徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

温故知新という言葉がある。

2020-01-21 16:53:44 | 随想

これはとても大切なことであるが、我が国の現状を見ると、悪い面ばかりを尋ね歩きそれを真似ているような気がしてならない。

しかし一方では、心ある人は過去の優れた人物に範を採ろうとしている事もまた事実であろう。

現代は中国の古典に学ぶことが随分とはやっているらしい。

老子、孫子、孔子に孟子、荘子いずれも優れた中国の古代の思想家たちである。その中で我が国の米沢藩を立て直した上杉鷹山、

この人の経営学も人気を博していると聞いたことがある。

この上杉鷹山の経営学と言うより、米沢藩という、現代で言えば地方自治体の政治家元首であり、その政治手腕の方が遙かに現代では大切である。

当時の米沢藩の政治を行っていた家老や取巻きを見ると、政治なと行う人物とはほど遠い無能な連中の集団であった。

借金まみれで、どこからも金の借りる目当てのない現状にも拘わらず、なんの理由もなく鷹山の改革に反対し横やりを入れる無能集団であった。

その鷹山が見事に米沢藩を立て直した、その経営手腕にあずかろうと、する現代の多くの経営者や企業幹部がいるようだが、それは無理というもの。

鷹山の経営手腕は、鷹山の全人格とその頭脳の現れであって、彼のような人格や頭脳の持ち主でないものがまねたとて効果を期待できるものではない。

孫子の兵法が、我が国で研究され、本場中国より遙かに研究がすすんでいるとは言っても、それを百パーセント活用できるかといえば、ノーである。

たとえ記憶力のいい人間が、その全文を記憶したとしても、孫子の兵法を戦争に、企業戦略に活用することはほとんど不可能であると言っていい。

孫子の人格およびその明晰な頭脳があって初めて、孫子が言うように書かれたことが意味を持つのである。

我が国に、いや世界に孫武本人に勝る、人格と頭脳見識を持つものは果たしてどれほど居るだろうか。

古代中国の政治の要諦は表面上は孔子であり、その政治の底流には韓非の思想が流れているとは言われているが、

それほど優れた政治が行われていた時代はほんのわずかであろう。

昭和天皇は敗戦の一つの理由に孫子の兵法の研究不足を挙げていると聞いたことがある。

それほどの見識があるとも思えなかったが、将にその通りであり、孫子を本当に理解する人間が権力者の中に存在したら、

アメリカから戦争を仕掛けられ無い限り、太平洋戦争は起こらなかった、このことは孫子の兵法をわずかでも知るものならうなずけよう。

それほど日本人という生き物は明治以来思い上がっていた。

それは明治の権力を握った連中が、足軽や中間あるいは遊び呆けるしか能の無い公家、不平不満の塊の下級武士であったことが我が国を駄目にし、

昭和にまで尾を引いていた。

世によく言われるように、だんだん良く鳴る法華の太鼓であるが、我が国の場合はだんだん悪くなる国の在り様、である。

災害には国は金を出さないなどという馬鹿もいるのだから、もう救いようがない。

中国の古典や鷹山のような人々の書かれたものを取り入れて己を研鑽することは必要ではあるが、

それを参考に真似るにはその人物の人格をも取り入れる必要がある。

今現代、鷹山の経営を参考にしようとするなら、少なくとも鷹山の人格をも取り入れる必要がある。

孫子にしてもしかり老子にしてもしかり、その文字面追って居っているだけでは意味をなさない。

それぞれの人格をも含めて参考にしなければ成功はおぼつかない。

鷹山の伝国の辞は鷹山の政の究極なのであると悟る必要がある。

明治の世に消え失せてしまった、儒教の教えを今一度考えてみる必要があるのかも知れない。

せめて国を指導しようかという輩は四書五経とまでは行かなくても、せめて四書の頭、大学や中庸なりを、熟読吟味してみる必要があろう。

苟に日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり。

少なくとも人を指導しようかというものは、この言葉をかみしめる必要がある。

権力を握って傲り高ぶるだけが能ではあるまい、明治以後の日本人の世界に冠たる悪い癖である。


書きかけの人生論について~人生とは・・・~

2020-01-20 17:28:10 | 随想

人間は肉体と肉体に宿る動物的意識を理性に従属させること、言い換えれば自我を否定して、

愛に生きることによって同胞或は生存競争の悲劇から救われるばかりか、死の恐怖からも救われる。

何故なら、その時個人の生命は全体の生命のうちに溶け込んで、永遠の生命を受けるからだとトルストイは言う。

その人生観は何処までも現世的で、理性によってすべてを割り切ろうとしているから、

神の観念の代わりに、人間の集団意識、人類の意識に究極の救いを求めようとしている。

このトルストイの論文は人生とは何か、如何に生くべきかの結論を出したものと言える。

 

