殆どのものが手に入るようになり燃料不足だけが問題であったが改善の兆しがみえた。
福島西インターチェンジ付近はガソリンスタンドが多く、連日給油を待つ車の列が後を絶えない、しかし朝の犬の散歩時には前日から並んでいたと思われる車列がだんだん短くなりついに今朝は10台ほどであった。
それと極めつけは、震災前からやっていた小型タンクローリーによる町内の灯油の訪問販売が開始になった。 ♪ トーユ 18リッター 1950エンデス ♪
ここまでくれば時間の問題である。
殆どのものが手に入るようになり燃料不足だけが問題であったが改善の兆しがみえた。
福島西インターチェンジ付近はガソリンスタンドが多く、連日給油を待つ車の列が後を絶えない、しかし朝の犬の散歩時には前日から並んでいたと思われる車列がだんだん短くなりついに今朝は10台ほどであった。
それと極めつけは、震災前からやっていた小型タンクローリーによる町内の灯油の訪問販売が開始になった。 ♪ トーユ 18リッター 1950エンデス ♪
ここまでくれば時間の問題である。
ホウレンソウと牛乳が出荷停止となったことについてである。
放射性物質の量が超えたといわれている暫定基準値であるが、一年間毎日食べ続けても健康には問題ないとされる量だそうである。又、放射能では日本の第一人者である長崎大学の山下先生の話では野菜10トンくらい食べないと影響が出ないといわれている。
それなのに、国はこの原発事故で厚生労働省があわてて作った暫定的なものにも拘わらずハードルの高い数値にしておいて、これを超えたらいきなり出荷停止を出したのは残念で、その値の基である国際基準なるものをもっと柔軟な対応が出来なかったものなのかと思っている。
食べても安全なのに出荷出来ない生産者や風評被害がこれから心配だ。
近くの墓に伯父、伯母の墓参りに、いつも彼岸には線香の煙がモウモウで花が飾られて墓地が賑やかなのに、地震で崩れた墓石がそのままだったり人もまばらな寂しい彼岸である。
震災、原発事故でいたしかたないのか、ご先祖様も今回だけはお許し頂けるような気がしている。
震災から10日目、宮城、岩手は仮設住宅の準備の段階に入ったというのに、福島の30k圏内は復興どころか避難が先決で、これがいつまで続くのか原発事故が終息しない事にはどうしようもない状況である。
放射線の測定値が福島市は「10マイクロシーベルト」とか、この数値が健康には全く影響がなく安全だといっているのに過剰反応して避難しようとしている変人や風評には困ったものである。
震災から一週間が過ぎ、インターチェンジが目の前の自宅から高速道路を引切りなしに走る車は、当時は緊急車両や自衛隊の車から、最近は救援物資輸送車、仮説資材満載のトラックやタンクローリーに変わりどんどん北上するのを見ると着実に復興に向けて進んでいるように感じる。
この近辺には、2300人を収容しているあづま総合運動公園の避難所や、自衛隊福島駐屯地、県防災ヘリポート、救急病院等がありかなり賑やかであったが、昨日あたりから緊急サイレンが鳴り止み第二段階に入ったものと思っている。
最近は、震度3・4の余震にも慣れてしまい、ガソリン、灯油は我慢できるので、原発だけは早くクールダウンして貰いたいものである。
3月15日(火)
大地震から5日目水道が復旧した。朝6時、犬の散歩にでたら前の家の庭が水びたしを見つけて始めて知る。昨日の新聞では北の方から復旧するとのことであったが早いのは有り難い、早速5日ぶりで風呂に入る。
昼前、ヨークベニマル吉倉店に5日ぶりで買出しに、入口に50mほどの行列で店内の混雑をさけるため人数規制をしている。店内は平常と変わりがないくらいの品数でカップメンとかレトルト製品が売れているようである。
福島では大問題の原発事故による放射能汚染で、昼のニュースで30k圏内は自宅から出来るだけ外に出ないで換気などは避けるようにという報道であった。福島市は直線距離で60kほどであるが風向きでは今後影響や規制がでるのか心配である。
小野川湖 3/9
冬型の気圧配置となり裏磐梯は新雪が20㎝も積もった小野川に今期3回目のトライをすることにした。
朝6時、ワンドの駐車場から湖面に下りて対岸を目指すことに、400mほど歩いてようやくたどり着いて、それから反応のない穴を10個ほど明けるとヘトヘトに、始めてのポイントで自信がないので先行者に近寄り15mラインにテントを張ることにした。
8時のチャイムが鳴り、仕掛けを下ろしたらいきなりアタリがあり期待したが、それからはいつものパターンとなりポッ~リ、ポッ~リ、魚探には小さな反応は常にあるのでポイントは間違いないはずで、相方とテントライフで盛り上がり集中力が切れたこともあり結果は32匹であった。
貧果に慣れているとはいえ、彼岸が近づいてくると早く結果を出したいものである。
ちなみに、先行者は一束越えで、しかも我々ロートルは往復のラッセルまでお世話になってしまった。