代語にしてもそうは難しくはなかろうと思うのだが、

どの様に読み下すかで意味が全く違ったものになることもあるであろう。

 

蓮の花は散り果て、大きな傘のように雨を受けていた葉ももはやない。

菊の花も萎んでしまったが、それでも霜にめげず傲然と突っ張っている枝はまだある。

一年を通じて最も見応えのある情景を、君よ、是非心に止めてほしい。

将に柚子は黄色にうれ、蜜柑がまだ緑のこの季節に。

                                  ―‐松枝茂夫―

という意味なのだが、このままではそれほどの意味を持つ詩とも思えない。

蘇軾は一体何を言いたくてこの詩を劉景文に贈ったのだろうか。

これは劉景文の境遇を知らなければただの何の変哲もない詩で終わっていたであろう。

友、景文は老齢期に入り、父や兄を早く亡くして、気分的にも落ち込んでいたという伏線があって初めて、

この晩秋初冬の景色を一年で一番見応えのある景色として受け止め眺めてくれ、人間も人生の初冬にあたる老齢期は一番いい時期だといったのである。

人生の晩秋から初冬とも言うべき時期の見応えのある風景を心に止める様詩に託したのだろう。

とは言えこの世の中、年老いていく者たちに暖かな手を差し伸べ、人生における一番いい時期にしてくれる国ばかりとは限らない。

東洋の東の外れにある海の中の小さな島国の老人たちは、年老いると姥捨て山と言うところえ捨てられてしまう。

棄てられるだけならまだいい。

棄てられたあげくの果てにまだまだ搾り取られる。

捨てられるものに与えたものを残しておくのは惜しいというのである、搾れるものはとことん絞る。

それ程、国の民は困窮しているのだが、国を差配する政治屋や役人たちの古来からの一貫した考え方であってみれば、

民にとっては如何ともなしがたい。

特に現代は過酷である、病身の子を抱えた母親が食べるものもなく、子とともに飢えて生を終えるものさえいる。

この国ではお上思想と言うのが蔓延していて、お上に逆らうことはタブーとされていた。

お上はこの世の中のお上と言われる者達のなかでも最高の財を懐に入れながら、

役に立たなくなった年寄りから搾取することを至上の喜びとしているがごとくに剥ぎ取っていく。

この海の中の小さな島に、この世の中でも一風変わった人間と言う生き物が住んでいる。

老齢期が人生の一番いい時期だと、中国の詩人は慰めてくれるが、そうはいかない処が、東の海のまっただ中にある。

 

我は好き好んでこんな薄情な輩が治める国に生まれてきたわけではない。

これでは天を呪いたくなる、なあ~天公よ!!

同じ様に考えたのが遥か昔の隋、唐の時代にもいた。

我昔未生時      唐、王梵志

我昔未生時、冥冥無所知。

天公強生我、生我復何爲。

無衣使我寒、無食使我饑。

還你天公我、還我未生時。

 

~我昔未だ生まれざりし時~

我昔未だ生まれざる時、

冥冥として知る所無し。

天公強ひて我を生み、

我を生みて復何をか爲せる。

衣 無くして我をして寒からしめ、

食 無くして我をして饑ゑしむ。

你、天公に我を還かへさん、

我に未まだ生まれざりし時を還へせ。

生まれる以前に帰りたい

 

むかし未だ生まれていない時は、冥々として知るところなし。

――我が未だ生まれる以前は、全く何も知らなかった。――

天公強いて我を生み、われを生んで復何を為せるか。

―― しかるに天公は頼みもせぬのにわれを生んだ。われを生んで一体何をしてくれたか。――

衣なくして我を寒えしめ、食無くしてわれを飢えしむ。

――着るものもなく私に寒い思いをさせ、食べるものもなく我にひもじい思いをさせただけだろう。――

これ天公よ。このわしをお前さんに返すから、わしに生まれる前の時を返してくれ。

-還你天公我,還我未生時。-

これは実にいい。

これ你天公よ、と呼びかけるとこるがこの詩のクライマックスなのだろう。

我を天公よお前に我を返すから、われに未生の時即ち生まれる前の時を返してくれ。

我を不幸にした責任を天公に取れと迫っているのである。

そうすれば我が生まれる時は、我の好きな時に好きな国に生まれる。

人間と言う生き物、親を選ぶことも、生きるためのところを選ぶことも全くできない、不自由な生き物としてこの世に出てくるのである。

この世に生まれた後は死を待つばかりである。

永遠にこの世に生きながらえたいと足掻く者も居るが、天公に生まれる前の時へ返せとすごむものも居る。

奇想天外なと言うよりも生まれ変われるものならと誰もが思う。

だが、この作者、王梵志のように天公よと呼びかけ、我を不幸にした責任を取れ、と迫る発想はなかなか思い浮かばない。

この王梵志なる人物、隋から初唐に掛けての人物で、その詩は、社会あるいは人生を論じて後々にまで伝承されて人気を博したという。

この様な諧謔に富んだ詩であってみれば、庶民層にとっては痛快極まりない感じを受けたのであろう。

 