人間、この矛盾に満ちた生き物

この人間と言う生き物の人生論などと言うトルストイの論文、やたらと難しい。

それでも、判り易く簡潔な言葉も述べている。

いずれにしても、訳の解らないことを延々と述べる哲学は苦手である。

 

引用してみると・・・・

人は誰しも自分の利益のため、幸福のためだけに生活している。

自分のうちにこの幸福に対する欲求を感じないという人がいたら、その人は自分を生きている者とも感じていないのである。

人は自分の幸福を願わずに人生を考えることなど出来ない。

誰にとっても生きるということは、とりもなおさず、幸福を願いそれを手に入れるということなので、

幸福を願い手に入れるということが、結局、生きるということなのである。

人は自分のうち、自分と言う個人のうちにだけ生命を感じる。

人生論、云々と言う本が本屋に氾濫するのは、その時期は凡そ世が安定に欠けて、人々が安穏に暮らしていけるような状態でないことが多い。

政治屋共の失政が続き、官僚共に振り回されている、政治の世界が見え隠れする、己のこれからの人生に不安を感じ、

そんな社会での生き方を考えようという人々が多くなったときともいえる。

それとも、己の人生をもう一度振り返って、前向きに進んでみようと思う人が多くなった、好ましい社会現象になったときか。

 

これまでも、様々な人生論の本が出ている様であが、何も人生論などと銘打った本を読むまでもなく、

様々な小説や詩、古典や童話からさえも人生の指針は十分に汲みとることが出来る。

多くの人生論に書かれているのは恐らく、金もうけに走りすぎて、自己中心的で、排他的な生活を送って、

富を蓄えることに四苦八苦している、などと賢しら顔で、読む人を見下したようなことを書いているものがほとんどであろう、といっていい。

 

更にどれほど儲けても、永続するわけでもなく、たまったころには死が待ち構えているなどと言う輩さえいるだろう。

人間の価値観など生きていく上で、時代に即応するように変わっていくのが当たり前であるのだが、

それを古い時代に世捨て人の様に時代と隔絶した様な生き方をした者の、価値観に学べなどと言う者が人生論のあちこちに見ることが出来る。

人は誰しも自分の幸福のためだけに生きている。

自分のうちにこの幸福に対する欲求を感じないなどと言う人がいたら、その人は自分を生きているとは感じていないのである。

人は自分の幸福を願わずに、人生を考えることなど出来はしない。

本屋で立ち読みした人生論を良寛に学ぶという様な本だったと思う。

立ち読みした程度だから、正確な言葉ではないかもしれないが、次のような事が書かれている。

金銭感覚と競争原理だけが突出した現代では、市場競争とか功利の追求と言うお題目だけで事に当たれば必ず失敗する、と言っていたような気がする。

ある一面だけを捉えた、人を脅すような書き方のものは多い。

良寛は子供のころから論語などに傾倒していたことも知っているし、禅坊主になって修行し、

剣術でいえば免許皆伝にまで達した学識或る人物であることも理解している。

 

様々な詩集や随筆風の物もいくつかは読んだことがある。

だが良寛の行動を見ていると、額に汗して働くことを嫌い、その日その日を喜捨で賄って、

子供と遊び、年寄りの面倒を見て過ごすのを善しとし、世俗の世界とは無縁のものと思っている様である。

 

