10月30日 『眼蔵会』に赴きました
隣町のお寺で29日30日の両日『眼蔵会』が行われました。
道元禅師が書かれた『正法眼蔵』を、集中して学ぶ機会です。
午前と午後それぞれ1時間半にわたる提唱が、4回。2日間にわたって行われました。
隣寺の熱心な檀信徒と、近隣の僧侶たち、約20人が熱心に聴聞しました。
「幾つになっても、どのような境遇にあっても、人は学ぶ意欲を保つことが出来る」
高齢の男女の参加者の方々を観察していると、つくづくそう感じます。
『正法眼蔵』はまことに難解ですが、その教えを直接提唱という形で伺う機会は得難いものです。
しかし一コマ、90分という時間は、学生でも辛い苦行でしょう。
その中で、眠気と必死で戦いながら、聴講されている皆様のお姿がありました。
「人はどうすれば、生や死の苦悩から自由になれるのか?」
「そのことを真剣にみつめて、どのように意義深い人生を送ることが大切なのか?」
生老病死の問題に向き合う生き方を求めている方々が、道元禅師のお示しに耳をそばだてているお姿に、感動しました。
生憎1日のみの参加でしたが、拙僧もまた、学びの大切さと有難さを身にしみじみと感じた秋の時間でありました。合掌
隣町のお寺で29日30日の両日『眼蔵会』が行われました。
道元禅師が書かれた『正法眼蔵』を、集中して学ぶ機会です。
午前と午後それぞれ1時間半にわたる提唱が、4回。2日間にわたって行われました。
隣寺の熱心な檀信徒と、近隣の僧侶たち、約20人が熱心に聴聞しました。
「幾つになっても、どのような境遇にあっても、人は学ぶ意欲を保つことが出来る」
高齢の男女の参加者の方々を観察していると、つくづくそう感じます。
『正法眼蔵』はまことに難解ですが、その教えを直接提唱という形で伺う機会は得難いものです。
しかし一コマ、90分という時間は、学生でも辛い苦行でしょう。
その中で、眠気と必死で戦いながら、聴講されている皆様のお姿がありました。
「人はどうすれば、生や死の苦悩から自由になれるのか?」
「そのことを真剣にみつめて、どのように意義深い人生を送ることが大切なのか?」
生老病死の問題に向き合う生き方を求めている方々が、道元禅師のお示しに耳をそばだてているお姿に、感動しました。
生憎1日のみの参加でしたが、拙僧もまた、学びの大切さと有難さを身にしみじみと感じた秋の時間でありました。合掌