 

参考文献

中国名詩選 下               松枝茂夫編           岩波文庫

漢詩名句集                            奥平 卓著            PHP文庫

 

 

 

 

 

 

 

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命長ければ、恥多し

2020-01-22 15:24:12 | 随想

この言葉を知っている人の多くはおそらく徒然草を呼んで得た言葉として頭に刻んでいるのであろう。

だが実際は、兼好が荘子の天地篇に書かれた言葉を引用したに過ぎない。

荘子の天地篇に「男子則懼多、富則多事、寿則多辱、」という言葉がある。

長生きすれば何かにつけて恥をかくことが多い。長生きすれば恥多しなのだという。

 

男子多ければ則ち懼れ多し、富めば則ちこと多し、寿ければ則ち恥多し

 

これは聖天子といわれる尭が地方巡幸したとき、地方役人が尭のためにこの三つのことを祈ったところ尭は三つとも断った。

長生きすれば恥を掻くことが多くなると言って断ったという。

これら三つのことは、誰もが望むことであり、有り難い申し出であったろう。

尭にして見れば、見事な見識であったと言っていい。

 

だが荘子は違っていた。

荘子に言わせれば、天機浅し、なのだという。

荘子に言わせれば、断ると言うことはまだそれに拘っているからだという。

百万円やると言われれば、有り難く頂戴するのがよいのだという。

それが荘子流の生き方なのだろう。

我が国の政治屋や官僚に荘子の言葉を聞かせれば欣喜雀躍するかも知れない、いや間違いなくするであろう。

ところが、同じ長生きは恥多しという、ことについて語ったとしても、わが国のものの考え方とは少々違っている。

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の烟り立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。

世は定めなきこそいみじけれ。

徒然草七段の書き出しである。その随筆の中に「いのちながければ辱おほし。

長くとも、四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」・・・「もののあわれも、知らず成り行くなん、あさましき」などと言っている。

そう、兼好の徒然草であるが、これを随筆と言っていいかどうかは解らない。

彼が生きた時代には随筆などという言葉自体もなかったろうし、彼の書いた徒然草が随筆にあたるかどうかも解らない。

この徒然草という文を何の目的で書いたのかさえも、はっきりとはしない。

おそらく鎌倉時代の頃まで、現代で言う随筆風のものと言えば枕草子ぐらいのものであろう。

兼好も、この枕草子に触発されて書いたものなのだろうが、その目的というか何のために書いたのかさえはっきりとはしないように思う。

ただ序段にあるように、つれずれなるままに、硯に向かって、心に浮かんでは消えていくとりとめのないことを書き綴ったのだろう。

とすれば現代で言う随筆風と言うことになるのだろう。

それにしても兼好の思考力と荘子の思考力には大きな差が見いだせる。

朝生まれて、夕には死すかげろうや、夏のみ生きて、春も秋も知らない蝉のような短命なものものもいる。

兼好に言わせれば、人間ほど馬鹿みたいに長生きするものはいないと言うことになる、

いずれは去らなければならないこの世にしがみついて生きていたところで何になる。

つくづくと暮らすならたとえ一年でも長く感じるだろう。

何時までも生きていたいと思うならたとえ千年生きても、一夜の夢のように短く感じるのだ。と

この世にしがみついて、見にくい老体を晒して何になる、長生きするほど恥をさらすことになる。

四十前に逝くのがいい。

様々な理由を付けて長命を念じて、長生きをして、人間らしさを失っていくのは、もののあわれも知らぬ、あさましいものである。と

長生きが罪である如くに感じていたと言っていい。

などといいながら、己は七十近くまで老体を晒している。

兼好は己の長命をどのように感じていたのだろう、

「ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあわれも知らず成り行くなん、あさましき」と思いながら己の生涯を閉じたのだろうか。

でないとしたら、この徒然草に書かれたものは、ただの思いつきを書き殴っただけのものでしかない。

当時とすれば、随分と長い間老躯を晒し、恥をさらしたことになるのだろう。