良寛の言葉を引用してみよう。

私が、世の中の人の有様を見るに、皆愛欲のために、思い計っている。

それを求めて満たされないと、心も体も一層悲しみ悶える。

例え望んだことが思い通りになっても、結局は何年続くことか。

一度は極楽の様な楽しみを味わっても、後には地獄のような苦しみから逃れることは出来ない。

苦しみを味わうとそれから逃れようとするから、長い間苦しみ続けることになる。と

この良寛にしても、人生論を書こうかと言うものが、必ず口にすることは、金銭を追い求め、快楽を追い求めて、それを得ることが出来たとしても、

それはほんの一時的なもので、後でそれに倍する苦しみを味わうことになるという、脅し文句である。

人生あざなえる縄の如くいい時もあれば悪い時もあるのは世の常識、目くじら立てて馬鹿の一つ覚えの如く強調することもなかろう。

 

如何に学識があり、悟りきったようなことを書いていても、働くことを拒否し、

その日その日を人々の恵みによってのみ生きている人間が、賢しら顔に書くことをどうして人生の指針にしなければならない。

 

名誉だとか利益だとかは此の世の煩わしい事柄であり、その様なものに煩わされるのは御免だという世捨て人の、

言葉をどうして人生の指針にしなければならない。

言葉などは、能書きだけならどんなことでも云える、それが人間と言う生き物の賢しらなところなのである。

 

ただの生きる事からの逃避、この世からの逃避と言うしかなかろう。

日本人一億数千、すべて良寛の様な生活をしたらどうなる。

私が立ち読みした本の著者は如何なるか考えたことあるのだろうか。

そんなことは絶対ありえないとたかをくくっていのだろうが・・・・・

 

人生論を書こうかと言う者が必ず書くだろうことは、決まっている。

現代の生活はお金がすべてで、お金さえ出せば何でも購える、そのお金を手に入れるために神経をすり減らし苦労の連続で、

自分で自由にできる事は何にもない。

そんなお金に捉われるために生活の充足が損なわれ、収入だけを目的とした生活になっている。

精神のゆとりは殆どないに等しい。と

なんと偉そうな世の懸命に働く人を見下げ果てた奴とおもう。

心に余裕が見いだせないのは、何もお金を得ることに夢中になっているからだけではない。

意識する、しないに係わらず、生活にゆとりを取戻し、平和な心を取り戻すには、この社会あまりにも権力によってがんじがらめに縛られている。

 

自分の周りを見回してみるがいい。

外国ではほとんど放置されて人々の自由に任されていることが、我が国では行政の監視下に抑えられている。

 

身近な処で、免許の書き換え、車の定期検査、きっちり官僚共に抑え込まれている。

老子の言う、貧しいものから取り上げて、裕福な者へどんどんと身を運んでいる、それを手助けするのは権力者だと。

この様な事が人々の幸福を阻害する原因の一部になっていることも確かな事だろう。

先進諸外国と比較してみるがいい。

人々の生活の隅々にまで権力が入り込んで、人々の自由を拘束している。

我が国の人々は古代から、様々な拘束を課せられ、それに耐え忍んできた。

それが戦後、民主主義という名の自由に出合い一気に解放されたかに見えるが、その自由にはきっちりと紐がついていた。

その紐を徐々に締め上げられていったのが現代なのである。

その中で、人々が望むものは己の幸福っだけなのではなかろうか。

何が幸福かは人それぞれで、他人がとやかく言うべきことではない。

トルストイもその人生論の中で、幸福を願い、手に入れる事が結局は生きるということなのである。

人間にとって本当に大切で必要なのは、ただ自分のものとしか感じられない、生命の喜び、つまり自分の幸福なのである。

とまでトルストイはその人生論の中で語っている。

トルストイの人生論なる論文は滅多矢鱈に難しい。

老境に差し掛かったトルストイの死への恐怖のようにも思える。

それで辿り着いたのが、愛と言うことなのであろう。

人間の生き方など、悩み続けて一生を終る人、ゆったりのんびり生きることを楽しむ人、人さまざまであろう。

他人がどの様に生きなさいなどと賢しらに、口出し忠言する様な安易な問題ではない。

朝起きると、様々な事が頭を駆け巡っている。

そうかといって科学的に脳科学によって、分析すれば人の理性に裏打ちされた心がいかに科学が発達したとは言っても、

科学などでは解明できると言うものではなかろう。

 

