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あと二日で息子は生後4ヶ月。これまでのことをざっとまとめてみようと思う。
1/10に生まれた息子は40日ほど岐阜大学医学部附属病院(以下岐大病院)のNICUで過ごした。NICUというのは予定日より早く生まれ発育が十分でなかったり何らかの疾患を抱えたりして生まれてきた赤ちゃんが入る治療室だ。ウチの息子の場合は予定日より2ヶ月弱、1508gという低体重で生まれてきたためにここで過ごすことになった。呼吸や室温、湿度といったものを管理してもらい標準的な赤ちゃん並みの体重まで発育するまでここで過ごすことになる。もっとも技術の進歩はめざましく、体重以外はこれといって不安要素のない息子はNICUのナースさん達と楽しく暮らしていたようだ。インターネットで検索をかけると1000gを切って生まれてきて元気に成長している子供たちの話なんてザラでウチの息子が順調に成長していくことは今の世となっては奇跡でもなんでもない。ありがたい時代に息子は生まれた。
とはいっても僕達親からすれば彼のNICU暮らしはハラハラドキドキもので、面会に行ってやれ「さっきまで元気に起きていました」とか「今日はミルクを10cc飲みました」などという話を聞かせてもらうたびやきもきしながら保育器の中の息子を覗き込んだり、手だけを入れて頭をなでたりしていた。
NICUから出てもよい、ということになると保育器からも卒業で、NICUと棟続きのGCUというところに移る。心拍数や飽和度などを表示するモニターもNICUより一回り小さくなり、更にウチの息子は繋がれてもいなかったりで退院へのカウントダウンといったところだ。
そうして2/20息子は無事岐大病院を退院した。最後の一晩は嫁が病院に泊まりこんで彼を世話した。今後の予行演習、ということだ。息子と嫁は名古屋の実家に里帰りした。その後僕は休みのたびに嫁の実家を訪問する、という生活になった。3日おきや4日おきに息子と対面することになるわけだが明らかに大きくなっていく。それを実感できるのがうれしかった。
嫁と息子が名古屋で2ヶ月あまりを過ごした4/23、僕が名古屋へ迎えにいきこうして大野町での親子の生活が始まった。息子は夜中も突然泣き出しミルクをせがむ。嫁は慣れた様子でミルクを飲ませる。僕は必死の思いで起きてそれを手伝う。そんな毎日の繰り返しで今に至っている。