人間と言う生き物の内奥など、科学などではとても太刀打ちできない深奥なものなのだ。

科学万能の世の中の様だが、人間に関する科学など科学が解明できるのはほんの一部でしかなかろう。

人間の幸不幸はその人の心の内にある。

良寛など学識をもち、随筆や詩を書きなぐった様だが、世に残った名言や、書かれたものを読んで、良寛の様に生きたいと思う人はいなかろう。

子供と遊び、老人を介護したとは言っても、人々の汗と涙の結晶を喜捨してもらって、漸く安住していた。

現代でいえばホームレス、そんな生活を楽しむとまで行かなくても、堪えられさえすれば、それはそれで何の屈託もない、気楽な人生であろう。

世からの疎外感に堪え、それを本人が納得できれば・・・・・

良寛の言葉のこんなのがある。

浮世を捨てて、わが身を捨てて、迷いのない僧となり、月や花を友として残された命を保っている。               良寛全詩集

 

そんな浮世を捨てた良寛が・・・・

浮世の人々を非難している。

なんと世間の人の利己的で薄情な事よ。これを思えば嘆かわしくなる。

 

ただしく義に叶った道を踏み行わなければならない時に、かえって身を避けて隠れ、利益になると見ると、さきをあらそってはしりまわる。   草堂集

 

やはり良寛も浮世を捨てたとは言っても、生きてる現実は浮世の中、人々との交流もわずかながら残ってはいる。

人間一人では生きられない。

浮世を捨てたという良寛でも、浮世を捨てる事は出来なかった。

浮世を捨てるのは死のときのみ・・・・

学識があると自覚している良寛にそのことがわからない筈はなかろう。

地位や名誉やお金がそんなに煩わしければ、関わらなければいい。

世の人々が額に汗して生きているのを、人の喜捨によって命を繋いでいる者が世の人々を非難するには及ばない。

世を捨て働くことを放棄した、自堕落な男、己の内でだけで黙って世を眺めていればいい。

世を捨てた、世とは無縁の男が世を批判するのは以ての外。

この男何ともちぐはぐな生き方をしているものだとは思う。

学識があるからと、詩を作り物を書いて世を非難するのは僭越の極み。

そんな浅はかな思い付きを人生の指針になど出来るわけがない。

自分以外の他人の幸福について、トルストイは良寛が聞いたら卒倒しそうなことを、平然と述べている。

他人が不幸になることを望まなかったとしても、それは他人の苦しみを見る事が、自分の幸福を損なうからに過ぎない。

 

人間にとって本当に大切で必要なのは、ただ自分のものとしか感じられない生命の喜び、つまり自分の幸福なのである。

 

他人もやはり自分と同じように、自分自身の生命と、自分自身の幸福だけを感じ、自分自身の生命だけを重要な真実のものと考えて、

人の生命などは自分の幸福のためのただの手段ぐらいにしか考えないものである。

 

ただ、人は自分の幸福と言うもの、それがなければ人生も意味を失ってしまう。

自分一人の幸福と言うものが、そう容易く手に入るものではないばかりか、いずれは自分の手から、全く奪われてしまうに違いないと悟るのである。

人生を長く生きれば生きるほど、この考えは経験によって確かめられる。

 

ただね、中国の古代の思想、淮南子に面白いことが書かれている。

引用してみよう・・・・・

私という人間が生まれるまでに、この天地は無限の時間が経過している。私が死んだ後も、また無限の時間が流れていくことだろう。

してみれば私という人間は、無限の天地と無限の時間の流れに浮かぶ一点に過ぎない。

してみれば天下の乱れなどは憂えずにひたすらにわが身の修まることを楽しみとするものであってこそ、初めて永遠の道を語る資格があるといえよう。

人類や世界の運命がどうなろうと、それは一瞬の存在でしかない。

一個の人間の力をはるかに超えた問題でありその様なことに心を煩わすことなく、ひたすらわが身一身の安心立命を考えるべきである。

全く考えさせられることである。人間に人生など永遠の時間を考えると、一瞬のことに過ぎない、そんなことに心を煩わすのは馬鹿げたことである。

一つの悟りであろう。

 

 

 

参照文献

 

人生論                        トルストイ著       米川和夫訳         角川文庫                  

良寛の生き方             松本市壽 著                河出文庫

老子・荘子                 森 三樹三郎著                          講談社学術文庫     


上杉鷹山~伝国の辞~

2020-01-19 15:44:19 | 随想

 老子の言葉に功遂げて、身の退くは、天の道なり、という言葉がある。

十五歳で藩主となり十九歳で国入りして十年と少々おおよその藩の立て直しを計ったのち三十五歳の若さで隠居し、次世代へと引き継いでいる。

全く無能な輩はいつまでも権力にしがみ付いているが、世の状況は悪くなるばかり。

極点に達した威勢は衰退につながるという事さえ知らないらしい。

責任を果たすなどといったところで、その責任とは何ぞやといわれて、明快な返答を為せると思っているのだろうか。

 

鷹山の伝国の辞といわれているものは、引退に際して、後を引き継ぐ治広に残した辞である。

治憲は隠居して号を鷹山とした。

鷹山の伝国の辞といわれている、三カ条である。

一、国家は先祖より子孫に伝え候国家にして、我、私すものには之無く候。

一、人民は、国家に属したる人民にして、我、私すべきものには之無く候。

一、国家人民の為に立てたる君にして、君のために立てたる国家、人民には之無く候。

 

之には鷹山の思想が見事に表されている。

当時の幕藩体制では、とは言うが、現代の形ばかりの参政権による現代封建社会体制下では、権力を握った為政者は国民を私し、

国民を単なる税源としか考えていない輩などとくらぶべくもないが、人間の資質に天と地ほどの差がある。

震災復興税にしても、企業は免除し、震災復興のための申し訳程度の給与削減を簡単にもとにもどし、国会の決議であるなどと好き放題は鷹山はしなかった。

己らの利は確保し、国民だけに負担を強要する現代の政治屋という生き物、こんな生き物を鷹山はどのように思うだろうか。

震災復興税とは言うが、人々に対する援助ではなく、また震災で損傷したものの復旧の税ではなく、原発の後処理の費用であろう、

さもなくば四半世紀にも及ぶ増税負担は考えられない。

こんな輩が日本を動かしているのかと思うと情けなくなる、とは言ってもこんな連中を選んだのは己ら自身であるから、己の首を己で絞めているのと何ら変わりはない。

国は権力者の私物ではないと言うこと、国の民、国民は権力を握ったものの私物ではないと言うことである。

民主主義の表象のように思われている参政権によって選ばれたとは言っても、選ぶ対象が全く変わることもない、

国民を国民とも思わない連中であってみれば、参政権は全く機能しない無用の長物。

国民は国家に属しているのであって、たまたまそこに遭遇した権力者や官僚たちの私的財源ではないのである。

一国の大統領あるいは首相と言ったところで、たまたまそのとき国に、国民に遭遇した権力者であって、

単なる思いつきで、国の将来や国民の将来を変えるような行いを為すには、よほど慎重でなければならぬ。

鷹山の経営学とは言うが、単なる企業のものではなく、国家経営の指針となるべきものではある。

最も、そのためには、鷹山ほどの頭脳と資質の持ち主でなければ、鷹山を学んだところでなんの役のも立たないのは、

戦前の孫子の兵法を学んだ連中にとって、それは全く役に立たないで、国を滅ぼしたのと同じである。

 

因みに、伝国の辞とともに、世に有名な言葉として伝わっているのが・・・・

 

成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり

 

これは

為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、成らぬと捨つる人のはかなき

 

武田信玄の言葉を模したものといわれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間の資質 ~上杉鷹山~

2020-01-18 12:00:00 | 随想

過去にいた数少ない傑物の一人である。

疲弊した国を立て直すには優れた指導者が必要である。

東洋の海の中に浮かぶ小さな国の、己のことしか考えないような欲惚けの指導者では国を立て直すことは不可能である。

遠い昔、江戸の頃、過っては信玄という優れた指導者の下に栄えた国が、

国土が縮小されたにもかかわらず、以前のままの政を行って、倒壊寸前の状態にあった。

そんな倒壊寸前の過去の大藩に九州日向の小藩から婿入りした。

鷹山は引退後の号で、藩主時代は治憲を名乗っていた。

鷹山の藩政改革は現役時代と隠居後の時代に区別できる。

藩主の座にあったのは 十八年ほどで、三十数歳の若さで隠居、藩主の座を義父の次男に譲り渡している。

その後は治広を助けて、改革を続行した。

藩主の座を譲り渡したとき治広に伝国の辞と称される言葉を残しているのは夙に有名である。

 

上杉治憲が十五歳で藩主になったとき、その心境と覚悟を詩に詠った。

 

~受け継ぎて、国の司の 身となれば忘るまじきは 民の父母~

 

次いで

謙信をま祀ってある、春日社に誓文を奉納した。

 

  1. 文学、壁書の通り、怠慢なく相務め申すべく候
  2. 武術、右同断
  3. 民の父母の語、家督の砌詩にも読みそうらへば、このこと第一に思惟仕りべきこと
  4. 上に居りて驕らざればすなわち危うからず、また恵みて費やさずと之あり候語、日夜相忘るまじく候
  5. 言行斉はず賞罰正しからず、不順無礼之なきよう、慎み申すべく候

右、以来堅く相守り申すべく候。もし怠慢仕るにおいてはたちまち神罰を蒙り、永久に家運尽くべ着物なり。仍って件の如し

 

この誓書は誰かに見せようと書かれたものではない。

治憲自身が神の前に誓ったものだ。

神に誓うには、自ら謙虚でなくてはならない。

治憲自身己は怠りやすい、謝りやすい人間であること、その弱さを戒めようとして、神の前に誓ったものであるらしい。

 

~受けつぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは民の父母~

 

その時に読んだと言われている。

 

国の司とは国主すなわち藩主であろう、その藩主とは民の父であり母。

自分がその地位に就いたからには、民の父、母としての心がけを片ときも忘れるまい、との決意したのだろう。

治憲が米沢藩の藩主となった当時、借財は膨大なものであり、国内でもっとも貧しい藩と揶揄され、

重税にあえぐ農民は土地を捨てて逃げ出すほどだった。

江戸時代農民の逃散は固く禁じられていた。

十五歳で藩主とはなったが、十九歳で初めて藩主として米沢入りした。

それと同時に治憲は倹約令を発する。

自らも、食事は一汁一菜、ふだん着は木綿、生活費をそれまでの七分の一に切りつめたと言われる。

藩政改革への強い意志を示したのであろう。

どこかの国の阿呆のように、政治には金がかかるといって、民百姓から金を巻き上げる馬鹿はしなかった。

藩の繁栄は、民の心身の健康と為政者への信頼がなければ達成できない。

このことを明確に意識していたのだろう。

 

何処にも阿呆はいるもので、鷹山のこの時も七家騒動が起きている。

このとき鷹山は、二名を切腹に、五名を追放した。

今のように、失政を行っても退職金をせしめて、職を辞するだけで平然としていられるような時代ではなかった。

改革派近臣に発覚した収賄の不正に容赦せず、禁固処分にするなど厳しい処分を行った。

人事に公平公正を欠けば、組織は内部から瓦解する。

部下は、人事のありようにトップリーダーの器量を推し量るものだ。

そして鷹山は、財政、産業、教育の改革にも手を付け、民衆の意識改革すなわち既成概念や慣行の払拭に取り掛かった。

 

改革の指導についての鷹山の事績は,藩主の時代と隠退後の後見役としての時代に分けられる

鷹山が藩政建て直しに着手してから50余年、米沢藩の借財はほとんど返済されたうえ、蓄蔵するまでになったといわれている。

 

「してみせて、言って聞かせて、させてみる」。

藩主を頂点とする身分階層制が確立した江戸中期に、鷹山ほど柔軟な発想を持ちえた為政者はまれである。

既成概念に凝り固まり、己の利益追求に躍起となるような輩には政治は無理である。

引退したときに治広に与えた伝国の辞はことに有名であるが、それについてはまた別に記してみようと思う。


鷹山のみた人の心

2020-01-16 15:25:49 | 随想

今でこそ鷹山は有名になって知らぬ人の名くらいだが、ケネディーの生きてた頃は新聞記者さえその名を知らなかった。

勉強不足といえばその通りであるが、日本の新聞記者の頭のなかは世間で見るほど物が詰まっているとは思えなくなってしまう。

 

今から二百五十年か六十年前、江戸中期の頃、今の日本の様に膨大な借金を抱えてにっちもさっちもいかない藩に婿入りした男がいた。

その藩はほんの僅か数名の家老と言う為政者によって牛耳られ、民は己らの食うものや種もみまで税として巻き上げられて疲弊しきっていたのは,

今の日本とそう変わりはない。

ずう~っと以前、アメリカのケネディー大統領が生きていた頃、日本人の新聞屋と会見した時、日本でもっとも尊敬する人は誰と聞かれた時、

彼はウエスギヨウザンと答えたという。

日本の記者たちは誰の事を言っているのか判らなかったという、日本人の恥さらしが揃っていたらしい。

何ともお粗末な新聞屋であった事か、新聞屋の見識も落ちたものである・・・・

少なくとも、戦前は二宮尊徳や上杉鷹山等が尊敬の対象として存在し、尊徳の銅像などは何処の小学校の校庭にも見られたものである。

ところがある日、忽然として尊徳の銅像は消えた。

戦争の末期、資源が不足してくると、この銅像は勿論の事、寺の梵鐘や更には家々の鍋釜まで供出させる馬鹿が日本を治めていた。

ケネディーは日本の政治家として、何よりも国民の幸福を考え、民主的政治を行い、政治は潔癖でなければならないと云って、

己の日常の生活を律した鷹山の姿を見たのであろう。

今の政治屋とは将に正反対の鷹山の姿は人々の共感を得ない筈はなかった。

悪政に慣れきった人々の心は何時の時代にも同じように、己自身で気付かない様な無気力なものになっているのであろう。

 

現代でいえば、何年に一度か、どんぐりを選びに行くのが、己の首を締めていることに気付かず、民主主義の発露だと思っている人々の心。

そんな軽薄な人々が選んだどんぐりが、憲法を改正してまで、再軍備をしようとしている。

日本の将来の人々に、己らはどの面下げてまみえ様としているのか、今でさえ首を絞められてることに気づかない愚かな国民、哀れというほかはない。

政治には金がかかるといって、生まれたばかりの赤子から棺桶に尾てい骨で引っかかっている年寄りまで、

ほんの僅か350円はたばこ銭だなどと政党給付金などと言って、銭を巻き上げ、その一部ではあっても己ら個人の懐へ入れる、

現代の政治屋とは人間が違っていた。

こんな阿呆を選んだのは気力の萎えた己ら自身、日本国民という名の人々である。

 

閑話休題それ故、その米沢の人々の心を変える事にも随分と鷹山は心を砕いた。

僅か350円と雖も、その僅かな金がなくて、餓死する人も日本と言う国には存在するのである。

一汁一菜、木綿の着物で一生を通した鷹山の姿にケネディーは自分の理想の政治家の姿を見たのであろう。

それにしても、文化の先端を行く新聞屋が上杉鷹山が何者であるのか知らなかったとは、まさか二宮尊徳も知らなかったとも思えないが、

日本人の恥さらし以外の何物でもない。

尤もこの二人にしても戦前は、小さな子供でも知っていたが、戦後は物の考え方が全く違ってきたのであろう、

鷹山や尊徳を知る人も少なくなったのであろう。

だが今、何故鷹山なのか・・・

鷹山が婿入りした米沢藩と同じように、膨れるだけ膨れた赤字。

金を貸すものも無く、藩返上さえ考えた米沢藩。

専横を極める無能な家老・・・政を行う執政たち。

庶民の食べる米さえない程に税を課し絞れるだけ絞ろうとする無能な政治・・・・

将に鷹山の直面した政治と経済が、そっくりそのまま今の日本の状態として現れている。

鷹山は疲弊しきった庶民の意識から変えていく必要があったのは、今の日本の庶民の意識と全く同じである。

鷹山は無能な政治屋と庶民の意識をどの様に変えて、米沢藩を救ったのだろうか・・・

 

将に今、鷹山の政治と経営の手腕が必要とされている。

そんな時代なのであろう。

責任を果たすなどと阿呆なことを言ってる暇があったら、鷹山の政治手腕を勉強したらと思うのだが・・・

すぐれた人物は何時の時代でも通用する優れた言葉を残している。

新渡戸も著書武士道の中で、鷹山を取り上げている。

追々と鷹山や新渡戸の武士道についてを書き足して行こうと思う。